濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

四月になると、愛は勝つ

2016-04-16 20:12:30 | Weblog
更新がすっかり遅れ、そろそそ葉桜の季節になろうとしている。



前回は人類の危うさについて述べたが、もう一つぜひ付け加えておきたい文章が見つかったので、最初に引用しておきたい。

いずれ銀河系宇宙が消滅することは自明の理であり、人間の死も自明だと言いたいならば、銀河系宇宙とともに死ぬよ、と言えばいい。あとは個々の人間のことで、一般性としていうことはできない。いくら科学が発達しても、銀河系宇宙がある限り生きていくけれど、それ以外は、個々の人間は鎖のようにつながって、銀河系宇宙が死滅するまでつなげていくという考えしかできない。それが宮沢(賢治)さんにとっては、宗教よりも大切な問題だったんだと思います。(吉本隆明「反原発異論」)

個々の人間は死んでいくが、類としての人間は銀河系宇宙が死滅するまでつながっていくという。
スケールが大きく、人類の行方に少なくとも一つの指針を与えてくれる見方だと思う。そして、

「どうすれば沈みかねない船の上で、人はパン(必要)だけでなく、幸福(歓喜と欲望)をめざす生を送ることができるだろうか」(加藤典洋「人類が永遠に続くのではないとしたら」)

と問い続けることも大事なことなのだろう。
というところで、「幸福(歓喜と欲望)」につながる話題を日記風に述べていくことにしたい。



今年は天候が不順だったせいか、花見をする機会を逸したが、それでも現役で国立大医学部に合格した女生徒から、喜びと感謝を綴った手紙をもらうと、平凡な文面ではあるが、しみじみとうれしくなるものだ。
そして、今年も新しい生徒との出会いを迎えた。早速、ターミナルケアを題材に、

「私はもうすぐ死ぬんだよね」と親友から尋ねられたならどう応えるか。

というテーマの小論文を書かせた。
生徒の中に母親が死の淵にあるという者がいて、

そのときは、「どうだろうね」と軽く応えるだけにする。

という答案を提出してきた。なぜそう考えるのかといえば、ごく普通の何気ない会話に戻れるための配慮からだという。
良いことなど何も起こらず、不幸に直面している時の過ごし方としては、深刻に身構えたり、決断を急いだりすることなく、内部留保することも大切な手段かもしれない。



四月某日、名古屋からデイトレーダーの女性がやってきて、私のさびついた欲得の煩悩を洗い清め磨いたうえで、「金の成る木」をベランダに植えよと勧めてきた。
木を植えて水を与え、二,三年すれば、自然に資産が十倍ぐらいになるという。
マイナス金利の時代、信じられない話だが、仮想通貨が金融庁から認められたというように、グローバリズムの影響で、マネーゲームも新しい時代を迎え始めたようだ。
逆に言えば、日本経済の破綻も垣間見えてきたのかもしれない。
ちなみにその女性は1000万円ほどつぎ込んでいるという。
リスクはあるが、なかなかおいしい話で、「仮想富豪」になる可能性もあるようだ。
ちょうどその頃、ウルグアイの最貧大統領が来日した。
幸福とは何か、豊かさとは何か、についての彼の簡潔なメッセージは現代の若者にも影響を与えているようだ。

発展ではなく、幸福のために私たちはいる

とは大統領の言葉だが、どうも現代日本人は、発展(必要)と幸福(歓喜と欲望)という矛盾する二つを同時に追いかけようとしているようにも思われる。
私自身もまた、そうした二兎を追うハンターの一人にすぎないのだが・・・



四月某某日、ふとした拍子に、「愛は勝つ」という言葉が脳裏に浮かんで来た。
たしか、一昔前、大いに流行した歌のタイトルで、東日本大震災の復興支援ソングにもなったという。
「愛は勝つ」という言葉にいままでは軽佻浮薄な印象しか持てないできたが、憎んだり、非難したりすることが多くのエネルギーを消費するのにくらべれば、愛することは案外、楽なことに思われてきた。
年齢のせいかもしれないが、照れもなく「愛」について考えられるようになってきた。
もちろん「我々は愛し合わなければならない。でなければ死だ」(W.H・オーデン)という堅苦しいものではない。
厳密に言えば、期せずして、愛は勝ってしまうというべきだろうか。
人間関係の厳しさに直面して苦悩することも確かに大切だが、その根底に愛があることを信じていれば、いや、妄想していれば、心強いものだ。
冒頭に戻れば、類としての人間が未来につながっていくのも、愛の力があるからだと思う。
残る課題は、言辞の如何ではなく、いかに愛の質(Quality of Love)を高めるかということだ。

(掲載した四点の写真はharuwagunasさんによるもの。遅ればせの花見を楽しんでほしい)