濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

健康で文化的な、余りに健康で文化的な

2007-05-05 02:30:26 | Weblog
禁煙して半年が経った。愛煙時代の銘柄はキャスター・マイルド(写真)だった。
なぜ禁煙したかといえば、もちろん命の危険にさらされたからだが、今となっては
煙草ヲ吸ウコトヨリ、生キルコト(息ヲ吸ウコト)自体ニ快感ガ得ラレルヨウニナッタカラ
と答えた方がよさそうだ。

堀越勇「くすりの裏側」(集英社文庫)によれば、禁煙すると、退薬症候群といって、苛立ち、敵意、不安、不快またはウツ、集中力の低下、落ち着きのなさ、心拍数の減少などといった症状が起こるらしい。堀越氏自身も、相当なヘビースモーカーだったそうで、「禁煙直後は精神的に不安定になり、檻の中の動物が同じ所をウロウロするような心理状態が続いて、思考がまとまらず、文章が書けなくなった」という。
私の場合も、ほとんど同じ症状だったが、相手を煙に巻いて何とか保っていたセルフ・アイデンティティなるものが危うくなってしまったような気がした。そして、否応なしに生活というピッチに再び戻されたとき、それまでのフルバックからミットフィルダーへと、いささか攻撃モードに変わってしまったように思われた。
それで、はたして「健康」になったのかといえば、禁煙とウォーキングとで食事が美味しくなり、その結果、体重が増え、医師の戒めるところの肥満体型に近づきつつあるから、なかなか難しいものである。
そういえば、先日は憲法記念日、ちょうどジェームス三木の「憲法はまだか」(角川文庫)を読み終わったところだが、日本国憲法第二十五条第一項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は、アメリカ直輸入の(GHQの草案による)ものではなく、当時の社会党の発案に即したものだというから、純日本製である。
当時は、「健康」も「文化」の程度も経済的状況とほぼ比例関係にあったのだろうが、最近は、「健康」といい「文化」といい、そのあり方はずいぶん多様化してきているように思われる。グルメの果ての肥満やメタボリックシンドロームが「健康で文化的」なのか、英才教育の果てのニートやひきこもりが「健康で文化的」なのか、憲法が還暦を迎える中で。「平和」だけではなく「健康」や「文化」についても再考を要する段階になってきているのではないだろうか。にもかかわらず、「健康で文化的」を錦の御旗に振りかざすファシズム的傾向も強くなっているようで、現在は町中至る所が禁煙になっていく勢いである。
「不健康」や「反・文化」の要素もある程度は残しておくほうが、案外「健康で文化的」なことのように思われるが、どうだろうか。