縁あって一冊の書をある歌人から贈られた。
歌人はその書で筆を絶ったS氏の事情を謎として取り上げているが、その一節に
「彼がそうせざるを得ない状況を私は憎む」
という引用がされていた。
「そうせざるを得ない状況」──S氏がなぜ筆を絶ったのか、その事情は私もよく知らない。
ただ、この文章を読んで、急に私の当時の状況がよみがえってきた。
当時、1970年代後半、私は生活を虚構とみなして無視し、多く読み、多く感じ、多く考えることに専念していた。
あるいは素手で社会に対峙しようとしていた。
だが、その後、今から振り返れば、高度資本主義の流れに急速に巻き込まれていったようだ。
当時の「私」から見れば、現在の「私」こそが、足場のない虚構に立っているように見えるだろう。
次の詩はS氏の影響を受けて書かれたもので、急速に転位する当時の心境を伝える唯一の資料となるものだ。
「霧へ」という言葉が聖歌の「キリエ(神よ憐れみ給え)」という響きと重なって感慨深い。
うつむいてのち
うけてたつ 命
静かに
なにもつかめなかった なにものも
ただ空白を 手に握りしめたまま
霧へ 霧へ
晒せの方位へと
沁みてくる風に 心は揺らぎ
記憶を撫でるように
追うように 揺らぐが
ひろがりゆく荒涼
なお、アップした後で、すでに「霧へ」というタイトルのブログが作られていたことに気づいた。
それでも、取り上げる角度が少し違うと思うので、あえて掲載することにした。
歌人はその書で筆を絶ったS氏の事情を謎として取り上げているが、その一節に
「彼がそうせざるを得ない状況を私は憎む」
という引用がされていた。
「そうせざるを得ない状況」──S氏がなぜ筆を絶ったのか、その事情は私もよく知らない。
ただ、この文章を読んで、急に私の当時の状況がよみがえってきた。
当時、1970年代後半、私は生活を虚構とみなして無視し、多く読み、多く感じ、多く考えることに専念していた。
あるいは素手で社会に対峙しようとしていた。
だが、その後、今から振り返れば、高度資本主義の流れに急速に巻き込まれていったようだ。
当時の「私」から見れば、現在の「私」こそが、足場のない虚構に立っているように見えるだろう。
次の詩はS氏の影響を受けて書かれたもので、急速に転位する当時の心境を伝える唯一の資料となるものだ。
「霧へ」という言葉が聖歌の「キリエ(神よ憐れみ給え)」という響きと重なって感慨深い。
うつむいてのち
うけてたつ 命
静かに
なにもつかめなかった なにものも
ただ空白を 手に握りしめたまま
霧へ 霧へ
晒せの方位へと
沁みてくる風に 心は揺らぎ
記憶を撫でるように
追うように 揺らぐが
ひろがりゆく荒涼
なお、アップした後で、すでに「霧へ」というタイトルのブログが作られていたことに気づいた。
それでも、取り上げる角度が少し違うと思うので、あえて掲載することにした。