濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

NO GOOD-BYE, NO LIFE.

2005-07-25 05:23:25 | Weblog
先日、ひさしぶりに雑誌「MAC POWER」を購入した。ページをめくってみて驚いた。装いが一新され、新機種の紹介やアプリの解説などが大幅に減ってしまった。「クリエイティブなMacユーザーのためのライフスタイル誌」がキャッチコピーになっているが、ipodの売れ行きも順調で、Mac製品がすっかり生活の中にとけ込んだことを示しているのかもしれない。
その7月号の中で
NO MUSIC, NO LIFE. NO PHOTO, NO LIFE.
という記事が目についた。坂本龍一などがコメントを寄せている。このフレーズを用いたCM(タワーレコード+富士フイルム)もできているという。
一昔前、「クリープを入れないコーヒーなんて」というCMがあったが、NO ~ , NO LIFE.──「~のない人生なんて」式のうたい文句も、今後、再び流行するようになるかもしれない。
そこで、時代の最先端を周回遅れで一人爆走する私も、速攻、考えてみた。まず思いついたのは

NO WIFE, NO LIFE.

親愛なる世のご亭主さま方におかれては、いざという時、ぜひ一度「声に出して読んでもらいたい言葉」だが、韻(いん)を踏んだつもりで、誤って奥様の高貴なプライドまで踏みつけてしまわないように、くれぐれも注意してほしい。続いて、

NO GOOD-BYE, NO LIFE.

ご存じの方も多いだろう。井伏鱒二の「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」の自家製英訳版である。迷訳で迷惑かもしれないが、人生の折々に使うのはもちろんのこと、息を引き取る直前に「声に出して読んでもらいたい言葉」としても推薦したい。いずれにせよ、「別れ」とは、<懐かしい想い出の始まり>でもあろう。「別れ」を楽しむほどの気宇の壮大さを身につけたいものだ。
もともとは干武陵の詩「勧酒」を井伏が訳したものの一節で、こちらは正真正銘の名訳である。原詩とともに紹介しておこう。

勧君金屈巵 コノサカズキヲ受ケテクレ
満酎不須辞 ドウゾナミナミツガシテオクレ
花発多風雨 ハナニアラシノタトエモアルゾ
人生足別離 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

半年の弁

2005-07-17 12:57:23 | Weblog
「濃さ日記」、息切れしながらも、始めてから半年たった。当初は3ヶ月持てばいいだろうと思っていたから、我ながら立派なものだ。
もとよりアクセス数などにはまったく無関心だが、普通の日記とは違い、こちらからは見えない「不可視のギャラリー」がどこかで見ているかもしれないという、思い上がり気味の緊張感がたまらなくいい。事実、まったく未知の方からコメントやTBをいただいたときの驚きや喜びは格別のものである。
今後も、無理は承知の上で、軽いノリの通常のブログに対抗して、「開かれた濃さ」や「開かれた深さ」を目指していきたいと思う次第である。
もっとも、ブログを始めるきっかけを与えてくれた娘からは「モット身近ナモノヲ素材ニシテヨ」というキツーイお言葉。これがノーマルな反応というものだろう。しかし、私にとっては、この「ノーマル」というのが意外に難しいのである。いまや、昨晩の夕食のメニューを聞かれて、「雲と霞(かすみ)の煮付け」と答えるのが精一杯の仙人状態なのかもしれない。
先日も、マンションの理事会に出席した折り、植裁がどうした、自転車置き場がどうしたという話題になったが、マンションの価値が外観によって大きく左右されることは頭で知りつつも、「住めば都」の体たらくで、そうした話題についていけないでいる自分に気づかされた。そうした様子を察知した隣人の奥様からは、「博士」というあだ名まで頂戴する羽目になった。

どうか「不可視のギャラリー」の皆様方よ、見えないものを求めて、見えるものまで見失った哀れな仙人、あるいは似非(えせ)博士にいま見えるものは何か、これからもご期待のうえ、愛読されんことを乞う。
(反歌)
夏の日 川に流した 笹の葉 流れて だれの心の海に

エスプレッソな朝と夜

2005-07-15 13:16:40 | Weblog
芥川の中期の小品に「蜜柑(みかん)」というものがある。奉公先に行く娘が汽車の窓から、見送りに踏切まで来た弟たちに蜜柑を投げ与える、そうした光景に遭遇した主人公は、日頃の憂鬱な気分をしばし忘れることができた、という、いかにも教科書風の内容の小説である。ところで、これに類する場面を私は別な立場から体験することになった。

私は出勤途中、駅構内にあるカフェでエスプレッソを飲むのを常としている。別にコーヒー通というわけではない。特急電車の待ち時間に、寝ぼけ気味の頭にカツを入れる儀式のようなものである。
足しげくそのカフェに行くうちに、いつしか常連客として店員たちも接するようになった。そのなかで、とびきりフットワークのいい、若く小柄な娘がいた。息子がいれば、息子の嫁にしたいと思うような、よく働き、よく気がつく模範店員である。
そのうち、こちらが何も言わなくても、彼女のほうから目元涼しく微笑み、「エスプレッソですね」と尋ねるようになった。お客冥利というものだろう。
こういう蜜月が長く続いたある日、いつものように店に入ると、彼女は、熱愛する恋人に向けるような、と形容すべきほどの、極上の笑顔をこちらに振り向けてきた。私はもったいない贈り物にたじろぐばかり。
店を出た後も「愛を叫ぶのに、わざわざ世界の中心まで行くことはない。駅のカフェで事は足りる」と一人悦に入り、その日の仕事も順調にはかどったわけである。

さて、話はここで終わらない。現在に至るまで、そのカフェに足を運んでいるのだが、その日以来ついぞ彼女の姿を見かけていないのである。
とすれば、あれは、転職先を見つけた彼女からの精一杯の別れの挨拶、つまり窓から投げ与えた蜜柑だったのではないだろうか。何か言いたげに口元が少し開いていたのも、それで腑に落ちてきた。

それにしてもいい笑顔だった。だから、私は何度でも注文を繰り返すことになる。
ハイパーラブリーシティー駅構内、カフェ・ルフラン、深夜午前3時、誰もいないカウンターに並んで、
「いつものエスプレッソを一杯、砂糖もミルクも要らない、そのかわりに、極上の笑顔をテイクアウトで!!」と。

一生のお願い

2005-07-09 14:47:18 | Weblog
過日、予備校の小論文で「最も感銘を受けた言葉」という課題を出した。医学部志望のある多浪生は

「十の退屈な事実よりも、一つの素敵なうそを」

という言葉を書き付けてきた。
どうやら彼は道を間違えたようだ。いやいや、古今東西、文才に恵まれた医者も多いから、将来は、十の退屈な診察のあいまに、一つの素敵な虚構を練ることになるのかもしれない。

話は変わるが、ある夜、妙齢の女性クライアントから、完成間近の仕事に急な変更を加えてほしいとの電話が入った。
「ご迷惑かもしれませんが、一生のお願いですから」
という彼女の声には、こちらに身を委ねてくるような無鉄砲さとひたむきさがあった。もとより、それほど難しい作業ではない。となれば、二つ返事で引き受けるのが、熟年男の心意気というものだろう。

変更を加えるうち、かすかな違和感は覚えたものの、なにせ、お客様の「一生のお願い」である。最後まで仕上げて、送り届けることにした。
すると、意外や意外、彼女はあっさり自分の提案を引っ込めてしまったのである。
ここですっかり行き場を失ってしまったのは、例の「心意気」の方である。「一生のお願い」という切り札はどこへ消えてしまったのかと、あたふたして、あたりを探しまわるばかり。
それは「一時の気の迷い」とか「ちょっとした思いつき」に翻訳すべきものだったと気がついたのは、しばらく経ってからである。

たしか、柳田国男(写真)は、「うそ」や「ごまかし」は罪だが、「ほら」や「でたらめ」の類は愛すべきものだということを書いていたと思う。
彼女の「一生のお願い」がその後者に属するのはいうまでもあるまい。いわんや、それが「素敵なうそ」になるまでには、「一生」どころか「幾千年」の熟成が必要なのである。