濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

雪の音(ね)

2007-07-07 20:02:26 | Weblog
忙月忙日、これだけは断れないということで、「Mさんを偲ぶ会」に出席した。Mさんとは、前にも記したことがあるが、私が倒れたのとほぼ同時期(昨秋)に逝去された知人の女性である。

それにしても、人の命の重さ自体は昔も今もあまり変わらないはずなのに、命を弔う儀式の重さには大きな違いが出てきたようである。「骨を拾ったり拾われたりするっていうのも面倒だから、散骨がいいと思ってね」「お坊さんにお経なんて唱えてもらわなくてもいいわ、千の風の歌、あれで十分よ」などという会話のささやかれる今日この頃である。「偲ぶ会」も、ご本人がすでに済ませていた「生前葬」とワンセットとなって、なんとも時流に適したライト感覚がある。

会の冒頭、Mさんの妹君が挨拶に立ち、「片づけ上手で生前葬まで開いた姉にしては、家は雑然としたまま、覚悟していたとはとても思えない。遺品を整理するのに3ヶ月もかかりました」と舞台裏を語った。だが、こうしたチグハグさにこそ、私などはリアルな死を感じてしまう。「命は人を待つものかは。無常の来たることは、水火の攻むるよりもすみやかに、逃れがたきを」とは「徒然草」の一節である。

当日、集まったご婦人たちには、オシャレだった故人の編んだカーディガンなどが形見分けとして贈られたが、われわれ男性陣には「雪の音」(写真)という大吟醸酒がふるまわれた。Mさんの生まれ故郷、秋田横手の、全国新酒鑑評会で金賞を受賞したという酒である。たしかに、上品な口当たりで、のど越しも良く、呑むほどに酔うほどに、しんしんと雪の降り積もってくるような情感を覚えた。
考えてみると、雪が降るときに、別に音などするわけではないのだが、小さい頃から聞き馴染んできたような気がするのは、どうしたものなのだろうか。

さて、「帰らぬ人」となったMさんの思い出話に、ひとしきり花が咲いた後、話題は、やはり「帰ってきてしまった」小生のその後に及ぶことになった。
「Yさん、あなたは、きっと何かをやりとげるために帰ってきたのよ」
とは、ある老婦人から発せられた卓見であるが、忙しさにかまけるうちに、そんな発想など、当人はどこかに置き忘れてしまっていたようである。かろうじて
「雪の音というものをよく聴くために帰ってきたんですよ」
と冗談で逃れるしかなかったのだったが・・・