濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

GO GO! 介護2(臓器移植と臓器増殖)

2013-06-29 11:26:52 | Weblog
骨折した元義母を娘とともに病院に見舞うことにした。
娘の話によると「おかあさんもこの病院で息を引き取った」というから、不思議な巡り合わせで、紆余曲折の歳月を経て、昔の家族が再会することになったわけだ。

元義母は端整な顔立ちのまま、意外に元気そうな表情でベッドから上半身を起こして迎えてくれたので、ひとまず安心した。
手術の経過も順調で、すでに歩行訓練をし始めているらしいが、金属製のボルトという異物を股関節に入れているため、やはり動かすたびに痛みが走るという。
そのボルトはいずれは摘出したほうがいいらしいのだが、年齢を考えるとどうなのだろうか。
形式ばかりのねぎらいの言葉を交わして、早々に退室することにしたが、そういえば、私もバイパス手術を終えた後、体に異物感を覚えた記憶がある。
私の場合は、自分の足の血管を心臓にコンバートしただけの「自家移植」だから、異物感というほど大げさなものではないのだろうが、それでも自分のアイデンティティが微妙に揺らぐのを感じたものだ。

ここで、唐突ながら、心臓移植について触れておこう。
患者(レシピエント)は性も民族も年齢もまったく明かされない見知らぬ脳死者(ドナー)の心臓を移植されるわけだが、そのとき、人格的な変容をもたらされることもあるという。
レシピエントであるフランスの哲学者、ジャン=リュック・ナンシーの貴重な発言を紹介しておく。

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この贈与(=臓器の提供)が、人間にとっての基本的義務になったというのは疑いえないことだし、それが血液型の不適合という以外の何の限定もなく(とりわけ、性的、あるいは人種的な限定はなく、そのためわたしの心臓は黒人女性のものであるかもしれない)、生/死が分かち合われるネットワーク、生が死と接合され、通い合うことのできないものが通い合うネットワークというものの可能性を、万人の間に設定したということも疑いえない。
(中略)
わたしを治癒させるものが、わたしを害し、あるいは感染させ、わたしを生きさせるものが、時満たずわたしを老いさせるのだ。
……わたしは病気でかつ医学であり、わたしはガン細胞で移植臓器であり、わたしは免疫抑制剤でかつその緩和剤であり、わたしは自分の胸骨をとめる針金の切れ端であり、わたしは鎖骨の下に恒常的に縫い合わされた注入部位である。
それに、以前は、腰のこのネジであり、腋のこの板だった。わたしはSFに出てくるアンドロイドのようなものになり、あるいは、わたしのいちばん下の息子がある日言ったように、生きた死人になる。
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ここでは、他者(脳死者)の臓器の進入によって、もはや
「わたし(の身体)」=「わたし」
という統一感がもてなくなったときの心境が語られている。
ご存じのように、免疫作用は、自分でないものを排除しようとするから、臓器移植においては、それを免疫抑制剤で食い止めなければならず、
「見知らぬ死者の臓器」=「わたし」
という受容まで強いられることになる。

ここで、もう一つ、「臓器移植」というよりは「臓器増殖」ともいうべき妊娠の構造について考えてみたい。
妊娠も、母体からすれば、他者(胎児)が侵入し、増長する現象だとも考えられるが、そのとき、母体では、異物を拒絶するはずの免疫作用が「トレランス(寛容)」という天の配剤のために抑制されてしまうのだ。
そればかりか、母体は
「わたし」=「あなた(胎児)」
という未来への希望を伴った母子一体感さえ味わうことが出来るのだ。
当面は、医学の発展に驚くよりも、自然の奥深いマジックに敬意を表すべきかもしれない。


GO GO! 介護

2013-06-22 11:40:15 | Weblog
6月某日、娘からの緊急電話で、
「オバアチャンが骨折して救急車に運ばれ、入院した」
との連絡が入った。
八十を超えたが特に病気もせず気丈夫だったオバアチャン、そのときも重いタマネギをご近所にお裾分けするところだったという。
こんなことになるとは想像していなかっただけに、娘の動揺も大きい。
「オジイチャンは、介護などイヤだといっていて、困っちゃう。オバアチャンより心配だよ」
とぼやいている。
オジイチャンの場合、そろそろ認知症の症状が見られ、足腰も不自由であるにもかかわらず、外出しようとするらしい。やはり、すでに要介護の段階だろう。
娘と祖父祖母の三人で何とか平穏な暮らしを保ってきたのが、もろくも崩れ始めたのだ。

翌日、私は娘たちの住むH市に赴き、娘と一緒に高齢者福祉関連施設の窓口で相談してみた。
「男性の場合、最初、介護をいやがる人は多いんです。でも、慣れてくると、デイケアでは年下の女性も多く、色ぼけというんですか、すっかり張り切ってしまう方もいますから、それほど心配しなくてもいいのでは」
と担当の女性は、まるで鬼の首を取ったかのような表情で話す。
「年下の女性」というのが少しひっかかったが、全国の後期高齢者(男性)諸君になりかわり、ついつい謝りたくなるような勢いだ。
とりあえず、介護認定を受けた方がいいということで、その足で、今度は市役所に出向き、申請書類を作成した。
お役所仕事という言葉が残っているが、最近の事情はだいぶ違ってきて、かなりインターフェイスは良くなっており、むしろ、ファストフードの店員をしのぐほどの丁寧さで応対してくれる。

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住民と役所との力関係の変化は高度経済成長後の個人の経済的な力の増大がその土台にある。その変化を加速したのがIT技術の発達だ。役人はうかつなことをいうと、たちまちネット上で血祭りにあげられる。
(ニュース逆さ読み)
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市役所からの帰り、雨のそぼ降る中、私たちは今後のことを話し合ったが、仕事にも慣れ、転勤で通勤が楽になったと喜んでいた娘だが、これから先、祖父祖母二人の老後をどう背負っていくのか、とりあえずは介護休暇をとるということだが、途方に暮れているようだ。
これからもオバアチャンの手術、それが順調にいったなら、リハビリ用の病院に転院と気ぜわしい日々が続きそうだ。
それでも、娘のMIXIをのぞいてみると、

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ジイチャンのための今日の夕飯は鮭のちゃんちゃん焼きでございま~す。
人参・玉ねぎ・アスパラ・椎茸・ジャガイモ・コーンが入って栄養満点ザマス。
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とあった。
苦境を何とかギャグでかわしているようで、さすが、血のつながりは争えないものだと痛感した。

水無月に寄せて

2013-06-15 01:12:26 | Weblog
徳永進氏は「野の花診療所」というホスピスに働く医師だが、彼によれば、言葉には「一の言葉」と「二の言葉」があって、
「一の言葉」は形式的で硬直した言葉で、たとえば
「脳死」も「尊厳死」も、あるいは
「あなたの権利ですから選択してください、今はそういうことになっておりますから」
という押しつけがましい言葉、さらには、
隣で寝てほしいとねだる末期ガンの夫に対して「ここは病院やから」
と拒否する妻の言葉も該当するという。
これに対して「二の言葉」は心の通う温かい言葉で、たとえば
「空」も「星」も「風」も「木」も、あるいは
「おはよう」「ゆか、お帰り、勉強しょうるか」という何気ない挨拶もその仲間だという。
そして、筆者は「日本の死の文化がやせ細ってきているのは、死に対して過緊張になるあまり、『二の言葉』を忘れ、全てを『一の言葉』だけで対処しているからではないか」と指摘している。
さすがに末期医療に長く携わっている医師だけあって、説得力に満ちた発言である。
いまや「余命3ヶ月」とか「5年生存率40%」などと、
命を数値化することに何の違和感も抱かなくなっているのが我々の姿だ。

ところで、ここでぜひ書き留めておきたいことがある。
過日、さる女性画家から、五年前の紫陽花の季節に亡くなった人の鎮魂のためにといって

  悼みつつ 嘆きつつ描く 水無月の 白き画帳に 瑠璃を散らせり

という歌が贈られてきたのである。
最初は意味がたどれなかったが、教えられるうちに、紫陽花を描く瑠璃色の絵の具が、白い画帳に滴り落ちるときの質感が彷彿としてきて、死者の虚ろな心にそのまま染みこんでいくような「二の言葉」の塊として受けとめられた。
もとより故人とはまったく面識のない方であるが、その感応力というもののしなやかな勁さに驚かされた次第である。
故人になりかわり、改めて厚く御礼を申し上げたい。

さて、時節はようやく、いかにも梅雨らしい蒸し暑い日々を迎えているが、そうした風土が、死へのしっとりして柔らかな感性を我々にもたらしてきたのかもしれない。
そして、水無月といえば、やはりこの機会に添えておかねばならない、伊東静雄の絶唱「水中花」の一節を挙げておこう。
滅びの美学を過激に追求した浪漫派の詩人の一つの極点を示していると思う。

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今歳(ことし)水無月のなどかくは美しき。
軒端を見れば息吹のごとく
萌えいでにける釣しのぶ。
忍ぶべき昔はなくて
何をか吾の嘆きてあらむ。
六月の夜と昼のあはひに
万象のこれは自ら光る明るさの時刻(とき)。
遂ひ 逢はざりし人の面影
一茎の葵の花の前に立て。
堪へがたければ われ空に投げうつ水中花。
金魚の影も そこに閃(ひらめ)きつ。
すべてのものは吾にむかひて死ねといふ、
わが水無月のなどかくはうつくしき。


五年後の紫陽花の頃に

2013-06-06 01:26:19 | Weblog
今年はカラ梅雨ぎみの天候が続くが、それでも紫陽花の淡く咲く頃になった。
……その人が亡くなって早くも五年がたつ。
かたくなな気持ちは悲しい内側にしか向かわず、がんであるにもかかわらず病院嫌いを貫いて、潔く逝ってしまった。
そういえば、ハリウッドの女優が遺伝子検査で乳がん発症の確率の高さ(87%)を恐れ、乳房を切除したということが大きな話題となっている。
17番染色体に見出される乳がん遺伝子BRCA1のためである。
ハンチントン病(舞踏病)という、おもに中年になって発症する不治の遺伝病の診断を「知らされない権利」を主張して拒んだ女性生物学者のことも思い出されてくる。
同病は4番染色体に局在する遺伝子IT15の異常による。

どうやら我々は自分の運命のことについてまで、自己決定と自己責任が強要される時代に向かっているようだ。
──生まれるお子さんはダウン症の確率が高いのですが、生みますか、生みませんか?
──余命半年ですが、人工呼吸器をつけますか、つけませんか、胃ろうはどうされますか?
──尊厳死にしますか、それとも思い切って安楽死がいいですか?
──脳死状態ですが、ほかの患者さんに不要な臓器をさしあげてはいかがですか?
一時代前、透析装置が数少なかった時代、その恩恵にあずかる人を選ぶための会が設けられたのだが、それは「神様委員会」という名称だったそうだ。
いまや、一人ひとりが自分の運命の「神様委員」になりそうな勢いだ。
こんな状況を反映して、「就活」ならぬ「終活」という言葉までできて、遺書のこと、葬儀のこと、墓のこと、すべて前倒しして、生前に準備しておく動きが活発になっているようだ。
たしかに「仕切りたがり屋」にとっては、それ自体QOLが高まる「エンド・オブ・ライフ・ケア」なのかもしれない。

ということで、やはり、ここは、自己決定の後味の悪さを忘れるためのお口直しとして、チェロキーインディアン、ウィロー・ジョーンの最期を伝えなければならないようである。

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ウィロー・ジョーンは山のかなた、西の方角をじっと見つめている。
やがて彼は、精霊たちに遠い旅だちを告げる歌を歌いはじめた。死出の旅路の歌である。
のどの奥から漏れ出る低い声が徐々に高まり、ふたたび消え入るようにかぼそい声に変わっていった。
風の音なのかウィロー・ジョーンの声なのか、もはや区別がつかない。
のどの筋肉のふるえもしだいにかすかになり、それにつれて目の光が薄れていった。
魂が両目の奥へ吸いこまれるようにしりぞいてゆき、肉体を去ろうとしているのが見えた。
──そして、ついにウィロー・ジョーンは行ってしまった。
一陣の風がぼくらの頭上をかすめ、モミの老木の枝をたわめた。
「ウィロー・ジョーンだ」祖父が言った。
強い魂を葬送する風だった。ぼくらはそれを目で追った。
尾根の木々の梢をいっせいになびかせ、山腹を駆けくだってゆく。
カラスの群れが驚いて空に舞いたち、またひとかたまりに集まって、カアカア鳴きながらウィロー・ジョーンとともに山の斜面をなだれ落ちていった。
祖父とぼくはすわったまま、ウィロー・ジョーンが山波の向こうに消えてゆくのをいつまでも見送った。
「ウィロー・ジョーンはもどってくる」と祖父は言った。
風が吹けば、風の中に彼を感じるだろう。木々のそよぎに彼の声を聞くだろう。
(フォレスト・カーター「リトル・トリー」)
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