濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

「固窮の人」/「困窮の人」

2012-07-26 23:37:59 | Weblog
吉本隆明の没後、彼の業績を偲ぶ特集がいくつか編まれているが、「さよなら吉本隆明 (文藝別冊/KAWADE夢ムック) 」もその一つで、そこには往年、親交のあった鮎川信夫の「固窮の人」も掲載されていた。
吉本との初めての出会いから、安保闘争の頃にかけての出来事を回想した未完のエッセイだが、その末尾には

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「べんけい」(吉本につけられたあだ名)と思いたい人は、一度敗北に終わった安保闘争前後に書かれた彼の文章を読んでみるとよい。
政府をはじめあらゆる公権力からマス・コミ、保守主義者はもちろん、社会党、共産党、国民会議、市民民主主義者、構造改良派、反帝反スタ派等々、どこを見回しても味方は一人も見当たらぬ戦場で、満身創痍になりながら奮戦している生身の思想の活劇を、手に汗を握りながら観戦することができる。
そして、破壊された一枚の門扉をまえにして、自己の思想について最後の自問自答を試み、ついに立ち往生している「べんけい」を眺めて、涙が出るまで笑いころげることも可能である。
吉本隆明は、たしかにこの時、一度は死んだのである。
祝杯を挙げたり、葬式を出したりするのはまだ早いが……。
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とある。
六〇年安保から半世紀も過ぎ、今度こそとうとう吉本は死んだのだが、3.11以降、多くの敵に囲まれ、さらにはこれまで同調していた評論家、学者にまで背かれ、人類史と科学文明の未来について自問自答を試み、立ち往生しつつも、容易にはぶれることがなかった点では、やはり「べんけい」的な構図は変わらなかったようにも思える。

ところで、エッセイのタイトル「固窮の人」とは、論語の衛霊公篇にある一節によるもので、

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食糧不足のため弟子はみな病気のようになり、立ち上がることもできない。
弟子の子路が怒って、孔子に向かってこう尋ねた。
「君子でも食に窮することがあるのでしょうか」と。
そこで孔子は「君子固窮(君子もとより窮す)」──「君子であろうともちろん窮することはあるが、小人は窮すると取り乱してしまうものだ」と答えた。
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という文脈の中で登場している。
確かに、吉本もまた、人一倍、多くの難題を抱え、老いに直面しながらも、ぶれることがなかったという点では、やはり「固窮の人」というべきだろう。
それにくらべれば、厳しい状況に追い込まれているとはいえ、自分はまだまだ「困窮の人」にとどまっているにすぎない。



「うしろに誰かいる」という気配──宮沢賢治の場合

2012-07-15 00:10:56 | Weblog
柴山雅俊『解離性障害──「うしろに誰かいる」の精神病理』を興味深く読んだ。
筆者は解離性障害の基本に「離隔」があるとして、次のように説明している。

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離隔とは自己、自己身体、ないしは外界からの分離感覚によって特徴づけられる意識変容を表す言葉である。
患者は「ボーッとなっている」とか、「離れている感じがする」、「夢の中にいるようだ」と表現する。
「自分がここにいるとか、何かをしているという実感がない」といった離人症状、外界については「物をみてもそこにあるという実感がない」、「平面的に見える」、「膜を通して見ているようだ」などと表現される疎隔症状がある。
身体面では軽度の場合には「自分のからだが自分のからだという実感がない」という体験になるが、身体からの分離感覚が著しくなると体外離脱体験を呈するようになる。
体外離脱体験において自己の姿が見えることはよくある。このような文脈からすれば自己像視も離隔に含めることがあってもよい。一般に解離性離隔は、脅威を感じる状況において肉体的逃避がかなわないときにみられる心的逃避に類似している。
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このように説明されると、解離性障害が、一般人の「正常」な心理とはまったく無縁ではありえないと思えてくるはずだ。
そして、筆者は「解離性障害」の傾向をもった人間の代表例として、宮沢賢治を取り上げている。たとえば、その初期には

  ぼんやりと脳もからだも うす白く 消え行くことの近くあるらし

などという離人症的な徴候を示す短歌が見られるといい、さらに、「林と思想」という心象スケッチでは

  そら、ね、ごらん/むかふに霧にぬれてゐる
  蕈(きのこ)のかたちのちいさな林があるだらう/
  あすこのとこへ/わたしのかんがへがずゐぶんはやく流れて行って/
  みんな/溶け込んでゐるのだよ/
  こゝいらはふきの花でいっぱいだ

というように、「ここ」から「むかふ」「あすこ」への体外離脱的な体験が示されているというのだ。

そういえば、有名な「春と修羅」の一節に

  けらをまとひおれを見るその農夫
  ほんたうにおれが見えるのか

とある。
自然との濃密な交流を幻想的に描く賢治の詩とは異質な、他者と対峙する強烈な自我、あるいは農夫から疎外された知識人的な孤独感が示されているように読み取れ、これまで違和感を強く抱いてきたのだが、賢治の「解離性障害」の資質も重ね合わせてみれば、「農夫」とはひょっとして彼の分身ではなかったのかと思われてくる。
筆者の言葉で言えば、「農夫」は「気配に対する過敏性、被注察感」の産物ということになるのではないだろうか。
賢治の「並外れて自在な目のおき方」とは、そうした資質を代償として得たものだったのだろう。