吉本隆明の没後、彼の業績を偲ぶ特集がいくつか編まれているが、「さよなら吉本隆明 (文藝別冊/KAWADE夢ムック) 」もその一つで、そこには往年、親交のあった鮎川信夫の「固窮の人」も掲載されていた。
吉本との初めての出会いから、安保闘争の頃にかけての出来事を回想した未完のエッセイだが、その末尾には
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「べんけい」(吉本につけられたあだ名)と思いたい人は、一度敗北に終わった安保闘争前後に書かれた彼の文章を読んでみるとよい。
政府をはじめあらゆる公権力からマス・コミ、保守主義者はもちろん、社会党、共産党、国民会議、市民民主主義者、構造改良派、反帝反スタ派等々、どこを見回しても味方は一人も見当たらぬ戦場で、満身創痍になりながら奮戦している生身の思想の活劇を、手に汗を握りながら観戦することができる。
そして、破壊された一枚の門扉をまえにして、自己の思想について最後の自問自答を試み、ついに立ち往生している「べんけい」を眺めて、涙が出るまで笑いころげることも可能である。
吉本隆明は、たしかにこの時、一度は死んだのである。
祝杯を挙げたり、葬式を出したりするのはまだ早いが……。
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とある。
六〇年安保から半世紀も過ぎ、今度こそとうとう吉本は死んだのだが、3.11以降、多くの敵に囲まれ、さらにはこれまで同調していた評論家、学者にまで背かれ、人類史と科学文明の未来について自問自答を試み、立ち往生しつつも、容易にはぶれることがなかった点では、やはり「べんけい」的な構図は変わらなかったようにも思える。
ところで、エッセイのタイトル「固窮の人」とは、論語の衛霊公篇にある一節によるもので、
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食糧不足のため弟子はみな病気のようになり、立ち上がることもできない。
弟子の子路が怒って、孔子に向かってこう尋ねた。
「君子でも食に窮することがあるのでしょうか」と。
そこで孔子は「君子固窮(君子もとより窮す)」──「君子であろうともちろん窮することはあるが、小人は窮すると取り乱してしまうものだ」と答えた。
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という文脈の中で登場している。
確かに、吉本もまた、人一倍、多くの難題を抱え、老いに直面しながらも、ぶれることがなかったという点では、やはり「固窮の人」というべきだろう。
それにくらべれば、厳しい状況に追い込まれているとはいえ、自分はまだまだ「困窮の人」にとどまっているにすぎない。
吉本との初めての出会いから、安保闘争の頃にかけての出来事を回想した未完のエッセイだが、その末尾には
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「べんけい」(吉本につけられたあだ名)と思いたい人は、一度敗北に終わった安保闘争前後に書かれた彼の文章を読んでみるとよい。
政府をはじめあらゆる公権力からマス・コミ、保守主義者はもちろん、社会党、共産党、国民会議、市民民主主義者、構造改良派、反帝反スタ派等々、どこを見回しても味方は一人も見当たらぬ戦場で、満身創痍になりながら奮戦している生身の思想の活劇を、手に汗を握りながら観戦することができる。
そして、破壊された一枚の門扉をまえにして、自己の思想について最後の自問自答を試み、ついに立ち往生している「べんけい」を眺めて、涙が出るまで笑いころげることも可能である。
吉本隆明は、たしかにこの時、一度は死んだのである。
祝杯を挙げたり、葬式を出したりするのはまだ早いが……。
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とある。
六〇年安保から半世紀も過ぎ、今度こそとうとう吉本は死んだのだが、3.11以降、多くの敵に囲まれ、さらにはこれまで同調していた評論家、学者にまで背かれ、人類史と科学文明の未来について自問自答を試み、立ち往生しつつも、容易にはぶれることがなかった点では、やはり「べんけい」的な構図は変わらなかったようにも思える。
ところで、エッセイのタイトル「固窮の人」とは、論語の衛霊公篇にある一節によるもので、
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食糧不足のため弟子はみな病気のようになり、立ち上がることもできない。
弟子の子路が怒って、孔子に向かってこう尋ねた。
「君子でも食に窮することがあるのでしょうか」と。
そこで孔子は「君子固窮(君子もとより窮す)」──「君子であろうともちろん窮することはあるが、小人は窮すると取り乱してしまうものだ」と答えた。
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という文脈の中で登場している。
確かに、吉本もまた、人一倍、多くの難題を抱え、老いに直面しながらも、ぶれることがなかったという点では、やはり「固窮の人」というべきだろう。
それにくらべれば、厳しい状況に追い込まれているとはいえ、自分はまだまだ「困窮の人」にとどまっているにすぎない。