濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

ブログとフェイスブックの間

2015-01-10 18:42:58 | Weblog
正月も松の内を過ぎてしまったが、改めて新年を祝い、今年のブログ始めとしたい。
例年よりも相当仕事がつまっていて、なかなか更新できないのがもどかしいが、体調に変わりがあるわけではない。
もっとも、フェイスブック(FB)ならば少しの時間でもコメントや写真の投稿ができるので、ブログとの二刀流になってきているのが実情である。次は最近の小生のFB投稿である。

ひょんなことから、かつての教え子数人とFBつながりになった。
卒業後の消息は知らなかったが、皆、女性ながら医大生として元気でたくましく活躍している様子で何よりだ。
写真やコメント、「いいね!」を通して、うっすらと近況を気軽に確認できるのが、FBの魅力なのだろう。
そのうち、様子を見に、救急車で駆けつけますから、よろしくね^_^;


これぐらいで”濃く”せずに済ませるのがクールなのだろう。
フェイスブックについての感想としては、都会の雑踏の中で多少なりとも知っている人間の瞬間芸を眺めて、それにときに拍手し、励ましのエールを送っているといった感じだ。
先にも指摘したように、ブログに比べて、発信者のコメントの内容がまるでオニオンスライスのように薄くなってしまうが、これは文字中心のコンテンツと画像中心のコンテンツとの違いでもあるのだろう。

いま、こうした違いをわかりやすくするために、次のような例を出してみよう。

「ぼく死ぬのがこわいよ。」とフレディが言いました。
「そのとおりだね。」とダニエルが答えました。
「まだ経験したことがないことはこわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけているんだ。変化しないものはひとつもないんだよ。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。きみは春が夏になるときこわかったかい? 緑から紅葉するときこわくなかったろう? ぼくたちも変化しつづけているんだ。
死ぬというのも変わることの一つなのだよ。」
変化するって自然なことだと聞いて フレディはすこし安心しました。枝にはもうダニエルしか残っていません。
「この木も死ぬの?」
「いつかは死ぬさ。でも“いのち”は永遠に生きているのだよ。」とダニエルは答えました。


これは絵本「葉っぱのフレディ」(レオ・バスカーリア作)の一節だが、これをFBでビジュアル化して伝えようとすれば、次のようになると思うがどうだろうか。

葉っぱのフレディとその仲間たち



そしてフレディたちはいなくなった


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