「Denali's room 一語一絵」のデナリさんが表紙をデザインした「マサトとはんぺん」(佐々木憲孝著、英潮社刊)を読み返してみた。
泣ける場面も笑える場面も適度に盛り込まれ、なかなか読みごたえのある小説になっているように思う。その中で一番印象に残ったのは
男は女に騙(だま)されるために生まれてくる
という、はんぺんの言葉だ。
確かに思い当たるフシがないことはない。女性側からは「逆もまた真なりよ!」という反論も出てきそうだが、男と女が、自然、かつ、のっぴきならない流れの中で、騙したり騙されたりするのであれば、その非を安易にあげつらうことはできないと思うのだが、いかがであろうか。
ところで、過日、某家では食卓を囲んで、娘と父の間で次のような他愛のない会話が交わされていた。
娘:今度、Y君が私にご馳走してくれるんだって。信じられな~い! お父さん、男の人ってみんなそうなの?
父:……まあ、そうかもしれないね。男のDNAには、そういう習性が受け継がれているのかな。そういえば、お父さんが昔、アホウドリだった頃、ステキに見えたお母さんのために、巣作り用の小枝をプレゼントしたことがあったような気がする。もっと昔、お父さんがバナナフィッシュだった頃、キレイに見えたお母さんのために、プランクトンをせっせと運んだことがあったかもしれない。もっともっと昔、お父さんがゴキブリだった頃……
娘:あっ、もういい、わかった、ありがとう、お父さん、成り行きに任せるから。
「成り行きに任せる」──けだし名言というべきもので、これこそ人類の英知の産物であろう。
もっとも、宇野千代というスゴ腕の女流作家などは、言い寄る殿方たちに新居をそれぞれ貢(みつ)がせたというのだから、騙す側も騙される側も、まだまだ修業が足りないということになるのかもしれないが。
泣ける場面も笑える場面も適度に盛り込まれ、なかなか読みごたえのある小説になっているように思う。その中で一番印象に残ったのは
男は女に騙(だま)されるために生まれてくる
という、はんぺんの言葉だ。
確かに思い当たるフシがないことはない。女性側からは「逆もまた真なりよ!」という反論も出てきそうだが、男と女が、自然、かつ、のっぴきならない流れの中で、騙したり騙されたりするのであれば、その非を安易にあげつらうことはできないと思うのだが、いかがであろうか。
ところで、過日、某家では食卓を囲んで、娘と父の間で次のような他愛のない会話が交わされていた。
娘:今度、Y君が私にご馳走してくれるんだって。信じられな~い! お父さん、男の人ってみんなそうなの?
父:……まあ、そうかもしれないね。男のDNAには、そういう習性が受け継がれているのかな。そういえば、お父さんが昔、アホウドリだった頃、ステキに見えたお母さんのために、巣作り用の小枝をプレゼントしたことがあったような気がする。もっと昔、お父さんがバナナフィッシュだった頃、キレイに見えたお母さんのために、プランクトンをせっせと運んだことがあったかもしれない。もっともっと昔、お父さんがゴキブリだった頃……
娘:あっ、もういい、わかった、ありがとう、お父さん、成り行きに任せるから。
「成り行きに任せる」──けだし名言というべきもので、これこそ人類の英知の産物であろう。
もっとも、宇野千代というスゴ腕の女流作家などは、言い寄る殿方たちに新居をそれぞれ貢(みつ)がせたというのだから、騙す側も騙される側も、まだまだ修業が足りないということになるのかもしれないが。