濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

2007、最後の夜の空気

2007-12-31 10:33:45 | Weblog
今年もいよいよ終わり。この一年を振り返ってみれば、退院後のシャバの生活はやはり厳しく、思わぬアゲインストの風にあおられてしまった。それでも「逆風満帆」、やせ我慢的に何とかやり過ごすことが出来たが、これも、皆様のお心づかいがあってのこと、一年を無事に終えるに当たり、深く感謝する次第です。
最近では、小生のファン(不安!)クラブなるものまで出来て、先日も、「顔が少しむくんでいるのでは」というアドバイスをもらい、すぐに病院で診察してもらったが、単においしいものの食べ過ぎ、飲み過ぎで、特に異常はないということだった。しかし、私の病状の場合、進行がサイレントだから、今後も「かすかな兆候を読む」ことに細心の注意を払うべきなのだろう。

そういえば、今年の流行語に「KY=空気が読めない」というものがあったが、この言葉は、閉じられた場の雰囲気にだけ配慮すれば、事足りるとする姑息さが感じられて、あまり好きにはなれない。そもそも「空気」とは危険なものでもあって、山本七平の「空気の研究」(写真)によれば、

「空気」は非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり…超能力であることは明らかである。だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれている

ということらしい。とすれば、そうした「空気」を過敏に読み過ぎて、過呼吸状態に陥り、真実を犠牲にしてきたのが、我々日本人なのではないだろうか。
たとえば、今年、話題となった食品の偽装表示騒動も、マスコミや消費者が時代の空気を読み過ぎたきらいがあるようにも思われるが、どうなのだろうか。少なくとも、「空気が読めない」だけで、小学生から首相までがイジメの対象となるような国に大した未来はあるまい。
この際、出版人のはしくれとしては、どさくさまぎれに、もっと読むべきものはたくさんある、とりあえず、本をどんどん買って読んでくれと声を大にして叫びたくなる。

ということで、今年のブログを閉じるが、先日、元ミュージシャン、DJで、現フリーターの若者と久しぶりに再会し、年越しをどうするのか尋ねたら、彼女といっしょに六畳一間のアパートで新年のカウントダウン、年が変わるその瞬間に、手に手を取って、軽くジャンプするとのことだった。何ともつつましく、ささやかではあるが、味のある試みではないか! ここで、彼ら若き二人に多くの加護があるように、鮎川信夫「跳躍へのレッスン」の一節を返礼として贈ることにする。

雲切れの空にのぞく/まがまがしい双つ星は/離れまいとして/必死に輝きを増している
いとしきひとよ/あそこまでは跳べる/ぼくらの翼で/試してみようではないか

朔太郎の「浦」側

2007-12-10 12:53:03 | Weblog
身の回りの知人から、若者の心の病気(いじめやひきこもりなど)の話を聞かされる機会がこれまで以上に多くなってきた。だが、我々の少年期青年期には経験したことがない現象なので、どうも実感がわかず、良き対処法も示せないでいる。これは日々進歩するIT社会への対処法を示せないのと同じだ。
面倒になり、「詳しいことを知っているのは、君たち若者なんだから、自分たちで解決すべきだ」といいたくなるが、吉本隆明によれば、心の病は高度な文明が生んだ公害だそうだから、我々、大人の側にもその責任の一端はあるのだろう。息子や娘にカウンセリングをさせようとして、親の方が先にカウンセリングの対象となる、といった事態も覚悟しなければならないのだ。
心を病む若者に対しては、基本的に、心も体もボロボロな哀れな人間であると同時に、我々より高次の感覚の段階に達したデリケートな人間、という二つの見方を用意しておかなければならないと思う。

こうした両面性について、少し時代を逆戻りさせて、萩原朔太郎(写真)に即して考えてみたい。朔太郎といえば、『月に吠える』『青猫』などで青春期の異常で病理的な世界を詩に定着させた先駆者だが、彼の娘、萩原葉子の「蕁麻(いらくさ)の家」を読むと、彼が今で言えばフリーターや引きこもりと変わらない生活破綻者だったこと、また、彼よりもむしろ彼の母の方が異常で、彼女が朔太郎の詩の世界の、まさしく生みの親だったことがわかってくる(ここで朔太郎の母の責任を追及したいわけではない。異常や病理は、母と子の<はざま>に生まれてくるはずだから)。また、当時の心の異常は、富裕層の家庭にしか許されない「ぜいたくな悩み」だったようだ。その後、戦後民主主義と高度成長によって、一般にまで及ぶようになってきたのだろう。

ところで、もう四年ほど前になるが、朔太郎ファンで、「心に松葉杖をついている」という女子大生が次のような詩(?)を書いて送ってきたことがある。

この薄汚れた灰色の穴ぐらから
ひっそりと獲物を待つあの軟体動物のように
じっと光りのさす一点を眺める
じっと動かずに外の更なる灰色の街を見据える
(中略)
外の奴らは誰も私の存在など気付いてもいないだろう
だか、穴ぐらの中にいる私はお前らのことを知っている
私が蔭の反射板となって、お前らを光らせていることなど
誰もわかっちゃいないのだ
だが私は何も反論などしようとも思わない
お前らから感謝状なんかもいらない
朝が来る事もないこの街角で
あの一点をひたすら私は見続けている

心象世界は鮮やかに描かれているが、ずいぶん不遜かつ攻撃的で、怨念がこもっている。また、これを次の朔太郎の「くさつた蛤」とくらべれば、エロスや抒情が欠如していることも明らかだろう。

半身は砂のなかにうもれてゐて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟体動物のあたまの上には、
砂利や潮みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、
ながれてゐる、
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。

二人のどちらがどれほど異常なのか一概にはいえまい。ただ、指摘しておきたいのは、朔太郎の場合、その後、結婚・離婚・転居など生活の労苦に直面することによって、異常が沈静化(潜伏)するという転機が訪れた点である。
とすれば、現代の若者についても、やはり長い目で見ていくべきなのだろう。しかも、当時にくらべ、現在の方がはるかにいろんな選択肢に恵まれているのだから(先の女子大生の場合は治療も兼ねて、アメリカに留学した)、社会のルールに従わなくてもいい自由を得たぐらいに思って、真の生き甲斐を見つけだしていってほしいと思う。
とまあ、説教臭い平凡な意見に終わりそうなので、最後に朔太郎の、異常との決別を歌っているような中期の作品を「青猫以後」から引用しておこう。

ああ 浦!
もうぼくたちの別れをつげよう
あひびきの日の木小屋のほとりで
おまへは恐れにちぢまり 猫の子のやうにふるゑてゐた。
あの灰色の空の下で
いつでも時計のやうに鳴つてゐる
浦! 
ふしぎなさびしい心臓よ。
浦! ふたたび去りてまた逢ふ時もないのに。(「沼沢地方」)