濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

林教授への賛辞

2012-06-30 19:43:20 | Weblog
私にとって非常に間接的な形であるが、「命の超恩人」とでもいうべき方が、日大医学部教授の林成之教授だ。
私が心筋梗塞による心肺停止状態で路上で倒れたとき、搬送された日大病院で施されたのが脳低温療法(昏睡状態患者を知能障害なしに治すことが出来る)で、林教授はその開発者だ。
林教授は、生命倫理学者の森岡正博氏との対話で次のように語っている。

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(心臓が止まった患者さんに対して)僕らは医学の常識を破って、対外ペースメーカーで心臓を動かしながら、心臓が止まった原因の心臓の栄養血管(冠状動脈)の閉塞部位を体外バルーン法で、心臓への血流を回復させた後、脳低温療法で脳の回復治療を始めました。
すると、心臓は止まったままなのに、翌日、脳波が出てきました。
それで、いつまで治療を続けるか討議になりました。
僕は、「脳波が出ているから、止めたら殺人罪になる」といいました。
しかしみんなは、「心臓が止まったらそれは『死』だと社会的には言われています」という意見で、結局紛糾しました。
どうしたらいいか結論が出ないので、「いけるところまでいく」と、自分が責任とるかたちで決めさせていただきました。
ところが、4日後に心臓が動き出して、その患者さんは結局社会復帰しました。
(「脳科学は何を変えるか」)
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じつは、私も3日間、生死の境をさまよったのだから、読んでいくうちに、とても人ごとではないような気になってきた。
それにしても、脳というものがいかに可塑性に富んだものか!
実際、脳の温度を調整することによって、脳細胞の再生の試みもされているということだ。
さて、同じ対談の中で、林教授の若かりし頃の輝かしい(?)武勇伝も語られていた。

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僕はアメリカで、3時間睡眠の状態で研究を1ヶ月続けていたら、ストレスで突発性心停止を起こし8秒近く、心停止したことがありました。
そのあと、1ヶ月近く、廃人になりました。
あんなに情熱を燃やした学問がどうでもよくなり、医療もどうでもよくなり、ひたすら「人がいるところで死にたい」とのみ、思っていました。
生死をさまよった自分が感じたのは、人間はやっぱり生き物だということです。
そんなに立派なものではありません。心臓が止まると、焦ります(笑)。
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なるほど、こんな経験がやがて脳低温療法に結実したのかと、腑に落ちた次第である。
さて、そんな先生の人柄は次のような部分にも現れているのではないだろうか。

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「頭が良くなる」とは、記憶力や、そんなことだけで決まっているのではなくて、いかに新しいものを生み出すかとか、いかにすばらしい気持ちを持てて、その人がいるだけでみなが幸せになるだとか、そういう総合的なことをいうのだと思います。
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「頭の良さ」とは人を幸せにさせる力であるという説は、意外であるが新鮮でもある。
あるいは、私も他人を幸せにする「良き頭(脳)」を持っているのかもしれない。
自分の命がよみがえったことをいまさらながら感謝し、喜びたい気持ちがしてきた。

もう一人の自分を作り出すために

2012-06-13 17:01:38 | Weblog
人生何度目かの大ピンチに直面しているが、それでもなけなしの勇気をふりしぼって懸命に生きようとしている。
そんなとき、若きサイエンティスト、池谷裕二氏の脳科学関連の著書から、貴重なヒントをもらった。
自分とはまったく無縁な世界で興味もなかったが、解離性同一性障害、いわゆる多重人格について、彼はこう述べているのだ。

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一見、奇抜に思える「解離性同一性障害」ですが、記憶喪失の一種と見なせば見通しがよくなります。
つまり、ある人格が現れる時には、別の人格の「記憶」が抑圧されるわけです。
だから人格が複数あるように見えるのです。
オランダのラインデルス博士の最新データを見ると、異なる人格の時には異なる脳部位が活動していることが分かります。
疾患の解明にはまだまだ研究が必要ですが、私は「1個の脳に複数の人間が同居できる」という事実に、脳の深い潜在性を感じます。
普段、私は自分一人を演じるだけで精一杯ですが、実のところ、ただ一人の人間を生きるだけならば、こんなに巨大な脳など必要ないかもしれないのです。
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たしかに、Aなる人格用のニューロンの回路、Bなる人格用のニューロンの回路・・・がそれぞれ独立して同じ人間の脳で活動していてもおかしくはない。
これまで築き上げてきた自分の人格がつらく感じられるのであれば、次の自分の人格に乗り換えればいいだけの話なのかもしれないが、実際に解離性同一性障害者の体験を聞くなら、そう自在には乗り換えることはできず、朝目覚めたら、不意に別な人格に変わっているということがあるそうだ。
また、複数の人格を一つに統合しようとすれば、かえって負荷がかかえって、悪化するのだともいう。
とはいえ、一つの人格で誠実に生きてきて、どうしようもない壁にぶつかっても悲嘆に暮れることはない、別の人格を作り上げるだけのキャパシティーが人間の脳には備わっているということ、そこには何ほどかの希望が見出されるように思われる。
「人が変わったようだ」などの表現が使われ、また、「火事場の馬鹿力」ということもあり、人間も窮地に立たされたなら、別な人格や能力が起動してくるのではないか。
もう一人の自分の出現を、私もまた仕掛けていかなければなるまい。

科学映像館 MEDICAL Neuron ニューロン

気分は未解決

2012-06-02 10:19:07 | Weblog
NHKスペシャル「未解決事件」で オウム真理教を扱った番組を見た。
時間の経過とともに記憶が風化していく中で、新たな遠近法からこれまでとは異なる眺望が開けるかと期待したが、目からウロコの衝撃はなかった。
未発表の資料を多く入手していながら、核心にまで迫るのは至難の業なのだろう。
奇しくも、現在に至るまでなぜ「未解決」なのかが、改めて実感されることになったが、それとともに、新宗教といっても、それはバブル経済の中で咲いたあだ花にすぎなかったのではないかという疑惑が浮上してきた。

番組に対するさまざまな反響にも目を通してみたが、第七サティアンが福島の崩れた原発に見えたとか、信徒達が原発事故の処理に追われる白服の作業員に見えたとか、やはり原発事故のトラウマを引きずった回答が目に付いた。

上九一色村と福島・・・科学技術のうさんくささ、むきだしの白々しさが、「リアル」であるがゆえに「バーチャル」な風景を現出させているようにも思われてくる。
かつて、吉本隆明は次のように述べている。

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何の関係もない人を無差別に殺害するということを許すのかと反論されたのですけれども、許すということじゃなくて、それとは違う次元の倫理の問題を提起しているんだと、少なくとも僕はそういうふうに理解してきたんですね。
ですから、市民の一員としての自分が断罪することとは別にもう一つ、倫理がどうなっていくかを考える自分に対しては、未解決の問題を突きつけられたなという感じがとても強いのです。
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「違う次元の倫理の問題」についての洞察がなく、普通の市民感覚にとどまり、どこにでもありがちな集団心理のトラブルとして片付けてしまうなら、妙な懐かしさだけが目立ってしまい、多くの視聴者を納得させる番組にはなっていかないだろう。