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ポニー・キャニオンの石田さん

2009-07-23 14:59:27 | 特集 石田達郎 石田のお父さん !
ポニー・キャニオンの石田さん 伊地知 彬


石田さんは、いつもわれわれ仲間、私自身の中で、生き続けている故でしょうか
“もう19回忌”・・というのが正直な感想です。

創業者・経営者として、ポニー・キャニオンをスタートさせてから約20年間、文字通り石田さんあってのポニー・キャニオンだったし、外部の人たちも“五千億産業”“映像・音楽のテープ創設者”として評価しており、石田さん個人としても極めて人生の重要な部分を占めた20年間だったのではないでしょうか。

その人柄の明るさ・積極さ・話題性等々を加え、表題をまともに捕らえると充分に一冊の本になるくらいと思いますが、今回は私の接した簡単な話題に止めたいと思います。


創業が順調に滑り出したのは全くの短期で、キャニオンレコードの創設と共にポニーの売り上げ停滞、厳しい時期が来た頃の事です。
 石田さんと、元足立のテープ工場に行った時の事です。
うず高く積まれたテープの在庫の山を見ながら、私はいくつかの提案をしました。
会社にとっては望ましいことではないのですが、積極策は成功せず、マスコミ出身者には理解しがたい商品在庫が経営に重くのしかかっていたのです。
“お前に任せるよ”石田さんの答えでしたが、返答に時間がかかり、その間の厳しい、淋しそうな石田さんの表情は今でも忘れられません。
強引な方法は採らないで済みましたが、その処理には満3年掛かりました。




田原俊彦 船上パーティでの 石田さんと ・・


石田さんというとその豪放磊落ぶりがよく話題になりますが、細かい気遣いも忘れない方でした。
社内で怒ることは滅多にありませんでしたが、怒られる貧乏くじは今村栄成君でした。
レコードセールスに慣れない頃の新譜発売のミスや、偶に飲みに行った銀座のバービルのエレベーターで女性両手の場面に石田さんと鉢合わせになるなどが重なって、標的になってしまったのです。
ただ今村君に何か言った場合、必ず私に“アイツ、緊張してたぞ”等々、彼に伝わる様に気遣いをみせていました。

ポニー・キャニオンが厳しい冬を乗り越えられたのも、社内の乱れなかったのも、石田さんの先頭に立っての積極性と人柄の明るさがあったからです。
これからも、私自身、我々仲間の中に石田さんは大きな存在であり続けると思います。

最後に奥様とご家族のご多幸をお祈りいたします。

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