濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

またたちかへる水無月の

2009-06-12 02:13:20 | Weblog
六月も、はや半ばを迎えようとしてきて、さすがにうっとうしい日々が続いている。

またたちかへる水無月の
嘆きを誰に語るべき
沙羅のみづ枝に花さけば
かなしき人の目ぞ見ゆる

上は、先日、ある方からのメールに添付されていたもので、芥川龍之介「相聞」の一節だというが、芥川にこんな文語詩のあったことは寡聞にして知らなかった。
とはいえ、時が過ぎ、去年のあの頃と同じ季節が再びめぐってくることについては、「年々歳々花あい似たり、歳々年々人同じからず」という詩もあるように、誰しも、深い感慨が浮かんでくるのを禁じえないのではないだろうか。

私事になるが、「かの人」が身まかって、一年がたとうとしている。
すっかり遠ざかってしまったという思いがする一方、その死に接して、割り切れなかったものは、いまだにわだかまったまま残されているような気もする。

折口信夫は「鳥の声」というエッセイで、

信濃なる すがの荒野に ほととぎす 鳴く声聞けば 時すぎにけり

という「万葉集」の歌を取り上げ、どんな時が過ぎ去ってしまったのか、肝心なところがわからない、「春に帰る約束だったのに、ほととぎすが鳴いているのを聞くと、もう、その時も過ぎて、夏が来てしまった」と解釈をしても、まだすっきりしないとして、

昔の歌は、深く考えて行くと九分九厘まではわかるのですが、ごく僅かなところがわからないで残るのが常なのです。そして、実は、それを明らかにしきれない部分が、次の時代へその歌の伝わってゆく生命になるので、ある時代に解釈が固定してしまって、生きてゆく部分のなくなった歌は、伝わって行きません。

と述べている。まさに卓見というべきで、「鳴く声聞けば」と「時すぎにけり」との間には、沈黙という無限の自己表出、無限のポエジーが隠されているのではないだろうか。

だとすれば、私の中で割り切れず、わだかまったままで残っている思いも、次の時代が持ち抱えていくしかない何かとして、あるいは伝わって行くのかもしれない。それはまた、「かの人」が、私のうちで、なお、かすかに息づいている証のようにも思われてくるのだが・・・

そろそろ紫陽花の咲く頃である。せめて、近くの公園に、うっすらと色をつけた花を見にいこうかと思っている。

IVANO FOSSATI - C'è tempo

我がグレートマザー譚

2009-06-03 20:03:07 | Weblog
最近の報道によれば、日本での出生率が上昇傾向にあるという。
そういえば、先日も、近くの駅で、子供の手をつなぎ、ベビーカーには赤ちゃんを乗せ、さらにお腹には新しい命を身ごもっている若い母親の姿を垣間見て、ある種の尊敬の念を覚えたばかりである。
少子高齢時代、地球温暖化、百年に一度の不況、さらにはパンデミックなどといった不透明な時代状況も何するものぞ、子づくり・子育てに励む母親たちの熱い意志というか、投機というか、投企というか、いずれにせよ男性にとってはミステリアスな部分が多いのではないだろうか。そこで、某日、妙齢のご婦人にそのあたりを尋ねたところ、

お人形さんのようにかわいい赤ちゃん、私にもほしい! という一念だったわ

という当意即妙な答えが返ってきて、なるほどと納得させられた。(しかも、ガンダムのように、パーツを組み立てて人工的に作り出すというのではない。かわいいものを自分の内側からリスクを負って産み出すというのだ!)

ちなみに、私の母親の場合はどうだったのだろうか。
女学校でマンドリンを弾いてばかりで、世間の何たるか知らないようなうら若き乙女が、近所に奥様を亡くして路頭に迷っているヤモメのご亭主と忘れ形見の赤ちゃんがいると聞いて同情し、後に味わう後妻の苦労など深く考えないまま、義理婚というかボランティア婚というか、とにかく新たなステージに踏み切ってしまったらしい。

だが、「カワイイ」とか「カワイソー」とかという言葉を甘く見てはいけない。
こうした女性の思いこそが、人類をここまで繁栄させてきたのかもしれないのだ。(といって、これは他人事ではすまされることではない。なにしろ、その「カワイソー」がなければ、私も存在しなかったわけだから。)

それにしても、気位だけはめっぽう強い母親に育てられたものだ。
旧姓が「葛城」で、天皇家に滅ぼされた大豪族の末裔(!?)だからかもしれないが、口ぐせは「義を見てせざるは勇なきなり」。
夫に対しても、生意気盛りの息子や娘に対しても、口論では一歩も譲ることはなく、最後には相手をねじ伏せるだけの気迫があった。
そんなわけだから、私が大学を卒業して、大学紛争の余波の中で、就職にもつかずフリーター的な状況にあったとき、母親が上京してくると聞き、とっさに
「公務員にでもなって、所帯を持って、私を安心させよ」
などというお説教のシーンを想定して、身構えたものだが、ご託宣は
「心に恥じる事がなければ、土方をしてでもいいから、がんばれ」
というものだった。
当時の私は、人生の行く末を茫漠としたものと考えはじめていたところだったから、背中を押されたような感じで、茫漠とした人生をその後、さらに深め、現在にまで至っているようにも思われる。

とはいっても、母はよく豪快な笑い方をして、我々をなごませた面もあって、甥の言葉を引用すれば

おばあちゃんは冗談で生きているような人だ

ということで、そうした印象も確かにうなずけるのだった。

とまあ、今年の母の日は何もしないまま、すでに過ぎてしまったが、その反省もこめて、我が「グレートマザー」について認めた次第である。

最後にすっかりおなじみになった Fiorella Mannoiaの曲をどうぞ。
'Quello che le donne non dicono'(英訳では'What the women don't say'とあった)

Quello che le donne non dicono (Fiorella Mannoia)