濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

一年の暮れは勝間和代で

2008-12-28 15:02:16 | Weblog
一年が暮れようとしている。
今年を振り返れば、私にとって、何といっても還暦のめでたい年だったのだから、スタンダールの自伝的作品、『アンリ・ブリュラールの生涯』にあるように、自分のズボンのベルトに

オレハ カンレキヲ ムカエタ

などという言葉を刻み付けるべきなのかもしれないが、高齢社会のご時世では、還暦は単に一つの通過点にすぎず、満足したり居直ったりするわけにもいかないようだ。
むしろ、変動の激しい状況の中、60年間蓄積してきた経験など何の役にも立たない「魂のグラウンドゼロ」に立たされているのだという自覚を持ったほうが、サバサバするようにも思われる。

というわけで、先日、現代の若者やサラリーマンに人気のあるビジネス本のベストセラー作家、勝間和代の

「効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法」
「勝間和代の日本を変えよう Lifehacking Japan」

という2冊を立て続けに読んでみた。
<反貧困>の代表的存在、雨宮処凛との対談など、時宜を得た企画も含まれており、大いに触発された。というより、うっすら予兆として感じていたことが、改めてリアルに意識されてきた。
著者は、本格的な情報社会と男女共同参画社会を見据えて、ポスト資本主義の方向を模索しているというのが、私の雑駁な感想である。
何しろ、著者たち、経済アナリストの間では、資本主義が終末期を迎えていることはもはや常識なのだそうだ。
そして、著者の「Giveの5乗の法則( give&give&give&give&give)」とは、ブログなどで惜しみなく情報を発信した末に、はじめて成功の契機を得るという戦略であり、また、著書の印税の一部をスーダン等の最貧国に贈与しているとなると、前回の我がブログ(光、溢れる日々へ)の

「百年に一度の大不況」といういまだからこそ、企業はその社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)を果たし社会貢献をするべきだ

という考えを個人レベルで実現してみせているといってもいいだろう。
あるいは、「情熱大陸」のインタビュー(下のYou tube参照)での、

お金とは感謝のあらわれである。

という金銭哲学など、マネーゲームに熱中する「金融工学」者にぜひ聞かせたい内容である。さらに、

現代では労働者もまた一人の資本家である

といった洞察も示され、こうした筆者の姿勢は、これまで小生が関わってきたタヒチアンノニビジネスのあり方(一人一人がビジネスオーナーとして、人々に幸せをもたらすことが、自分の利益にもつながる、という理念のもと、社是は、DO SOMETHING GOOD FOR THE WORLD である)とも似ているようで、興味深いものがある。
もちろん、思想の深さ、倫理の重さという点では、筆者の文章は過去の思想家や評論家のものなどにくらべて、いささか物足りない気もするが、生活に密着した形で発想する「世界の最も注目すべき女性」の一人として、今後、我がブログでも注目していきたいと思う。

Kazuyo Katsuma 3/3



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光、溢れる日々へ

2008-12-21 12:40:04 | Weblog
今年の漢字は「変」に決まったが、たしかに今年一年振り返ってみて、公私ともども「変」かつ「乱」に満ちあふれた年だった。
たとえば、昨年の今頃、このブログでも取り上げた「KY」の意味はいまや「空気が読めない」ではなく
「漢字が読めない」
に変わったのだという。某国の首相もどんどん「変なおじさん」化してきているようだ。

そういえば、先日は同年齢の仲間たちと話す機会があったが、何かの拍子に、ある女性が

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

という空也上人の言葉を持ち出して、これからの人生への思いを話していたのが印象的だった。
空也上人のこころざしに従えば、「百年に一度の大不況」といういまだからこそ、企業はその社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)を果たし社会貢献をするべきなのだが、「義理人情」といった日本的美風さえ失った末の派遣切りが行われているのが現状だ。

かく言う小生も、いやしくも有限会社の社長の端くれのそのまた端くれなのだから、犠牲を覚悟で社会へなにがしかのメッセージを発信することが、そのまま自社の発展へとつながるようにしていくべきなのだろうが、まだ試行錯誤のスタート地点に立った程度でしかない。
ついでにいえば、自分はとっくの昔に死んでいたかもしれないのだから、世俗的な利害を超越した立場から人々を励まし、慈しむこと(親鸞のいう還相廻向)が、困惑・閉塞する現在から脱出するための契機になればいいとも思っているのだが、これまた、考えるだけなら易しいが、実行にはほど遠い。

そんなとき、古い友人から突然数年ぶりで電話が入り、「お前のような学者タイプは商売をやってもうまくいかないよ」といまさらながらの忠告をもらった。
電話を切ったあと、「それでも」と悔しまぎれに考えるのだ。こういう状況だからこそ、学者と経営者とそして宗教者の三位一体的な思考が必要になるのではないか、と。

というところで、閑話休題。
今年の我がブログではなんといっても「You tube」の貢献が大である。
考えが及ばない部分、あるいは想いが伝わらない部分をよく補完してくれたと思う。
今年最後に紹介する曲は、Ludovico Einaudi (ルドヴィコ・エイナウディ)の リリシズムあふれるピアノで、I Giorni(「光、溢れる日々」)である。
新たな年を迎え、本ブログの数少ない愛読者の皆様が「光、溢れる日々」を過ごされるよう、祈りをこめて贈ることにしよう。

i giorni-ludovico einaudi


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