中学受験もピークを迎えた過日、あるご婦人からお孫さんの受験の話を聞かされた。
わざわざ湯島天神まで合格祈願のお札を求めに行ったのだが、受験生の父である息子さんの勘違いから誤った日程が伝えられ、すでに受験日が過ぎていたとのことで、幸い難関校には合格したものの、腹がたつやら気落ちするやらで、嬉しさも半減したというのだ。
私はといえば、「親バカ」ならぬ「祖母バカ」ぶりの漂うご婦人が「うちのバカ息子が…」などと嘆いても大した説得力はない、かえってお孫さんの実力を証明することになったのだから、ますますおめでたいことではないかと、ひとまずは慰めてみたのだった。
しかし、よく考えてみれば、お受験に付き添う父親も見かけるようになった昨今、日程をまったく意に介さない息子さんの器量の大きさというものも、じつは合格を裏で支え、さらには今後の成長の可能性、十分な「伸びしろ」を用意しているのでないかとさえ思われてきた。
そこで思い浮かんできたのが、大愚良寛の半生である。
托鉢に回るのを忘れて、子供と毬遊びに興ずるようなバカ坊主だが、それほど単純、無邪気な人間だったとはどうしても思われない。その証拠に
回首五十有餘年 首を回らせば五十有余年
人間是非一夢中 人間の是非は一夢の中
山房五月黄梅雨 山房 五月 黄梅の雨
半夜蕭蕭灑虚窗 半夜蕭蕭として虚窓に灑(そそ)ぐ
生まれてこのかた五十年あまり。
振り返って考えてみると、この世界は善も悪も夢のようなものだ。
山中の庵に五月雨がふりかかる。
夜中に、さびしげにふる雨を、
私はこのみすぼらしい窓から眺めている。
と、貧しい庵での憂鬱な日々を過ごす中での思索に富んだ「半夜」という詩を残している。
そうした良寛だが、晩年には貞心尼という若く美しい尼僧との運命的な出会いがあった。
むらぎもの 心をやらむ方ぞなき あふさきるさに思ひ乱れて
齢七十にして、良寛は一挙に恋多き男、恋に悩む男に変貌するのだ。
ちなみに兼好法師は、色好みではない男は物足りないとして、次のように言っている。
あふさきるさに思ひ乱れさるは独寝がちにまどろむ夜なきこそをかしけれ
さりとて一向たはれたる方にはあらで女にたやすからず思はれんこそあらまほしかるべきわざなれ
切ない恋のために思ひ乱れ 、眠れぬ夜を過ごすような振る舞いこそ情趣深い。
しかし、ただ淫らに女を求め過ぎるというのではなく、女に軽い男と思われない程度に振る舞うのが望ましいのだ。(『徒然草』 第3段)
事実、貞心尼の深い愛に支えられ、良寛は大往生を遂げる。
大愚が大賢に変わる瞬間だった。
*良寛の書
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/47/716b7d69c5deab489015aeaf3845a105.jpg)
わざわざ湯島天神まで合格祈願のお札を求めに行ったのだが、受験生の父である息子さんの勘違いから誤った日程が伝えられ、すでに受験日が過ぎていたとのことで、幸い難関校には合格したものの、腹がたつやら気落ちするやらで、嬉しさも半減したというのだ。
私はといえば、「親バカ」ならぬ「祖母バカ」ぶりの漂うご婦人が「うちのバカ息子が…」などと嘆いても大した説得力はない、かえってお孫さんの実力を証明することになったのだから、ますますおめでたいことではないかと、ひとまずは慰めてみたのだった。
しかし、よく考えてみれば、お受験に付き添う父親も見かけるようになった昨今、日程をまったく意に介さない息子さんの器量の大きさというものも、じつは合格を裏で支え、さらには今後の成長の可能性、十分な「伸びしろ」を用意しているのでないかとさえ思われてきた。
そこで思い浮かんできたのが、大愚良寛の半生である。
托鉢に回るのを忘れて、子供と毬遊びに興ずるようなバカ坊主だが、それほど単純、無邪気な人間だったとはどうしても思われない。その証拠に
回首五十有餘年 首を回らせば五十有余年
人間是非一夢中 人間の是非は一夢の中
山房五月黄梅雨 山房 五月 黄梅の雨
半夜蕭蕭灑虚窗 半夜蕭蕭として虚窓に灑(そそ)ぐ
生まれてこのかた五十年あまり。
振り返って考えてみると、この世界は善も悪も夢のようなものだ。
山中の庵に五月雨がふりかかる。
夜中に、さびしげにふる雨を、
私はこのみすぼらしい窓から眺めている。
と、貧しい庵での憂鬱な日々を過ごす中での思索に富んだ「半夜」という詩を残している。
そうした良寛だが、晩年には貞心尼という若く美しい尼僧との運命的な出会いがあった。
むらぎもの 心をやらむ方ぞなき あふさきるさに思ひ乱れて
齢七十にして、良寛は一挙に恋多き男、恋に悩む男に変貌するのだ。
ちなみに兼好法師は、色好みではない男は物足りないとして、次のように言っている。
あふさきるさに思ひ乱れさるは独寝がちにまどろむ夜なきこそをかしけれ
さりとて一向たはれたる方にはあらで女にたやすからず思はれんこそあらまほしかるべきわざなれ
切ない恋のために思ひ乱れ 、眠れぬ夜を過ごすような振る舞いこそ情趣深い。
しかし、ただ淫らに女を求め過ぎるというのではなく、女に軽い男と思われない程度に振る舞うのが望ましいのだ。(『徒然草』 第3段)
事実、貞心尼の深い愛に支えられ、良寛は大往生を遂げる。
大愚が大賢に変わる瞬間だった。
*良寛の書
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