なにか/鈍器ようのもの/鈍器ようのものがあればよい、そう考えてました/
りょうてで/ちからいっぱいにこめ/うちおろす/帰宅した男は膝のあたりから崩れ折れる/
後頭部を押えて/ゆびのまたからも血が湧いて/手首の方向へながれおちる/
イタイイタイと泣くでしょう/からだを折りまげて胎児のかたちになり/
わたしからのがれようとするでしょう/しっかりと人間の血、ぬくいです、/脈うってぬくいです(後略)
これは、近年、夫を殺害しバラバラに切断した妻の手記ではない。また、それに触発されて書かれた小説の一節などでもない。80年代に活躍しはじめた詩人、伊藤比呂美の詩「青梅が黄熟する」の一節である。
これについては、吉本隆明が『マスイメージ論』(84年刊)で
女性の本質的願望である<男殺し>の夢が見事に表現されている
と高く評価し、その理由について、「現在というものの全体的な暗喩の場所で、言葉が押し出されているから」としている。そして、その暗喩するものとは
女性が<男性に伍して>ではなく、<男性の位置にとって代って>、現在の真向かいに立つ姿勢
だという。つまり、80年代の男女関係の新しいダイナミズム、女性上位時代の到来をイメージとして生々しく定着させたのが、先の詩だということになるだろう。
たしかに、80年代は、女性の社会的自由の範囲が急速に拡大した時代である。若い女性は「アンアン」や「ノンノ」などの雑誌を片手に「おいしい生活」を探し、「金曜日の妻たち」は東急田園都市線の街々を出会いを求めて彷徨しはじめる。さらに、86年には男女雇用機会均等法が施行されることにもなる。
だが、高崎真規子は『少女たちの性はなぜ空虚になったか』(NHK新書)の中で
女性たちは、突然手にした、セックスや恋愛やいろんな自由を上手に使いこなしていなかった。そして男のほうも、女ってものをどう扱えばいいのか、実は途方に暮れていたらしい
と述べており、こうした感想の方が一般の実状に近いのではないかと思う。
余談ながら「途方に暮れて」しまった男の安易な行先の一つは、きっと現在の「おねえマンズ」だったりするのだろう。いずれにせよ、可能性を求める女性の試行錯誤はようやく始まったばかりだから、「男はつらいよ」の傾向もまだまだ続きそうだと、私は予想している。
ところで、想像をたくましくすれば、三浦元社長なども80年代の新しい男女の光景にどこかしら危うさやスキがあるのを感じたからこそ、妻の救出を必死で行うという一時代前の美談めいた芝居で世を惑わせようとしたのかも知れない。
りょうてで/ちからいっぱいにこめ/うちおろす/帰宅した男は膝のあたりから崩れ折れる/
後頭部を押えて/ゆびのまたからも血が湧いて/手首の方向へながれおちる/
イタイイタイと泣くでしょう/からだを折りまげて胎児のかたちになり/
わたしからのがれようとするでしょう/しっかりと人間の血、ぬくいです、/脈うってぬくいです(後略)
これは、近年、夫を殺害しバラバラに切断した妻の手記ではない。また、それに触発されて書かれた小説の一節などでもない。80年代に活躍しはじめた詩人、伊藤比呂美の詩「青梅が黄熟する」の一節である。
これについては、吉本隆明が『マスイメージ論』(84年刊)で
女性の本質的願望である<男殺し>の夢が見事に表現されている
と高く評価し、その理由について、「現在というものの全体的な暗喩の場所で、言葉が押し出されているから」としている。そして、その暗喩するものとは
女性が<男性に伍して>ではなく、<男性の位置にとって代って>、現在の真向かいに立つ姿勢
だという。つまり、80年代の男女関係の新しいダイナミズム、女性上位時代の到来をイメージとして生々しく定着させたのが、先の詩だということになるだろう。
たしかに、80年代は、女性の社会的自由の範囲が急速に拡大した時代である。若い女性は「アンアン」や「ノンノ」などの雑誌を片手に「おいしい生活」を探し、「金曜日の妻たち」は東急田園都市線の街々を出会いを求めて彷徨しはじめる。さらに、86年には男女雇用機会均等法が施行されることにもなる。
だが、高崎真規子は『少女たちの性はなぜ空虚になったか』(NHK新書)の中で
女性たちは、突然手にした、セックスや恋愛やいろんな自由を上手に使いこなしていなかった。そして男のほうも、女ってものをどう扱えばいいのか、実は途方に暮れていたらしい
と述べており、こうした感想の方が一般の実状に近いのではないかと思う。
余談ながら「途方に暮れて」しまった男の安易な行先の一つは、きっと現在の「おねえマンズ」だったりするのだろう。いずれにせよ、可能性を求める女性の試行錯誤はようやく始まったばかりだから、「男はつらいよ」の傾向もまだまだ続きそうだと、私は予想している。
ところで、想像をたくましくすれば、三浦元社長なども80年代の新しい男女の光景にどこかしら危うさやスキがあるのを感じたからこそ、妻の救出を必死で行うという一時代前の美談めいた芝居で世を惑わせようとしたのかも知れない。