濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

ニュースな日本語4 おくりびと/いたむひと

2009-02-25 22:16:47 | Weblog
滝田洋二郎監督「おくりびと」(アカデミー賞受賞映画)
天童荒太「悼む人」(直木賞受賞小説)

最近、話題になった作品をこう並べてみると、確かに経済不況の中、あるいは自殺者が数万人を数える世相を反映して、人々の関心は明らかに死を凝視する内面に向かっているようにも思われる。
といっても、私はまだ映画も見ていないし、小説も読んでいない。かろうじて、青木 新門『納棺夫日記』の2,3ページを仕事に迫られて読んだ程度だから、何の批評も加えることはできない。

今回、私が何に注目して取り上げたかといえば、タイトルの

おくりびと=おくり(動詞の連用形)+ひと
いたむひと=いたむ(動詞の連体形)+ひと

という二つの違いが気になったからである。ここで、渡部正理「動詞が活用する理由」を参考にすれば、未然、連用……命令という動詞の活用は、時制表現の名残で、i音で終わる連用形は、過去や完了の意味を帯びているらしい。とすれば、u音で終わる連体形は現在進行形的な意味を帯びているようにも思われる。したがって、

おくりびと=過去に死者をおくったことのあるひと
いたむひと=現在、だれかの死をいたんでいるひと

という違いになり、前者が静的で安定したイメージであるのに対して、後者は動的で不安定なイメージを与えているようにも思われる。もう少しわかりやすく比較すれば、たとえば、

釣りびと=過去に釣りをした経験が豊富で、高度な技や一家言をもっている。
釣るひと=今、釣りをしているが、それはあくまでも一過性の出来事にすぎない。

ということにもなると思うが、どうだろうか。

次に「おくる」「いたむ」という言葉についても少し触れておこう。

「置く」「押す」「おさえる」「落ちる」「落とす」「下りる」「追う」「負う」などの言葉に共通するo音は、上から下へ、あるいは内から外へのベクトルを持った力を感じさせる。「おくる」もその仲間で、身近な場所から見知らぬ場所へ、さらには生から死への移動という方向性を帯びているのではないだろうか。また、「置く」自体にそもそも、死者を墓の中に置く=葬るという意味があり、古語辞典には

「墓を作りて葬(おく)」(日本書紀)
「引出の山に妹をおきて山路を行けば」(万葉集)

という用例も挙げられている。「おくる」は、「置く」にさらに「る」という動詞接尾辞を加えることによって、人や物の移動、さらには贈り物を渡すという意味にまで拡張していったのではないだろうか。

一方の「いたむ(悼む)」はもちろん「痛む」と同根で、そもそもは「忌む」「厳めしい」「厭う」など、タブーと関連する語の仲間であろう。

以上、ここまで書いて今回は終わりにする。まったく「オチ」がなくて、「いたく」つまらないという「読みびと」もいるかもしれないが、楽しみは「先おくり」にして「おく」ことにしよう。

ニュースな日本語3 さけ/くすり

2009-02-19 20:48:15 | Weblog
某前大臣のG7での醜態については、連日、マスコミや野党は鬼の首を取ったかのような騒ぎようだが、クールさを誇る(?)このブログまでが、それに便乗して取り上げてしまうのは、いささか忍びない気がする。
とはいえ、「ニュースな日本語」の存続の危機にあって、やはり格好の素材であるのは間違いなく、あえて言及してみることにした。

今回は、「酒」「薬」のほか「酔う」「恥」なども候補に上ったが、いずれも語源的にはっきりしない言葉ばかりで、苦戦を強いられた。たとえば、「薬」は、「奇(く)しくも」の「くし」からきたとか、「草摺(す)り」から来たとか言われているのだが、今ひとつ、ピンとこない。

一方の「さけ(酒)」の場合、「さ」は接頭辞にすぎず、本体は「け」で、器に入った食べ物の意味を持っており、また「おみき(神酒)」の「き」、あるいは 「かむ(醸)」(米を噛んで発酵させて酒を造ったことによる)や「かもす」 の「か」とも同根だとされている。

ここで、日本人が酒を歌った最初の記録を古事記にたどれば、応神天皇の歌に

須須許理(すすこり)が 醸(か)みし御酒(みぐし)に われ酔ひにけり
事無酒笑酒 (ことなぐしゑぐし) に われ酔ひにけり。

ススコリ(百済の国の使い)が 醸造した酒に われは酔うたぞ
憂きこともなき酒 顔もほころぶ酒に われは酔うたぞ

とあり、なんと、ここでは、酒は「くし」と呼ばれ、解釈次第では薬と同様、「奇妙」なものとして扱われていることになり、前大臣の「風邪薬を飲んだ」という弁明とも「奇妙」に符合するわけである。
というより、当時は薬と酒の区別がはっきりしなかった、おおらかな時代だったというべきなのだろう。(まさか、ススコリとはソムリエの別名で、彼の出した酒がワインだったわけなどないのだろうが)

ここまで書いてきて、いい加減な私などはそう難しく考えずに、「酒」は「避ける」や「裂ける」と、「薬」は「屈する」と、「酔う」は「世を憂う」と同根だと断言してしまいたい気がしてきた。
いずれにせよ、ワイングラスの中の嵐にすぎないスキャンダルである。

ここで終わらせるのは少しもったいないので、唐突ながら次の一節を加えておこう。先日、NHKのETVで、辺見庸「しのびよる破局のなかで」を見た。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html

その中で、辺見は今日のグローバルな経済不況を鳥インフルエンザなどのパンデミック(感染爆発)になぞらえ、カミュの「ペスト」に登場する医師リウーの次のような発言に注目している。

ペストの感染が激しい状況では、誠実さだけが有効なのだ。

確かに重い言葉である。いかに財政通、経済通であろうとも、今日の異常な深刻さを克服していくには、まずは凡庸な誠実さで対処していくことから始めなければならないのではあるまいか。


ニュースな日本語2 ブレる/ブレない

2009-02-02 12:21:11 | Weblog
私はブレない

などという発言が最近目立つようになった。
確かに、「ブレる」は「ブラブラ」や「フラフラ」などと同根で、頼りなく情けない状態を表す言葉だから、「ブレない」と宣言をすることで、朝令暮改を繰り返すどこかの政治家とは違うんだぞ、といわんばかりに首尾一貫した態度を示すことができ、好感度も高まっていくわけだ。

だが、その反面、「ブレる/ブレない」が、カメラの「手ブレ」に似た操作感覚の問題にすぎなくなり、戦前の「転向する/転向しない」といった思想的重々しさを失ってしまっている気もしなくはない。

1 私はフレない。(清原選手の引退時、愛用のバットに向かって一言)
2 私はブラない。(益川教授教授のノーベル賞授与決定時のインタビュー)
3 私はフラれない。(某女子大のミスコン女王の発言)
4 私はブテない。(SMの女王の引退時、愛用のムチに向かって一言)

そもそも「ブレる」の語源は「ふる(振る・震る)」であり、上の例の4以外は同じ仲間になる。原義は、物が生命力を発揮して生き生きと小刻みに動くことだそうだから、心臓や筋肉がプリプリ動いて、いたって健康そうな様子を示しているともいえる。あるいは、「前ブレ」などのように、敏感に何かを察知するアンテナでもあるわけで、とすれば、その振れ幅が問題となるのだろう。

私見では、「ふる」や「ふく」などのh音は、風や息のオノマトペから生まれてきたように思われる。これについて吉本隆明は

風の音を「ヒュウ、ヒュウ」という擬音語であらわすのは、事実としての風の音をそれに一番近いと感じる母音と子音固有の結合体系で言語化することだ。(中略)自然現象の動きは自然が言葉をしゃべっていることだとみなす認識をもっているのは、逆に言えば、人間の言葉を自然現象の動きと等価だとみなす認識を語っている。(母型論)

としている。
とまあ、こんなところで、面白半分にブレア前英首相を検索してみたら、彼が、奥方の要望で、イギリス国教会からカトリックに改宗したという記事が見つかった。さすが、かなりのブレ屋であるようだ。