濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

超不幸論

2008-07-26 11:28:07 | Weblog
自分は少し不幸に淫しているのかもしれない。
というより、この二三年、人生上の大事件が自分に殺到してきて、自分の中の幸と不幸の遠近法的感覚が狂ってきたというべきかもしれない。
せめて、不幸の波動が他者にまで及ばないことを祈るばかりだが、それにしても、身の処し方が気になったので、我が尊敬する老師に相談してみると、

人間には、ニーチェのいうように「アポロン的=喜劇的」な部分もあれば、「ディオニュソス的=悲劇的」な部分もある。だけども、文学をする人間というのは、どうしても「ディオニュソス的」になるんだよなあ

というご託宣であった。
たしかに「他人の不幸はミツの味」などというが、スウィーツ系ではないにせよ、自分の不幸もまた、かめばかむほど味わい深いものがあるからなのかもしれない。

そんな中、最近、皮肉なことに、「アポロン的」な資質を存分に活かして事業に成功した方たちのインタビューをしている。
そのお一人の、気品のあるご婦人は、日銀勤務で知り合ったご主人と結婚し、お子様にも恵まれたが、日銀といえども、しょせんは公務員、月給だけでは経済的に限度があるというので、副業をすることにしたが、その仕事で大当たりしたというのだ。
インタビューの最後に今後の予定を聞くと、そのご婦人は勝ち誇った顔で
「今年の夏は、会社の招待で、娘とスイスに行きますのよ」
といわれた。
ここで、本来なら、私は、自分(たち)のおかれた現在の境遇とのあまりの落差に驚き、激しい怒りや悲しみに襲われるべきなのかもしれないが、平気で次のような会話を続けたのである。

「私の場合、新婚旅行の思い出しかありませんが、たしかに、ジュネーヴ、ルツェルン、ローザンヌ、それにモントルー、どれも、小じんまりとした美しい町ばかりです。時間があれば、アルプスのトレッキングやヤングフラウヨッホの登頂もいかがでしょうか」

──すっかり幸せの勢いに押されてしまったのかもしれないが、こうした奇妙な余裕が私の不幸をより見えなくさせ、そこからの脱出をより困難にさせているようにも思われる。

悲しみを乗り越えて

2008-07-13 00:44:29 | Weblog
やつれてしまっているのではと心配したが、

娘に会ってみると、存外、平静な様子だった。

「生き残った者は、元気にしなくちゃ」と告げたら、

「そうだね」と気丈な返事が返ってきた。

励ますつもりが、逆に励まされたような感じだった。


別れの言葉を交わせなかったことが

娘にとっては、心残りのようだったが、

ぽっかり空いた心の空虚も、

悲しみを乗り越えていけば、

やがて、あふれるほどの幸せを

容れる器に変わるかもしれない。

そんなことを願いつつ、

Youtubeの一曲を聴くことにしよう。

Franco Battiato- La Canzone Dell\'Amore Perduto