心に廃墟を感じるときがある。
私の中で、こうした気分はいつごろから生まれてきたものなのか。
振り返れば、カラフトで炭鉱の仕事をして日本に戻ってきた父は、我々子どもを容易に寄せつけない異邦的な感じを漂わせていたが、夜更けに一人で沈黙したまま窓辺で佇んでいる姿は、幼な心に廃墟を胸中に抱いているようにも感じ取られたことに由来するのかもしれない。
虚無にたどりつくためには、生への郷愁(ノスタルジア)がまだ濃厚に残っている──そんな息苦しさから逃れるために、父は窓を少し開け、夜風に当たっていた、そんな気がしないでもない。
やがて一家は廃鉱という状況に追い込まれ、廃鉱の町を離れるわけだが、たまに町を訪れ、赤さびた鉄路が、生い茂る夏草の中に埋もれているのを見たとき、こうした荒廃した光景が、どこかささくれだった気分を鎮め慰めてくれるようにも感じたものだ。
だから、周囲に「滅びの美学」を唱える方がいたり、「何も残さずに消えさりたい」という方がいたりしても、特別の違和感はない。
そういう方々は、ひょっとすると資本主義の退廃の行方を告知しているのかもしれないのだ。
ちなみに「滅ぶ」とは、ほろほろと涙がほおを伝わり、あるいは、ほお骨がほろほろと崩れ去ることを示す擬態語から、一方の「消える」は「気」がなくなることから来た言葉だという説が有力らしい。
あるのかないのか定かならぬ「気」までがなくなるというのだから、そこには感情移入などは許されないのだろう。
いまや「廃墟」がブームにもなっていて、愛好家は廃墟のさまざまな写真を撮っているようだが、時として、使われていた家具や、飾られていた人形などが放置されている写真も見つかることがある。
滅び消えたはずの人々の生活のなまなましい痕跡に出会うことが、文明に飽きた現代人の好奇心をくすぐるのかもしれない。
三井美唄炭鉱変電所跡
私の中で、こうした気分はいつごろから生まれてきたものなのか。
振り返れば、カラフトで炭鉱の仕事をして日本に戻ってきた父は、我々子どもを容易に寄せつけない異邦的な感じを漂わせていたが、夜更けに一人で沈黙したまま窓辺で佇んでいる姿は、幼な心に廃墟を胸中に抱いているようにも感じ取られたことに由来するのかもしれない。
虚無にたどりつくためには、生への郷愁(ノスタルジア)がまだ濃厚に残っている──そんな息苦しさから逃れるために、父は窓を少し開け、夜風に当たっていた、そんな気がしないでもない。
やがて一家は廃鉱という状況に追い込まれ、廃鉱の町を離れるわけだが、たまに町を訪れ、赤さびた鉄路が、生い茂る夏草の中に埋もれているのを見たとき、こうした荒廃した光景が、どこかささくれだった気分を鎮め慰めてくれるようにも感じたものだ。
だから、周囲に「滅びの美学」を唱える方がいたり、「何も残さずに消えさりたい」という方がいたりしても、特別の違和感はない。
そういう方々は、ひょっとすると資本主義の退廃の行方を告知しているのかもしれないのだ。
ちなみに「滅ぶ」とは、ほろほろと涙がほおを伝わり、あるいは、ほお骨がほろほろと崩れ去ることを示す擬態語から、一方の「消える」は「気」がなくなることから来た言葉だという説が有力らしい。
あるのかないのか定かならぬ「気」までがなくなるというのだから、そこには感情移入などは許されないのだろう。
いまや「廃墟」がブームにもなっていて、愛好家は廃墟のさまざまな写真を撮っているようだが、時として、使われていた家具や、飾られていた人形などが放置されている写真も見つかることがある。
滅び消えたはずの人々の生活のなまなましい痕跡に出会うことが、文明に飽きた現代人の好奇心をくすぐるのかもしれない。
三井美唄炭鉱変電所跡