BESSの家を初めてみたのは もう三十年にもなるかもしれない。
二人の子供をつれて 富士山を眺めに出かけた時 休憩にと立ち寄った
BESSの家 御殿場の展示場ドームハウスだった。
その プラネタリウムのような家の構造に おどろき。
家族がつねに丸く収まることへのあこがれとで
声を上げたことを 思い出す。
次に 出会ったのは 今住んでいるところで 家が欲しいと言った時だった。
ひとり生き残ってしまった時のために 用意したいと
畑を購入して 小屋ということで建てれば
貧乏しても生きていけるだろうと
手持ちのお金で 買ってしまいたかった。
家族が最悪の状態だったときのことだった。
そして 今回 自分の終の棲家をさがしに 変な土地だけど決め
住宅をと さがしているとき 出会ったのが BESSだ。
紆余曲折以上の時代をこえて 根強く生き残っていたBESS
人生の荒波をこえて からがら生き残っている自分と
なぜか しっくりきた。
主人も二つ返事だった。
主人は 若い人の家だなとか
私も 手狭ですけどいいんですか
そうはいっても
即答で決まった。
終の棲家の家を 海辺の土地 宝飯で 購入します。
まだ 借金が このとしで できるのかとか このさき
年金も退職金もも込めないのに どうするのかとか
楽しみがいっぱいですがね。
そして 近年 売り上げが伸びているBESSさん。
どんな歴史を刻んで 生き残ってきたのやら
木材の供給が逼迫した時代に どう生き残りをかけていくのか。
そして 海辺の家といえば どうしても とりあげておきたいのが
私が嫁入りする前に おおよその間取りを絵にし
建ててもらった実家の家。
こんなに海に近い家を建てるのは反対だと言っても
何故か聞いてもらえなかった。爺さんの足跡を引き継ぎたかったのだろう。
爺さんの建てた家は 別荘のような家だったから
母たちの老後に建て替えは 必要だからと 資金のことも表にして
積水ハウスに 見積もりで書いてもらった図面を参考に
今の間取りとを書いた。
頼みたおしてお願いした家だ。
長い廊下が 金手になった 今の間取りに決まった。
当時もう 息子さんに事業を譲ろうとしていた
後藤藤一郎棟梁の建てた家だ。
うねるように曲がった梁が 二本 屋根の下で竜になっている。
その下で 柱は 綿密に計算されていて 傾かない。
傷なく 三十年たっても 障子一つ傾かない。
父と 弟が梁にまたいで 餅まきをした姿に
胸をなでおろした記憶がある。
木材の収縮も 乾燥も考慮に入り 桜材の敷居は 堅く
今でも ドアもするりするり。
風呂もトイレも家の中で別建てで
タイル一つ 傷つくことなく修理すらしたことがない。
土壁はカビがわきやすく 何年も乾くのに時間がかかったけれど
今では快適な空間となった。
今ではもう 建てられない建築様式になっているように思う。
棟梁最後の作品だ。
修理したのは 合板だった床材のみだ。
日本人の棟梁の仕事は すごかった。
それが BESSの基礎にあるかもしれない。
二人の子供をつれて 富士山を眺めに出かけた時 休憩にと立ち寄った
BESSの家 御殿場の展示場ドームハウスだった。
その プラネタリウムのような家の構造に おどろき。
家族がつねに丸く収まることへのあこがれとで
声を上げたことを 思い出す。
次に 出会ったのは 今住んでいるところで 家が欲しいと言った時だった。
ひとり生き残ってしまった時のために 用意したいと
畑を購入して 小屋ということで建てれば
貧乏しても生きていけるだろうと
手持ちのお金で 買ってしまいたかった。
家族が最悪の状態だったときのことだった。
そして 今回 自分の終の棲家をさがしに 変な土地だけど決め
住宅をと さがしているとき 出会ったのが BESSだ。
紆余曲折以上の時代をこえて 根強く生き残っていたBESS
人生の荒波をこえて からがら生き残っている自分と
なぜか しっくりきた。
主人も二つ返事だった。
主人は 若い人の家だなとか
私も 手狭ですけどいいんですか
そうはいっても
即答で決まった。
終の棲家の家を 海辺の土地 宝飯で 購入します。
まだ 借金が このとしで できるのかとか このさき
年金も退職金もも込めないのに どうするのかとか
楽しみがいっぱいですがね。
そして 近年 売り上げが伸びているBESSさん。
どんな歴史を刻んで 生き残ってきたのやら
木材の供給が逼迫した時代に どう生き残りをかけていくのか。
そして 海辺の家といえば どうしても とりあげておきたいのが
私が嫁入りする前に おおよその間取りを絵にし
建ててもらった実家の家。
こんなに海に近い家を建てるのは反対だと言っても
何故か聞いてもらえなかった。爺さんの足跡を引き継ぎたかったのだろう。
爺さんの建てた家は 別荘のような家だったから
母たちの老後に建て替えは 必要だからと 資金のことも表にして
積水ハウスに 見積もりで書いてもらった図面を参考に
今の間取りとを書いた。
頼みたおしてお願いした家だ。
長い廊下が 金手になった 今の間取りに決まった。
当時もう 息子さんに事業を譲ろうとしていた
後藤藤一郎棟梁の建てた家だ。
うねるように曲がった梁が 二本 屋根の下で竜になっている。
その下で 柱は 綿密に計算されていて 傾かない。
傷なく 三十年たっても 障子一つ傾かない。
父と 弟が梁にまたいで 餅まきをした姿に
胸をなでおろした記憶がある。
木材の収縮も 乾燥も考慮に入り 桜材の敷居は 堅く
今でも ドアもするりするり。
風呂もトイレも家の中で別建てで
タイル一つ 傷つくことなく修理すらしたことがない。
土壁はカビがわきやすく 何年も乾くのに時間がかかったけれど
今では快適な空間となった。
今ではもう 建てられない建築様式になっているように思う。
棟梁最後の作品だ。
修理したのは 合板だった床材のみだ。
日本人の棟梁の仕事は すごかった。
それが BESSの基礎にあるかもしれない。