濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

面影橋幻影

2018-03-30 20:42:19 | Weblog
神田川に架かる橋の一つに「面影橋」というのがある。
「面影橋」という名だけでも由緒と情緒を十分に感じさせるが、桜の満開に咲き誇る頃、川沿いは見事な光景を映し出す。
私はその橋の名を「面影橋から」という昔のフォークソングで知るばかりだった。
しかし、それが東京に実在することをある女性から教えられ、いつか案内してほしいと頼んでいた。
先日、その女性に声をかけられ、夜桜を見ながら橋の周辺を二人で歩くことになった。



女性と知り合ってからすでに二十年近くの歳月が流れているーーあどけなさの残る女子大生から、すっかりキャリアウーマンに変貌した彼女の語る話は、夜桜の雰囲気とは場違いな仕事のことばかりで、職場から持ち帰った資料を入れたバッグを重そうに持ち歩いていた。
彼女の話によれば、男女共同参画社会のなかで、覇気のない草食系の若い男性を牽引する立場に立たされているというのだ。
紙媒体の時代からウェブの時代へと変化する情報産業の双方に精通する存在として重宝がられている彼女の姿からは、目立たないながら、現代日本の象徴的な一面が垣間見えたような気がした。



一方、彼女の話を聞く私はといえば、いまだに優しく奥ゆかしい女性の面影を探し続ける自称「旅人」のままである。
往時、こんな歌を作っていたのを思い出す。

──時は流れ、いまは春 夢はるかに かすみ立つ
雲は流れ 鳥は歌い 何思う 旅人よ

見つめ合った 瞳の奥の 愛は幻か
花の園を さまよえば──




どうやら時代はすっかり変わったようだ。
抒情などというものが存在価値を持ち得ない社会になるのも、もうすぐかもしれない。
できれば、「面影橋」という名にふさわしい感慨に浸ってみたかったのだが、その夜は、何かに追い立てられるようにして、都会の喧騒に戻ることとなった。

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プラチック2018

2018-03-24 10:21:08 | Weblog
新しい年度が始まる。
旅立ちへ、それにしてもどこへ?
とりあえず、多忙な合間にフェイスブックに投稿した、これまでの思考と画像の断片を寄せ集めてみた。




愛において我々が相手に与えているのは、本質的に我々がもっていないものです。(ジャック・ラカン)




ぼうや、ぼうやが見ているのは本当のぼうやではないんだ。
本当の自分っていうのは見えないものなんだよ。




朱の鳥居の並ぶ階段を降りていけば「身過ぎ」になり、昇っていけば「世過ぎ」になる。そんな因習がきっと夢に祀られている。(山王稲荷神社)




「何かを語るにいたるには、語る必要のない別のことがあるからである」(マシュレー)……語られる非在……「いずこへ旅立って行ったのか、既にあの部屋の寝台に横たわっていない、籐椅子にも腰を掛けていない彼」(串田孫一「青く澄む憧れ」)




心の特性は闇を必要とするところにある。(ハンナ・アーレント)

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