ユーロシティのコンパートメントから

欧州旅行がメインですが、最近は日本の旅行が多いです。そして”鉄分”濃くなってきてます・・(笑)

前半のハイライト、寝台列車でブカレストへ!

2005年09月02日 04時27分44秒 | ⑦’05夏・ハンガリー&ルーマニア
★2日目~3日目・寝台列車でブダペストからブカレストへ。

モスクワ広場でパラチンケンを食べ終わったのが夕方5時少し過ぎ。
ブダペスト東駅を18:10に発車する夜行列車に乗るため、あわてて地下鉄に乗ってまずホテルへ。
荷物を受け取ってからまたあわてて東駅へ再び地下鉄に乗りました。
あいかわらずの「ギリギリ」ぶりでした・・・


それでも着いたのは発車20分前。
若干時間に余裕があったので、夕食用の「ケバブ」を買ってから乗り込みました。
そして出発ボードでプラットホームを確認。
「12番線」と書いてあったので、急いで向かいました。

今回乗った夜行列車は「ISTER」と言う愛称のユーロシティでした。
寝台車2両、クシェット1両、2等車2両、さらになんとこの短い列車には食堂車がついてました。
これで後でお腹が空いても大丈夫!!


入口に車掌がいたのでまずチェックを受け、そして個室に入りました。
車内は欧州ではごく普通の設備でしたが、よく見るとあちらこちらの注意書きに「ドイツ語」が。
もしかしたらこの車両、「ドイツ国鉄のお下がり」だったのかもしれません。
ドイツでも似た寝台車に乗ったことがあるので。
でも思ったよりも広くて快適そうなのでこれからの13時間の汽車旅がいっそう楽しみになりました。
それにうれしかったのは「窓が開けられたこと」
もう思いっきりデジカメの動画、そして写真を取りまくりました!!


列車は5分程度遅れてブダペストを出発。
しばらくはハンガリー平原を淡々と走ります。
でも時は夕方。
日暮れ時の大平原の中を走るので、夕焼けが視界いっぱいに広がる風景には日暮れまでず~~~~っと釘付けでした。
これがホントの空なんだな、ホントの夕暮れなんだな、って。
しばらく忘れていた、いやもしかしたら初めて見る風景に言葉がありませんでした。
確かに何にも無かったけど、ず~~~ッと見ていても飽きませんでした。

しばらくすると車掌が一枚の紙切れをくれました。
車掌が隣の客に通訳をお願いすると、どうやら「食堂車へ行けば3ユーロ分が無料になる券」だとか。
その時はいつ使えるのかよく分からなかったし、食堂車へ行って軽食を摂ろうとして見せると「朝食用だ」とのこと。
でもコーラとサンドイッチ1つで終わらせて払おうとすると「あの券を出せば出せばOK」とのことで無料ですみました。
いつでもよかったんですね。
ちなみに食堂車のメニューは軽食中心。
オムレツ、サンドイッチ、そして鶏肉料理、といった程度で、ハンガリー料理やルーマニア料理は一切なく、ちょっと残念でした。

個室に戻って自分のラジオをつけるといろいろな番組が聞けましたが、幾つかはハンガリー語でなくてフランス語やルーマニア語で話されてるラジオ局があったのが分かりました。
外は段々暗くなってきましたが、列車は確実に東に、そして国境へ、つまりルーマニアに近づいてるようでした。
景色が見えなくても、なんだかいっそう胸が高まってきて、言葉が分からなくてもラジオを聴いてるだけでも楽しかったです。

夜9時頃、すっかり暗くなってからハンガリー側の国境駅に到着。
ここで出国検査がありました。
行き先だけを聞かれてだけで終わり。
無事にハンガリーを出ることができました。
30分の停車の後、今度は10分ほど真っ暗闇の中を走って今度はルーマニア側の国境駅に到着。
駅に入ると「ROMANIA」と書かれた大きな青いボードが見え、「ついに来たなぁ~」ってちょっと感激。
でもその前に入国検査。
これも行き先を聞かれただけですんなり終了。
どちらも英語でOKでした。

国境越えもう1つ重要な儀式がありました。
それは「時差の調整」です。
つまり1時間早くしなければなりませんでした。
入出国検査で1時間以上要したので、ルーマニアに入ったらもう真夜中近く。
ARAD駅を出発したら0時を過ぎたので、おとなしく寝ることにしました。


かなり爆睡しましたが朝6時に起きました。
列車は明るくなり始めたトランシルバニア地方を走ってました。
でも・・・どこを走ってるかはしばらくたっても分かりませんでした。
定刻なら6時にブラショフに到着するのですが、そんな気配もなく列車はマイペースに走り続けてました。
そうこうしてるうちに太陽が山の向こうから登り始め、いっそう明るくなってきたのですがまだ走りっぱなし。
これで1つ分かりました。
「この列車、相当遅れてるな」って。


でもそんなこと、どうでもよくなってました。
この長く乗ってられると思うと、その方がいいかな、ってさえ思うようになりました。
沿線の町の風景も人の表情もハンガリーとも他の欧州とも全然違う・・・
ここは明らかに「初めてきたところ」なんだな、って。
不安はいつの間にか消え、好奇心が段々大きくなってきました。


結局、ブラショフに到着したのは7時ころ。
つまり1時間、列車は遅れてたのでした。
でもみんな文句言わない。
ある言葉を思い出しました。
「When In Rome,Do As Romans Do」
確かここの先住民はローマからの移民でしたね。

ブラショフを出発した列車は、アルプスの山のような中をくねくね曲がりながらゆっくり走り、本家に劣らないきれいな山の風景を眺めることができました。
シナイアを出てしばらくすると一転してルーマニアの大平原のなかに入り、遅れたぶんを少しでも回復しようとスピードを上げて一気に終点に向かいました。
線路沿いでは馬や牛が草をついばみ、馬車がマイペースに道を走っていて、さらには野良犬もあちこちに・・・
ロマ(今はジプシーをこう言います)の人々もいたるところに見かけ、「ルーマニアの日常風景」がまるで映画のワンシーンのように目の前に広がっていて、自分がルーマニアにいることをいっそう実感できました。

結局、ブカレストに着いたのは10時少し前。
ホントに長い「14時間の」汽車旅が終わりました。
正直、こんな楽しい列車の旅は久しぶりでした。
また乗りたいです。