楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

学習すること

2013-02-11 10:03:08 | Weblog
勉強は自分のために するのですと 
私が子供のころは 先生や親によく言われた。

それは とても矛盾していると感じてはいたけれど
はて 勉強の動機づけとなると なかなかいいセリフを
 思いつくことがなかった。

この年になると はっきりと 勉強は 人間だけが生きていくため
必要な知識や ありかたを 自分に課す時間だと感じている。

でも これは片手間な人間ばかりの考えをもつ危険があって
学習という もうひとつの在り方が 必要だと 感じてきた。

勉強ではなく 学習。
掃除とは 何か 
人のあるべき姿は 何か
病気になるということ
そこから 立ち直ること
何を食し 何を大切にすると どうなるのか

多くの先人から 学習する。感じとって 見習ったり
ただしたりする。

これを 極めなければ 実は勉強はできていても
地球上で人間は 長く子孫を残すことが 
できないのではないだろうか。

科学することは とても重要で
学習に基づく科学が 求められていると 切実に感じるようになった。
無謀に偉くなって むさぼって いいことはないのだから。

最近 身近な掃除に 注目が集まるのも
学習の作業に 人としての在り方のヒントが
隠されているからだと思うのだ。 

それは 私の人生で出会った 
この時代に 困り果てながらも 自活して生きている
いたち かもしか きじ さる わし
かわせみ かも 銀杏 桐  米、、、みんな 語りかけてきた。
現代の人間の在り方に 困り果てている。と

これら 隣の方々の生活に 耳を傾けなければ
土壌はぱさぱさになり砂漠化し 水は かれ 
海は湖になる。そんなことは ないだろうか。

 養殖と称して
いきものが 作れるかのような 勘違いをする。
そこに 漁場がなぜ 存在したかの 感受性は失われている。
コンクリートは 堅牢だと勘違いして
空気を遮り 粉塵を巻き上げ 長く地球をはぐくむはずの土壌を
生きもできないほどコンクリートやアスファルトで蓋をして きれいだと感じる
そんな人ばかり
育ってしまうのではないだろうか。

小石一つ 水一滴 人に作り出す能力は与えられていない。
利用し 運用し 調整し  幻滅させること 増殖させることはできても 
全くのゼロからの出発は  できない。

共感することのみが 人に与えれている能力であることを
よーく 胸を当てて 時折 観察してみてほしい。

医師は 命を助けることはできない
生きようとする者の ほんの少しの手助けが できることがある。
これが 現実だろう。