濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

霧へ 2018

2018-10-23 17:24:44 | Weblog
縁あって一冊の書をある歌人から贈られた。

歌人はその書で筆を絶ったS氏の事情を謎として取り上げているが、その一節に

「彼がそうせざるを得ない状況を私は憎む」

という引用がされていた。
「そうせざるを得ない状況」──S氏がなぜ筆を絶ったのか、その事情は私もよく知らない。
ただ、この文章を読んで、急に私の当時の状況がよみがえってきた。
当時、1970年代後半、私は生活を虚構とみなして無視し、多く読み、多く感じ、多く考えることに専念していた。
あるいは素手で社会に対峙しようとしていた。
だが、その後、今から振り返れば、高度資本主義の流れに急速に巻き込まれていったようだ。
当時の「私」から見れば、現在の「私」こそが、足場のない虚構に立っているように見えるだろう。

次の詩はS氏の影響を受けて書かれたもので、急速に転位する当時の心境を伝える唯一の資料となるものだ。
「霧へ」という言葉が聖歌の「キリエ(神よ憐れみ給え)」という響きと重なって感慨深い。

うつむいてのち 
うけてたつ 命
静かに
なにもつかめなかった なにものも
ただ空白を 手に握りしめたまま
霧へ 霧へ
晒せの方位へと

沁みてくる風に 心は揺らぎ
記憶を撫でるように 
追うように 揺らぐが

ひろがりゆく荒涼


なお、アップした後で、すでに「霧へ」というタイトルのブログが作られていたことに気づいた。
それでも、取り上げる角度が少し違うと思うので、あえて掲載することにした。

再開・再会

2018-10-10 03:32:44 | Weblog
長き休眠状態を脱して、まったくのひさしぶりにブログに向かうことにした。
ようやくにして、古希を祝う同期会の幹事の任務から解放され、少し時間が取れるようになったからである。
同期会……恩師や同期生と再会して過去が豊かになった分、現在と未来がおろそかになったような気もする。
それにしても、北海道の故郷の衰退が懸念される。

有限なゲノム情報にもとづきながら、生命体は個体ごとに異なり、一個体のうちにも多種多様な細胞を有し、全体として無限とも思われる多様性を表現している。

先日、ノーベル賞を受賞した本庶佑先生の言葉である。
有限である人間が無限の多様性を目指していく、ここに生命の不思議がある。
故郷もまた、衰退に身を任せるだけでははない。
どこかに無限の多様性に立ち向かうエンジンが見つかるはずだ。

その手がかりの一つとして、廃校を利用した美唄のアルテピアッザを紹介しておこう。
そこには、石と風と樹々のそよぎがあった。