保坂和志の「夢のあと」というのは、平凡な日常が淡々としたタッチで描かれているだけの、まったく人々に知られていない小説なのだが、読後、妙に気になった作品だった。
あらすじをいえば、主人公とれい子は、笠井さんが小さい頃に通い、今は取り壊されることになってしまった幼稚園へと案内される。
六月の明るい日が射す園内に入ったときの様子は次のように描写されている。
廊下の隅に小さな、本当に小さくて積木のような椅子ががらくたの山みたいに積み重ねられていて、椅子の小ささに驚いて少しのあいだそれを見ていたら、ここがまちがいなく捨て置かれた場所なのだと思えてきた。
廊下に並んだ手洗い場も、これも子どもたちが手を洗ったりコップで水をくんだりするのに合わせた低さで、しかもそれがステンレスではなくて小さなタイルを貼った流しに真鍮の蛇口がついているというのが三十年前につくったものなのかそれより前なのか、とにかくいかにも昔のまだ貧しかった頃の日本の様子をしていて、なんていえばいいのか、普通に目にしている時間とか時代とかのリアリティのようなものから外れていて、全体が一つの夢のあとのように感じられてきた。
そして、「全体が一つの夢のあと」だという主人公の感想を聞いた笠井さんは、
「そういうのって、なんか、簡単すぎるじゃない」
と答えて、かすかな不満を漏らす、といったストーリーである。
ここで、かすかな不満を持つ笠井さんのために、「簡単すぎ」ない方向で考えてみることにしよう。
幼少期の身体感覚を思い出させる小さな椅子とレトロな手洗い場から醸し出される軽い違和感や喪失感、「過去にあったもの」と「現実にあるもの」との交錯というように、六月の午後の日射しを浴びた明るい廃墟は、実在の光景よりも雄弁になにかを語り出してくるが、主人公も笠井さんもその実態をうまく言い表せないでいるのだ。
そうした事情について、佐々木中は次のように述べている。
ここに椅子がありますね。特に破壊などしなくても、十年後、この椅子は古び、変わっているでしょう。
だんだん朽ちていく。この十秒でも、一秒でも、だんだん朽ちていく過程の最中にあることは変わらないわけです。(中略)
Of course all life is a process of breaking down.
スコット・フィッツジェラルドは「いうまでもなく、すべての生とは一つの崩壊の過程である」と言いました。
われわれは崩壊の過程を生きているんです。
というよりも、この崩壊の過程こそが生なのです。
もっと正確に言えば、「崩壊の過程」こそが結果として「生」と「死」の区別を産出し続けている。(「踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ」)
どうやら小説「夢のあと」の核心部分に肉薄してきたようだ。
私たちは、かすかな、そして穏やかな「崩壊の過程」を生きているのだ。
さらに私見を加えれば、こうした生の本質は時代状況と共鳴して、かすかな不満や不安、不如意を感じつつも、それを明確な危機としては受容できないでいる現代日本人の心象風景とも重なってくるように思われる。
そこで、最後に、もう一歩、光と影のコントラストがよりはっきりした詩を紹介してみよう。
旧ソ連、スターリンの圧政時代に息子がラーゲリ(強制収容所)に入れられることになったのを知ったときの女性詩人アンナ・アフマートヴァの作品(内村剛介訳)である。
息子の判決を知って
そして墜ちた ことばの石が。
まだ生きているわたしの胸に。
平気よ、覚悟していたもの。
なんとかやってみるわ。
きょうのすることの多いことーー
思い出という思い出は みなつぶしつくさねばならず
心を石に固めねばならず
生きることを あらためて覚えねばならず……
でないと……夏の木立の火照るざわめき。
窓の外はお祭りみたい。
ひさしく感じてきたことーー
この明るい日射し それに この廃屋。(一九三九年夏)
あらすじをいえば、主人公とれい子は、笠井さんが小さい頃に通い、今は取り壊されることになってしまった幼稚園へと案内される。
六月の明るい日が射す園内に入ったときの様子は次のように描写されている。
廊下の隅に小さな、本当に小さくて積木のような椅子ががらくたの山みたいに積み重ねられていて、椅子の小ささに驚いて少しのあいだそれを見ていたら、ここがまちがいなく捨て置かれた場所なのだと思えてきた。
廊下に並んだ手洗い場も、これも子どもたちが手を洗ったりコップで水をくんだりするのに合わせた低さで、しかもそれがステンレスではなくて小さなタイルを貼った流しに真鍮の蛇口がついているというのが三十年前につくったものなのかそれより前なのか、とにかくいかにも昔のまだ貧しかった頃の日本の様子をしていて、なんていえばいいのか、普通に目にしている時間とか時代とかのリアリティのようなものから外れていて、全体が一つの夢のあとのように感じられてきた。
そして、「全体が一つの夢のあと」だという主人公の感想を聞いた笠井さんは、
「そういうのって、なんか、簡単すぎるじゃない」
と答えて、かすかな不満を漏らす、といったストーリーである。
ここで、かすかな不満を持つ笠井さんのために、「簡単すぎ」ない方向で考えてみることにしよう。
幼少期の身体感覚を思い出させる小さな椅子とレトロな手洗い場から醸し出される軽い違和感や喪失感、「過去にあったもの」と「現実にあるもの」との交錯というように、六月の午後の日射しを浴びた明るい廃墟は、実在の光景よりも雄弁になにかを語り出してくるが、主人公も笠井さんもその実態をうまく言い表せないでいるのだ。
そうした事情について、佐々木中は次のように述べている。
ここに椅子がありますね。特に破壊などしなくても、十年後、この椅子は古び、変わっているでしょう。
だんだん朽ちていく。この十秒でも、一秒でも、だんだん朽ちていく過程の最中にあることは変わらないわけです。(中略)
Of course all life is a process of breaking down.
スコット・フィッツジェラルドは「いうまでもなく、すべての生とは一つの崩壊の過程である」と言いました。
われわれは崩壊の過程を生きているんです。
というよりも、この崩壊の過程こそが生なのです。
もっと正確に言えば、「崩壊の過程」こそが結果として「生」と「死」の区別を産出し続けている。(「踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ」)
どうやら小説「夢のあと」の核心部分に肉薄してきたようだ。
私たちは、かすかな、そして穏やかな「崩壊の過程」を生きているのだ。
さらに私見を加えれば、こうした生の本質は時代状況と共鳴して、かすかな不満や不安、不如意を感じつつも、それを明確な危機としては受容できないでいる現代日本人の心象風景とも重なってくるように思われる。
そこで、最後に、もう一歩、光と影のコントラストがよりはっきりした詩を紹介してみよう。
旧ソ連、スターリンの圧政時代に息子がラーゲリ(強制収容所)に入れられることになったのを知ったときの女性詩人アンナ・アフマートヴァの作品(内村剛介訳)である。
息子の判決を知って
そして墜ちた ことばの石が。
まだ生きているわたしの胸に。
平気よ、覚悟していたもの。
なんとかやってみるわ。
きょうのすることの多いことーー
思い出という思い出は みなつぶしつくさねばならず
心を石に固めねばならず
生きることを あらためて覚えねばならず……
でないと……夏の木立の火照るざわめき。
窓の外はお祭りみたい。
ひさしく感じてきたことーー
この明るい日射し それに この廃屋。(一九三九年夏)