PC会ブログ

PonyCanyonグループ OBの会 情報告知 交換 等 

24日、BSフジ 「富良野塾」26年の軌跡

2010-07-21 15:19:55 | エンターティメント情報
24日、BSフジ 「富良野塾」26年の軌跡 倉本聰と塾生の苦闘を回顧



 脚本家の倉本聰(75)が俳優や脚本家の養成を目指して北海道富良野市に創設した「富良野塾」が今年4月に閉塾した。塾の歴史を振り返る特別番組「此処(ここ)にいて走りつづける」が24日午後8時から、BSフジで放送される。「北の国から」など、テレビに生きてきた倉本に、現状への思いも含め聞いた。(小林佑基)
 富良野塾は1984年の創設。塾生たちは農作業などのアルバイトで生活費を稼ぎながら畑を開墾、野菜を栽培して、自分たちの食料とした。一方、スタジオ棟などとなる丸太小屋を次々に建設。夜には倉本の講義を受け、夢の実現を目指した。
 倉本は、創設の理由を「すでに30年前の時点で、テレビが役者やライターを育てていないという感覚があったから」と話す。世話になったテレビ界に対する恩返しの意味もあった。これまでの卒業生は、「Dr.コトー診療所」などの脚本で有名な吉田紀子ら375人。多くが富良野に残り、「富良野GROUP」を作って芝居を続ける。番組でも紹介されるこのグループの公演「谷は眠っていた」(今年1月~3月など)は、塾の歴史を体現した作品だ。セットはなく、材木も役者が演じるなど、肉体だけで谷を切り開いた塾生たちの苦闘を表現する。
 番組では、最後の塾生で、塾の創設年に生まれた第25期生・黨(とう)清信(25)の1期2年間の生活に焦点を当て、塾が残したものを浮き彫りにする。塾の生活は「谷は眠っていた」の世界そのもので、倉本の講義やけいこの模様、富良野GROUPによる公演「歸國(きこく)」も紹介される。高校野球に打ち込み、地元の熊本県で注目されるが、大学入学後のバイク事故で野球を断念した黨。塾は「自分を変えるきっかけをくれた存在」だという。
 そんな塾に、倉本が区切りを付けようと思った理由は、肉体的な衰えを感じたことが大きいという。「僕が現役(の脚本家)としてやっていないと(塾の運営費などが)続かない。それに、塾生の若者たちは過去を知らなすぎる。教えるのも僕なので、もう限界だと思った」
 思いを結実させたかに見える塾だが、倉本は26年の歴史を「洪水のようにあらぬ方角に流れていくテレビ界の中で一石を投じたが、波紋も見えずに沈んでしまった感じだ」と振り返る。厳しい言葉は、テレビへの愛情の裏返しなのだろう。倉本はあらぬ方角に流れる一例として、連続ドラマをあげる。「話数が短くて役者が育たないし、視聴者も感情移入しにくい。世の中に広がる力も弱くなった」
 視聴率に対しても容赦がない。「いい番組は録画されるが録画率は調査されない。あれはCM視聴率調査」。さらに、テレビ局の組織にも注文をつける。「いいディレクターが、昇格してプロデューサーになったりするが、両者は全く違う職種。同じ職種のまま昇給する仕組みになれば、もっと能力を伸ばすことができるのに」。この苦言を、テレビ界はどう受け止めるのか。特番は、今後のテレビを考えるきっかけにもなりそうだ。


2. 対テロ戦費1兆ドル、第2次大戦に次ぐ規模 米議会報告

米国が2001年9月の米同時多発テロ以降、対テロ戦に計上した戦費は1兆ドル(約87兆円)を突破し、建国以来の米国史上、第2次世界大戦に次ぐ規模になっているとの報告を、米議会調査局(CRS)がこのほど発表した。
報告は、建国から現在まで230年余りの間に米国が主な戦争に費やしたコストを比較している。同時テロに端を発したアフガニスタン、イラクなどでの対テロ戦の支出は、現在までに推定1兆1500億ドルに達した。
第2次大戦の戦費は1940年代の額面で2960億ドルだったが、インフレ調整後で現在の4兆1000億ドル相当と算定された。
国内総生産(GDP)に対する比率では、第2次大戦の戦費が36%に上ったのに対し、対テロ戦は1%前後にとどまっている。
他方、この報告は戦時と平時の国防費の区別や物価変動、科学技術上の違いといった問題点を挙げ、異なる時代間のコスト比較は困難だと指摘している。
対テロ戦費をめぐっては、米議会予算局(CBO)が2007年、アフガン、イラクでの累計は17年までに2兆4000億ドルに上る可能性があるとの試算を発表している。