次は見田宗介「社会学入門」の一節を参考にしたものである。
貝紫というのは、紫貝(写真)から分泌される液体(元来は黄色いが太陽の光で変色する)で、古代より人々が求めてやまなかった高貴な紫色の染料だ。
メキシコのインディオの青年たちは、それを好きな女の子に贈るために、往復二カ月間かけて約四〇〇キロにわたる海岸線を旅する。
青年というものは、意中の女性のためには打算や理性を越えたがるものらしい。
しかし、彼らは文明人と異なり、その貝をたたきつぶすのではなく、液体を自分の手になすりつけて採取し、貝は放してやっていたという。
それが希少な紫貝を絶滅から守ることになる。
もちろん、この方法では、わずか七〇〇グラムの糸が染められるだけだから、1キロ移動して2グラム足らず、費用対効果からするとまったく取るに足りないほどだ。
それでも、愚直だがデリカシーに富んだ青年の一途な思いは、お目当ての女性たちをさぞかし喜ばせたことであろう。
目を江戸期の日本を舞台にした小説に転じてみる。
天源寺家では、夫と死別した娘咲弥(さくや)の入り婿として、雨宮蔵人(くらんど)が迎え入れられることになる。
前の夫が風雅の道をわきまえた武士だったせいもあり、咲弥は蔵人に「どんな和歌が好きかを教えて欲しい」と迫るが、愚直な蔵人は答えることができなかった。
咲弥は「答えるまでは寝所をともにしない」と蔵人を冷たくあしらう。
そこからが二人の命がけの数奇な人生の始まりである。
どんな危険に見舞われても咲弥の言葉を忘れない蔵人は、十七年たってようやくにして、「古今和歌集」にある、詠み人知らずの歌を見出す。
春ごとに 花のさかりは ありなめど、あひ見むことは いのちなりけり
(春ごとに、必ず花盛りはあるはずのものだが、その花盛りに二人が出逢うというのは 命なのだなあ)
というもの。
じつは、二人は幼い頃から見えない赤い糸で結ばれていたのだ。
幼い咲弥が花見に出かけたおり、彼女の花を愛でる気持ちを察して、見知らぬ少年が戯れに桜の枝を折って手渡した、その少年こそが蔵人だったのである。
以上が、葉室麟「いのちなりけり」の概要である。
これまた純愛への憧れをかき立てるようなストーリーであろう。
「出逢い」というものは、そのままいのちの輝きへとつながる。
難路が続くばかりの人生だが、一つの出逢いがそれまでの風景をまったく違うものに感じさせることがあるのかもしれない。
そんな風景を眺めながら、人々は絶句するほかにしかたがないようだ。
生きるとは・・・
出逢うとは・・・
いのちとは・・・
貝紫というのは、紫貝(写真)から分泌される液体(元来は黄色いが太陽の光で変色する)で、古代より人々が求めてやまなかった高貴な紫色の染料だ。
メキシコのインディオの青年たちは、それを好きな女の子に贈るために、往復二カ月間かけて約四〇〇キロにわたる海岸線を旅する。
青年というものは、意中の女性のためには打算や理性を越えたがるものらしい。
しかし、彼らは文明人と異なり、その貝をたたきつぶすのではなく、液体を自分の手になすりつけて採取し、貝は放してやっていたという。
それが希少な紫貝を絶滅から守ることになる。
もちろん、この方法では、わずか七〇〇グラムの糸が染められるだけだから、1キロ移動して2グラム足らず、費用対効果からするとまったく取るに足りないほどだ。
それでも、愚直だがデリカシーに富んだ青年の一途な思いは、お目当ての女性たちをさぞかし喜ばせたことであろう。
目を江戸期の日本を舞台にした小説に転じてみる。
天源寺家では、夫と死別した娘咲弥(さくや)の入り婿として、雨宮蔵人(くらんど)が迎え入れられることになる。
前の夫が風雅の道をわきまえた武士だったせいもあり、咲弥は蔵人に「どんな和歌が好きかを教えて欲しい」と迫るが、愚直な蔵人は答えることができなかった。
咲弥は「答えるまでは寝所をともにしない」と蔵人を冷たくあしらう。
そこからが二人の命がけの数奇な人生の始まりである。
どんな危険に見舞われても咲弥の言葉を忘れない蔵人は、十七年たってようやくにして、「古今和歌集」にある、詠み人知らずの歌を見出す。
春ごとに 花のさかりは ありなめど、あひ見むことは いのちなりけり
(春ごとに、必ず花盛りはあるはずのものだが、その花盛りに二人が出逢うというのは 命なのだなあ)
というもの。
じつは、二人は幼い頃から見えない赤い糸で結ばれていたのだ。
幼い咲弥が花見に出かけたおり、彼女の花を愛でる気持ちを察して、見知らぬ少年が戯れに桜の枝を折って手渡した、その少年こそが蔵人だったのである。
以上が、葉室麟「いのちなりけり」の概要である。
これまた純愛への憧れをかき立てるようなストーリーであろう。
「出逢い」というものは、そのままいのちの輝きへとつながる。
難路が続くばかりの人生だが、一つの出逢いがそれまでの風景をまったく違うものに感じさせることがあるのかもしれない。
そんな風景を眺めながら、人々は絶句するほかにしかたがないようだ。
生きるとは・・・
出逢うとは・・・
いのちとは・・・