先日放映されたNHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 亡き人との"再会" ~被災地 三度目の夏に~」は、映像詩のような画面構成で、なかなか見応えのある番組となっていた。
番組で取り上げられていたある女性の例を取り上げてみよう。
──震災直後のある日、鍵のかかる靴箱にいれたブーツに、誰が置いたのか、今切り取られたばかりのような瑞々しさを保った白い花が添えられてあった。
その白い花は、二週間後に送られてきた父の遺体の棺に飾られた花と同じものだった。
父親の遺体に触れたかったが、顔の輪郭が崩れないようにという配慮から叶わなかった。
それでも、白い花の冷たくやわらかい感触は、実際には触れることのできなかった父の遺体の感触にも通じている。──
死にゆく者を看取り、その喪失を悲しみとともに受け入れていくことを「グリーフワーク」というが、不意の震災では、ゆっくり時間をかけて悲嘆に沈むことなどできない。
その不全感を取り除こうとして、遺された人々は、もう一度死者と会うことを果たすかのように、美しく切ない物語を編み出していく。
いや、生者だけではない。死者もまた遺された人々の心を癒すために、この世のものとは思えぬ物語を生者の世界に送り届けてくるのだ。
******************************************************
数日前、投身自殺した藤圭子の娘である宇多田ヒカルのHP上のマスコミ用のメッセージを見ると
彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。
幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。
症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。
私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。
母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。
とあった。
父親の宇多田氏の影響も強くあるのだろう、あくまで冷静な発言であるが、私としては、母を失うまでの我が娘の心模様を理解する手がかりを与えられたようにも感じた。
母の死を告げる娘(当時は大学生だったろうか)の様子は、あまりに淡々としていて、無味乾燥な抑揚のない声で、憎々しいほどだったが、その原因は、やはり母の人間として崩壊していく過程を日々観察し、娘なりに「何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んで」きた末に、もはや涙も涸れたという段階で迎えた死だったからではないのか。
そういえば、まだ中学生の頃、母がどこかに行ったまま帰ってこないと私に電話を寄こしてきた時には、激しく動揺し、泣き崩れていたのだから、その頃は、まだ優しい母が復活するのではという期待もあったのだろう。
さて、宇多田ヒカルのメッセージの最後にはこう記されている。
母の娘であることを誇りに思います。
彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
母とのこれまでの関係で背負わなければならなかった苦悩を昇華した、実にいい言葉だと思う。
HPのメッセージを無断で転用したことを謝するとともに、深い哀悼の意を表したい。
番組で取り上げられていたある女性の例を取り上げてみよう。
──震災直後のある日、鍵のかかる靴箱にいれたブーツに、誰が置いたのか、今切り取られたばかりのような瑞々しさを保った白い花が添えられてあった。
その白い花は、二週間後に送られてきた父の遺体の棺に飾られた花と同じものだった。
父親の遺体に触れたかったが、顔の輪郭が崩れないようにという配慮から叶わなかった。
それでも、白い花の冷たくやわらかい感触は、実際には触れることのできなかった父の遺体の感触にも通じている。──
死にゆく者を看取り、その喪失を悲しみとともに受け入れていくことを「グリーフワーク」というが、不意の震災では、ゆっくり時間をかけて悲嘆に沈むことなどできない。
その不全感を取り除こうとして、遺された人々は、もう一度死者と会うことを果たすかのように、美しく切ない物語を編み出していく。
いや、生者だけではない。死者もまた遺された人々の心を癒すために、この世のものとは思えぬ物語を生者の世界に送り届けてくるのだ。
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数日前、投身自殺した藤圭子の娘である宇多田ヒカルのHP上のマスコミ用のメッセージを見ると
彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。
その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。
幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。
症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。
私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。
母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。
とあった。
父親の宇多田氏の影響も強くあるのだろう、あくまで冷静な発言であるが、私としては、母を失うまでの我が娘の心模様を理解する手がかりを与えられたようにも感じた。
母の死を告げる娘(当時は大学生だったろうか)の様子は、あまりに淡々としていて、無味乾燥な抑揚のない声で、憎々しいほどだったが、その原因は、やはり母の人間として崩壊していく過程を日々観察し、娘なりに「何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んで」きた末に、もはや涙も涸れたという段階で迎えた死だったからではないのか。
そういえば、まだ中学生の頃、母がどこかに行ったまま帰ってこないと私に電話を寄こしてきた時には、激しく動揺し、泣き崩れていたのだから、その頃は、まだ優しい母が復活するのではという期待もあったのだろう。
さて、宇多田ヒカルのメッセージの最後にはこう記されている。
母の娘であることを誇りに思います。
彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
母とのこれまでの関係で背負わなければならなかった苦悩を昇華した、実にいい言葉だと思う。
HPのメッセージを無断で転用したことを謝するとともに、深い哀悼の意を表したい。