まず、今年最初の推薦曲、ニーナ・シモンの I Loves You Porgyをご紹介する。
Nina Simone - I Loves You Porgy
言わずと知れたガーシュインのオペラ「ポーギーとベス」の中の一曲であるが、Summertimeなどの陰に隠れていて、いままで気がつかなかったが、なかなかの名曲である。
1962年の映像をいま見られるのはYoutubeさまさまである。
なんといってもニーナ・シモンの弾き語りが素晴らしい。
かなりのテクニックを用いながら、それを感じさせないで、あくまでも、さりげなく、じっくりと歌い上げているという点では、極上の弾き語りになっている。
彼女は、エラ・フィッツジェラルドやビリー・ホリデイの陰に控えて目立たなかったが、その音楽的才能は抜群である。
4歳からピアノを弾き始め、貧しかった彼女の才能にほれ込んだ周囲のバックアップを得て、名門のジュリアード音楽院に進学したというから、バックグラウンドが違う。
また、晩年には、人種差別に反対し、黒人公民権運動にも参加するなど精力的な活動を見せたという一面ももっている。
一方、今年最初の推薦本は、須賀敦子「トリエステの坂道」。
年末にブログで取り上げたジョイスが「芸術家の肖像」を書き上げたのが、イタリアのトリエステであり、どんな都市なのか知りたくなって、読み始めた。
残念ながら、トリエステのことは最初に触れただけで、ほとんどは、亡き夫と過ごしたミラノでの市井の人々の様子を述べたものだった。
しかし、これまた、さりげなく、じっくりと見るべきものを見、伝えるべきものをしっかり伝えて、極上のエッセイに仕上がっている。
ニーナ・シモンとは異なり、須賀はいわゆる芦屋のお嬢様育ち、何の不自由もないはずだったが、イタリアに住むようになり、また夫と出会ってからは、中流下流のイタリア人の生活の実態を直視するようになる。
その様子を描いたのが本作品だが、感情に流されず、冷静に、それでいて、暖かみや柔らかみのある叙情を醸し出している点で、やはり、素晴らしい作品である。
シモーヌ・ヴェイユを密かに愛読していたということも、なんとなくうなずけるような気がする。
その中に、紹介されている無名の詩人ジョッティの「ヒアシンス」を引用しておく。
末尾の「だれかさん」とは詩人の子供らしい。
みずみずしい家族愛が感じられる佳作というべきだろう。
********************************************************************
よい匂いが、家にあふれる。
まるで、ぼくたちの愛のようで、
それ自身は、ほんとうになんでもなく、
ただ蒼いという、それだけだが、燦めく蒼さで、
燃える蒼さで、希望とおなじ、いい匂いで。
ふと、気づくと、胸いっぱいにひろがる、
その匂い。ぼくの家が、きみの家で、
きみとぼくとが、テーブルに
クロスをいっしょにひろげ、
ぼくたちが準備しているのを
ちっちゃな足で、背伸びして
のぞく、だれかさんが、いて
Nina Simone - I Loves You Porgy
言わずと知れたガーシュインのオペラ「ポーギーとベス」の中の一曲であるが、Summertimeなどの陰に隠れていて、いままで気がつかなかったが、なかなかの名曲である。
1962年の映像をいま見られるのはYoutubeさまさまである。
なんといってもニーナ・シモンの弾き語りが素晴らしい。
かなりのテクニックを用いながら、それを感じさせないで、あくまでも、さりげなく、じっくりと歌い上げているという点では、極上の弾き語りになっている。
彼女は、エラ・フィッツジェラルドやビリー・ホリデイの陰に控えて目立たなかったが、その音楽的才能は抜群である。
4歳からピアノを弾き始め、貧しかった彼女の才能にほれ込んだ周囲のバックアップを得て、名門のジュリアード音楽院に進学したというから、バックグラウンドが違う。
また、晩年には、人種差別に反対し、黒人公民権運動にも参加するなど精力的な活動を見せたという一面ももっている。
一方、今年最初の推薦本は、須賀敦子「トリエステの坂道」。
年末にブログで取り上げたジョイスが「芸術家の肖像」を書き上げたのが、イタリアのトリエステであり、どんな都市なのか知りたくなって、読み始めた。
残念ながら、トリエステのことは最初に触れただけで、ほとんどは、亡き夫と過ごしたミラノでの市井の人々の様子を述べたものだった。
しかし、これまた、さりげなく、じっくりと見るべきものを見、伝えるべきものをしっかり伝えて、極上のエッセイに仕上がっている。
ニーナ・シモンとは異なり、須賀はいわゆる芦屋のお嬢様育ち、何の不自由もないはずだったが、イタリアに住むようになり、また夫と出会ってからは、中流下流のイタリア人の生活の実態を直視するようになる。
その様子を描いたのが本作品だが、感情に流されず、冷静に、それでいて、暖かみや柔らかみのある叙情を醸し出している点で、やはり、素晴らしい作品である。
シモーヌ・ヴェイユを密かに愛読していたということも、なんとなくうなずけるような気がする。
その中に、紹介されている無名の詩人ジョッティの「ヒアシンス」を引用しておく。
末尾の「だれかさん」とは詩人の子供らしい。
みずみずしい家族愛が感じられる佳作というべきだろう。
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よい匂いが、家にあふれる。
まるで、ぼくたちの愛のようで、
それ自身は、ほんとうになんでもなく、
ただ蒼いという、それだけだが、燦めく蒼さで、
燃える蒼さで、希望とおなじ、いい匂いで。
ふと、気づくと、胸いっぱいにひろがる、
その匂い。ぼくの家が、きみの家で、
きみとぼくとが、テーブルに
クロスをいっしょにひろげ、
ぼくたちが準備しているのを
ちっちゃな足で、背伸びして
のぞく、だれかさんが、いて