濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

年の暮れを薬用植物園で

2013-12-27 09:03:53 | Weblog
過日、家庭園芸を趣味とする方に案内されて薬用植物園を訪れた。
園内を散策するうちに、標識に書かれた説明から、よく耳にする植物が思いがけず薬草としても用いられていたことを知り、古来からの人間の知恵といったものに思いが及んだ。
もちろん、胃に飲み込んだ体毛をはき出すために、ネコも草を食べるというから、それは「動物の智恵」といったほうが正確なのかもしれないのだが。
そして、その多くが薬効を示す反面、有毒なものでもあるということに、植物の言いしれぬ奥深さや二面性といったものが感じられてきた。

さて、他に訪ねる者もいない冬枯れの園内はまさに貸し切り状態で、聞こえてくるものといえば、いかにも冬らしい乾いた葉音と澄んだ空気に響く鳥のさえずりぐらいのものである。
あわただしい年の暮れ、都会の喧噪から離れ、静寂の中でひとときを過ごすというのも、なかなか贅沢なことのように思われてくる。
前回にも触れたが、廃墟に似て、何の見栄えもしない荒涼とした冬の植物たちに囲まれていることに、なにがしか魅力を感じるのはなぜだろうか、別な角度から考えてみたい。

解剖学者の三木成夫は植物の特徴として、一つには大地に深く根をおろし、天に向かってそのからだを伸ばしきった姿勢が、地球の球心を貫く力線(「形態極性」)にみごとに対応していること、もう一つには萌え出る春、夏草、稔りの秋、そして冬枯れという典型的な生活曲線の中に、地球の持つ「運動極性」とみごとに一致した生の姿が示されていることの二点を挙げたうえで、

動物のように、感覚と運動にたずさわる装置をなにひとつ持たない、いいかえれば完全に“熟眠状態”のかれらが、死滅から免れているのは、このように大自然と密接に聯関して生を営み続ける、その生得の性能によるものと思われる。

と、そのしたたかなあり方について分析を加えている。
とすれば、我々は、煩悩多き日々の動物的な生活を脱して、「大自然と密接に聯関して生を営み続ける」植物と同期(シンクロナイズ)するとき、大自然に抱かれているような慰安を得て、そこに魅力を見出しているのではないだろうか。
そして、冬はやがて来る春を必ず用意し、植物もそれに従う。だからこそ、晩年の西郷隆盛は

雪に耐えて、梅花麗し

と唱えることができたのだ。
さらに、いささか性急ではあるが春の訪れが近づくと、こんな情景──京都の染料研究家とその恋人が織りなす愛の模様──が描かれることにもなる。

梅林は早春の陽の下でぬくもっていた。六十歳を過ぎた持主は近隣の農家の人で、不用の梅を抜き取り、また枝下ろしをするのだった。裸木に見える枝には固い蕾(つぼみ)が密着していて、蕾をひらくと紅を含んでいた。また伐り落した枝の口にも紅がにじんでいて、圭子には思いがけなかった。梅はその全身で花咲く日を待っていたと思うと、植物の生のいとなみに感動せずにいられなかった。彼女が切口の紅を見せると、泰男も頷(うなず)いた。
「植物のいのちが色に溜(た)められてゆくから、咲き燃えするはずだ」(芝木好子「貝紫幻想」)


ところで、植物の葉にはかすかな匂いもあるらしい。
今回、植物園を案内された方はさかんに葉をちぎって、その匂いをかいでおられたが、植物のいのちは色と匂いの二つに溜められているということなのかもしれない。

それでは、いのちの新しい色と匂いが読者の皆様にも加わることを祈って、本年のブログを終えることにしたい。

初冬という廃墟

2013-12-06 08:32:42 | Weblog
今年も残るところあとわずかになった。
本ブログの一年を振り返ると、ギャラリーの皆様にも恵まれ、これまでになく充実した年だった。
その中でも特に「廃墟」というテーマが印象に残っている。
いま、晩秋から初冬を迎え、
「穫りいれがすむと/世界はなんと曠野に似てくることか」(鮎川信夫「兵士の歌」)
ということになり、目に見える日常の光景そのものが一種の「廃墟」にも見えてくる。
たとえば、下に掲載した写真は自宅近くを走る高速道路のツタのまつわる高架橋だが、現代の無機的な都市の光景の一角に、この季節ならではの「廃墟の潤い」といったものをもたらしている。
効率性や技術革新をひたすら追いかけている現代にあって、新しいものを打ち出そうとはせず、廃れ朽ちるままにしていく、そうした姿が、老いと死の予感を受け入れはじめた、自分の心象風景とも重なり、共感を見出しているのだろう。
先日も神宮外苑の銀杏並木を見に行ったが、花見のときのような見物客の多さ、さらには並木を背景にした新郎新婦の記念写真撮影の場面に接すると、やっかみ半分も手伝ってか、違和感を覚えるのは、どこか、落葉の光景に、ひっそりとした「滅びのロマンティシズム」を求めていたからなのかもしれない。

とはいえ、こうした気分をあざ笑うかのように、リアルな認識を突き出してくるのは、徒然草のこんな文章だ(一五五段)。
木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。
木の葉が落ちるのも、まず木の葉が落ちて、それから芽が生じるのではない。木の内部から芽がきざし、その勢いの進むのに堪え切れないで、木の葉が落ちるのである。

まるで植物学者のような観察力、洞察力の鋭さには驚かされるが、そういえば、国文学者の折口信夫も「冬」について熱く語っていた。

ふゆは、殖ゆで、分裂すること・分れること・枝が出ることなどいう意味が、古典に用いられている。
枝のごとく分れて出るものを、取扱う行事が、冬の祭りである。
ふゆは、また古くは、ふると同じであった。
元来、ふるということは、衝突することであるが、古くは、密着するという意味である。
ここから「触れる」という意味も出てくる。
日本の古代の考えでは、ある時期に、魂が人間の身体に、附着しにくる時があった。この時期が冬であった。
歳、窮った時に、外から来る魂を呼んで、身体へ附着させる、いわば、魂の切り替えを行う時期が、冬であった。
吾々の祖先の信仰から言うと、人間の威力の根元は魂で、この強い魂を附けると、人間は威力を生じ、精力を増すのである。(「大嘗祭の本義」)

となると、初冬の廃墟の中からも何かが萌してきて、我々を再び勢いづかせてくるのかもしれない。
ただし、そこまでは欲を出して考えないのが、奥ゆかしさというものである。
とりあえずは、老いと死に親しむための光景として、初冬という廃墟を甘受し、それ以降のことはひそかな楽しみとしたい。