濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

死霊の行方

2010-05-27 11:00:12 | Weblog
いまの日本はやはり相当厳しいといわざるをえない。
能に興味を持ったせいか、抑揚のない言葉をつぶやくだけの最近の鳩山首相が、無表情のままの能面=死霊に見えてきた。
それもそのはず、普天間基地移転問題では、防衛省や外務省の官僚にすっかり骨抜きにされているというのだ。
全国に米軍基地を分散させるという案も、じつは日本の軍事大国化のシナリオの一段階にすぎないという見方もある。
だれも「基地外」だということで済まされなくなるようだ。
もっとも、ダムなどの公共投資とは異なる形で、地域の活性化を促進するためには、分散化が適しているという考えがあるのかもしれないが。
それにしても、日本の国民が未来に生きる道を模索し、最後の切札に選んだのが、死霊だったとは、なんともアイロニカルな現象だが、我々いわゆる団塊の世代も定年を迎え、歴史の晴れ舞台から死霊の舞う能舞台へと移っていく、そうした流れとも照応しているとすれば、笑い事ではないだろう。
辺野古への移転承認をめぐっては、社民党でさえ意見が分裂し、もっと声を挙げるべき共産党なども、状況を静観しているような印象を受ける。
「平和憲法」というロマンの賞味期限は、果たして、あとどのくらいなのか、米中という二大大国のリアルポリティックスの波に飲み込まれてしまうおそれは十分にある。
経済面でも、株価が下がり、借金大国日本の行方はまったく先が見えない。最近のポルトガルやギリシャと似た財政破綻をきたす可能性も高く、ましてECという防波堤もないのだから、太平洋に漂流する単なる貧乏国にすぎなくなってしまうかもしれない。

とまあ、いろいろ考えて、暗澹とした気分になっていたら、横浜の自宅マンションの近くにあったヤマダ電機とディスカウントストアのダイクマが、より多くの収益、集客を求めて上大岡に引越し、鎌倉街道沿いにありながら、付近は一挙にシャッター通りの感を呈してきた。
昔は駐車場に入りきれない車がマンション周辺の道路にあふれていたものだが、隔世の感がある。
増えたのは宅配便の車ばかりで、そういえば、店に行かなくても、通販やネットで、ある程度まで、物は揃えられる時代がきつつある。
そして、いよいよiPadの日本上陸、「クラウド時代と<クール革命>」(角川勝彦)が本格化する。
小生の今日この頃は、自分の見たもの、聞いたもの、また作ったデータや気に入ったサイトのスクラップのすべてをクラウドに載せ、蓄積された巨大な記憶を検索可能にするEvernoteの威力に感心するばかりだ。
クラウドの中にクールな死霊は果たして入り込めないのか、いや、そもそも死霊はデジタル化できるかどうか、いずれ確かめてみたい気がする。


Evernoteの基本的な使い方 Mac編




夢幻能「松虫」

2010-05-23 10:17:50 | Weblog
無為な日々が続いていましたが、大過なく過ごしていますからご安心ください。
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さて、妙なことから能の世界に興味を覚えることになった。
まずは、世阿弥の作とされる謡曲「松虫」を軽く紹介しておこう。

摂津国阿倍野の市で酒を売る男の店に、「松虫の音に友を偲ぶ」という男がいたので、その謂われを尋ねると、男は、昔二人の男がこの枯野を通りかかったとき、一人が松虫の音に心を引かれて、草むらに分け入り、そのまま帰らぬ人となった・・・もう一人は、今でも彼を慕ってここに現れる。我こそがその男の亡霊だと名乗り、消え失せる。

「今もその友をしのびて松虫の、友をしのびて松虫の、音に誘はれて市人の、身を変へて亡き跡の亡霊ここに来りたり。恥かしやこれまでなり。立ちすがりたる市人の、人影に紛れて 阿倍野の方に帰りけり 阿倍野の方に帰りけり。」

その夜、酒売りの市人が回向をしていると、男の亡霊が現れて、昔を偲び、松虫の音に興じて舞を舞い、名残を惜しみながら夜明けとともに姿を消して、劇は終わる。
「松虫」は、亡霊がシテを演じる夢幻能に属する作品(執心男物)で、そこでは死者の時間と生者の時間が怪しく共存する純愛の姿が見られる。

次に「松虫」に注目するきっかけとなった久生十蘭の短編「黄泉から」も紹介しておこう。主人公(光太郎)を慕っていた、おけいという従妹(じつは彼女は謡曲の「松虫」を愛読していた)は病死したが、初盆の日に主人公のもとへ霊として訪れてくるという内容である。

光太郎は提灯をさげてぶらぶらルダンさんの家のほうへ歩いて行ったが、道普請の壊えのあるところへくると、われともなく、
「おい、ここは穴ぼこだ。手をひいてやろう」
といって闇の中へ手をのべた。

という一節で小説は終わる。ここでも、死者の時間と生者の時間が怪しく共存しており、われわれは生死を超越した情念の交流(それは生者に対する思いよりも濃密だ!)に圧倒されてしまうのである。

さて、なんでもこじつけてしまうのが、「濃さ日記」のいいところだが、小泉 義之『病いの哲学』には、フーコーの死の概念(「臨床医学の誕生」による)について言及した次のような一節があり、世阿弥と構造主義の巨匠とが手術台の上で一緒になったかのような印象を受けてしまう。

死の瞬間はない。死は境界ではない。生の終わりは瞬間でも境界でもない。同様に、生の始まりは、瞬間でも境界でもない。起こっていることは、生と死の浸透、生への死の分散、死への生の分散である。これが末期の生の実情、そして、生そのものの実情である。

とすれば、夢幻能とは、「生と死の浸透、生への死の分散、死への生の分散」を表現し、定着させた劇だということになるはずだ。

「さらばよ友人 名残の袖を、招く尾花のほのかに見えし跡絶えて、草茫々たるあしたの原の、草茫々たるあしたの原。虫の音ばかりや残るらん 虫の音ばかりや残るらん」