濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

ポストコロナ序説

2020-05-05 19:38:25 | Weblog
コロナ禍が我々の秩序感覚を大きく乱し、希望を語ったり、励ましを与えたりするのが難しい日々が続いている。
そして、少し前の過去も少し先の未来も急に色あせて見えてくる。
その一方、大きな歴史的出来事に立ち会っているのだという感慨を虚ろなままに味わっている。

ところで、最近のテレビCM(清涼飲料水)に、登山服姿の宇多田ヒカルがアルプスの山岳の滝の近くでワーズワースの詩を朗読するものがある。

 月光をして 汝(なんじ)の逍遙(しょうよう)を照らさしめ
 山谷(さんこく)の風をして ほしいままに汝を吹かしめよ


現代の女性ポップジンガーと格調の高い文語調の詩の取り合わせは時代錯誤を免れないが、それがかえって新鮮で快い気持ちにもさせてくれる。
ワーズワースの同じ詩を引用している作品に国木田独歩の「小春」がある。

自分は夜となく朝となく山となく野となくほとんど一年の歳月を逍遙に暮らした。
自分はわが情とわが身とを投げ出して自然の懐(ふところ)に任した。


とあり、これは他者との距離を置き、密接、密集、密閉を避けるという意味では「ソーシャル・ディスタンス」の考え方とも妙に符合し、案外新しい詩情になるのではないだろうか。
ポストコロナとは、近現代の稠密な高度情報空間から、ウイルスと文明が共生する「デジタルネイチャー」の空間へと推移する時代になりそうだ。

サントリー天然水『光も風もいただきます』篇 60秒CM / 宇多田ヒカル

落葉の季節に(デスぺレートな季節2)

2019-11-22 14:41:05 | Weblog
今年も落葉の季節になった。

「生命の一循環を終えたのだから
生れかわるためには、死なねばならないと、
根が考え、幹が感じている」(鮎川信夫「落葉樹の思考」)


そんな時期になると、例年、喪中の葉書が何通か届けられるのだが、
今年は、ことさら悲しい一葉の訃報を受け取った。
私よりも随分若い、清楚なご婦人が亡くなったのだ。
育ち盛りのお子さんを残して、六月に旅立たれたという。
死因はなんであれ、年下の知人の死というものはなんとも辛いものだ。
無常迅速の思いに囚われるが、にもかかかわらず、
自分がなおも生きのびていくこととは、生きのびていくこととは……。
後は言葉が続かないでいる。

「晴れわたった今日の天気に、わたくしはかの人々の墓を掃(はら)いに行こう。
落葉はわたしの庭と同じように、かの人々の墓をも埋めつくしているのであろう。」
(永井荷風「作後贅言」)



私的 2.0

2019-07-18 17:28:16 | Weblog
ようやくにして令和初、復活のブログアップともなった。
別に筆を折ったといった大げさなことではないが、とにかく生計のために稼ぐことに忙しく、自分のあり方、世界のあり方を振り返る余裕などなかっただけである。
それでも、最近は若手の評論家、学者(宮台真司、東浩紀、宇野常寛、落合陽一など)の話をyoutubeにて聞き、発想を異にする戸惑いとともに、幾分若返ったような新鮮な気分を味わっている。
落合陽一は現代の日本で、良かれ悪しかれ、「希望」を語れる数少ない人間だと思う。
また、宇野常寛は國分功一郎との対談で、平成という時代について
「日本国憲法は(明仁)天皇に敗れた」
と鋭いコメントをしたことも記憶に残る。

それでは、これまでの空白期間の埋め合わせとして、フェイスブックに投稿したものから、いくつか抜粋することにする。


変貌し続けるシブヤ……面影の消失
現実の都市は交通を遮断する場所、細分化されて棲み分けられた既得権のモザイク、互いが互いをしめだす空間なのだ。(管啓次郎)
高度経済成長以降の都市がわたしたちの存在の根拠となりえなかったのは、都市が私たちの主体的な参加なしに、延命を絶たれ、市場の効率を目指してスクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきたからではなかったか。(柏木博)



ポスト・トゥルース(次なる真理への希求)としての現代
・ビットコイン…使用価値が限りなく希薄化した金。
・ブロックチェーン…権威や権力を無化する分散化システム。



他者への接近
「他者の弱さが私を呼ぶ。他者の可死性、モルタリテ、他者が死ぬものだということ──それが人を呼ぶのだ」(レヴィナス)
他者への接近は、私の不足を補うのでもなく、私を満足させるのでもなく、むしろ私に関わりがなかったはずの、無関心のうちに放置すべきであったはずの、危険な状況のうちに私を巻き込むのです。



複数性の世界
人間は、自分の為すことを意のままに支配する主人であり続けることができず、帰結を知るよしもなければ、将来を当てにすることもできない。
だがこれは、人間が他の同等の人びととともに世界に住んでいることと引き換えに支払わねばならない代償なのである。(ハンナ・アーレント)

感想二つ

2019-02-26 12:15:00 | Weblog
1 夜・舗道・文学

幼少の時から、言葉を出すのが遅かった。
特に慎重だったわけではなく、反射的に言葉が出ないのである。
現在でも、無口な人間で通っている。
心の中での「内語」は饒舌なのに、外にはなかなか出てこない。
とすれば、私にとって、言葉とは夜の舗道を彷徨う「文」なのだ。

「文学を急がせてはならない。
答えにならない口ごもり、行動にむかうまえの足のためらい、出発の夜明けがくるまえの待機の夜の期待を、
「文」とのつきあいは、日々ひきうけるのだから。」(管啓次郎)



2 忘却

アストル・ピアソラのバンドネオン、
ブエノスアイレスの場末の街角でタンゴを踊る男女、
それを見守る人々、
切なさと懐かしさいっぱいの曲の名はOblivion(忘却)。
──思い出が傷だとすれば、忘却は癒しになるのだろうが、忘却だって、それはそれなりにわけありだ。
忘れたくても忘れられないことがあり、忘れたくなくても忘れてしまうことがあるから、
忘却は後ろ向きの予言なのかもしれない。

Astor Piazzolla plays Oblivion - Bandoneon and orchestra

懐かしい人々

2019-01-31 18:52:02 | Weblog
私事になるが、昨年、ひょんなことから同期会の幹事を引き受けてしまった。
リーダーシップのかけらもない自分には何とも身にそぐわぬ役回りだが、他に担当しようとする懇篤な方も現れないので、「幹事」という名義だけ貸すような気持ちで、しぶしぶ求めに応じることにした。
それでも、多くの方の協力を仰いだおかげで、会は大過なく終わり、まずは、ほっと肩をなでおろしている。
それにしても、なぜ、こんなことになってしまったのか。
振り返れば、もう十年以上も前にもなるだろうか。懐かしさが手伝って同期会の集まりにふらりと顔を出したことが始まりだった。この時の懐かしさは

ふるさとの訛(なまり)なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく(石川啄木「一握の砂」)

という人恋しさからであったろう。賑やかな酒場の暖簾を冷やかしぎみにくぐったという気分である。あるいは

気障(きざ)な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初めた。(森鴎外「雁」)

といった、軽い心のときめきもそこに含まれていたのかもしれない。
ちなみに、「懐かしい」は「夏」や「なつく」と語源的に同じらしい。
距離が縮まり、温もりが伝わるといったニュアンスがあるように思う。
そのためか、その後は情にほだされて、ズルズルと毎年出席するようになり、現在に至っている。
ところで、懐かしさは過去の自分と現在の自分をつなぎとめ、アイデンティティの安定性を保持するものだとも言われている。
同級生の、それなりに年輪を重ねながらも、どこか昔のあどけない面影を残す姿を見ているうちに、あのときの教室の様子、あのときの自分の生活、あのときの時代の雰囲気までもが自然に思い出されてくる。
そして、過去の自分と今の自分が一列につながっていく。だから、「懐かしさ」の多い人生は、きっと豊かな人生なのだろう。
ところが、こんな思いに冷水を浴びせるような文章に巡り合った。

昔から同窓会というものが嫌いで、何十度となく案内をもらったが、とうとう一度も出なかった。たまたま同じ年に同じ学校にいたというだけで、改めて旧交をあたためるのはヘンテコなことだし、何の必然もないのに集まってワイワイ騒ぐのはコッケイなことだからだ。(池内紀)

たしかに、こうしたクールな見方も十分理解でき、むしろ正論だともいえるのだが、「同じ年に同じ学校にいた」ということだけで、何物にも代え難い深い因縁を感じることがあるのも否定できない。

論語に「温故知新」とある。「故(ふる)きを温(たず)ねる」ばかりで「新しきを知る」ことがなければ、人生は停滞してしまう。
「温故知新」に類する語句には、「来を知らんと欲する者は往を察せよ」がある。
懐古主義の小部屋に閉じこもっていても、ITやAIの嵐に無残な姿をさらすだけになる。
懐かしさに酔いつつ、「来を知らんと欲する」ような進取の気概が必要になるだろう。
今年もやがて同期会の案内が来る。
どんな態度で同級生の仲間に接していくべきか、思案しているところである。

サヨナラ平成

2018-12-31 12:48:30 | Weblog
今生天皇の年末の誕生日の会見をテレビで感慨深く見た。
時折、声が上ずっていることからもわかるように、譲位を控えた天皇の言葉には相当な思いが込められていたことは確かであろう。
そして、周囲の記者たちからもすすり泣く音が聞こえていたというから、悲壮感では比べものにはならないものの、どこか昭和天皇の玉音放送を思い出させるものだった。では、その思いはどこからくるのだろうか。
天皇の言葉を簡潔に要約すれば、災害に見舞われながらも戦争のない時代に、象徴天皇という役割を全うできた、またそれは皇后や多くの国民の支えによって実現できたという二点に尽きると思われる。
中村礼治は自身のブログでこう述べている。

彼が誕生日に際しての記者会見で
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
と語ったのは、もしかしたら自分の代のうちに戦争が起きるかもしれないと怖れていたことを示している。
多くの国民からは杞憂に見えるに違いないこの懸念は、先代が遂行した大戦の責任を取ろうとする覚悟なしには生まれないはずだ。
 彼がその緊張を持続させた平成の30年間は、同時に「第二の敗戦」(吉本隆明)に帰結した30年でもあった。
ハードからソフトへの産業構造の転換に日本の国家も社会もついて行けず、それにあらがった結果の敗戦だった。
それは心の病、心の不調をありふれたものにしてしまった。
相次ぐ災害でそれが増幅され、あらたに生み出されもしているのを感じ取った現天皇は、その責任も取ろうと退位を決意した。それだけではない。
この敗戦は敵がはっきりしていた「第一の敗戦」とは異なり、国民も、政治や経済の指導者たちも負けたことにほとんど気づかなかった。
未曽有の災害を通してそれに気づいていた天皇は、自分が降伏を宣言するしかないと考え、退位の表明をその宣言に代えたと考えることができる。
だれも降伏を言い出せず、天皇の玉音放送を待つしかなかった「第一の敗戦」のときのように。


中村氏の説に従えば、今回の会見は一種の降伏宣言であり、どこか悲哀を含んでいたのはそのためだったという解釈も生まれる。
「第二の敗戦」をわかりやすく言い換えれば、アメリカに負けた上に、中国にも負けてしまった30年でもあろう。
さらに私感を加えれば、悲哀はやがて第一次産業の衰滅とともに天皇制も衰滅していくことを直感していることから来ているかもしれない。
とはいえ、天皇制という〈宗教〉を〈政治〉と拮抗させながら、よくその存在感を発揮してきたと思う。
特に最近は改憲をもくろむ首相との確執が明らかになってきているようだ。
しかも天皇制に否定的な態度を示していた旧左翼やリベラル派などよりも、はるかに説得力を持って国民に現憲法の大切さを訴えてきた。
歴史における一つのイロニーを感じざるを得ない。

胸騒ぎの十一月

2018-11-13 01:56:21 | Weblog
同期生の中から、ちらほら認知症の仲間の報告を受けるようになった。
しかし、ひときわ悲しかったのは、後輩の死を知らされたときだ。
自分もとっくに死から数えた方が早い年齢になっているのだろう。
つらい思いをしているとき、「生きすぎた罰」を背負っている自分の姿が頭に浮かぶこともある。
ある老批評家は次のようなことを告げていた。

「老境……累積する膨大な過去の記憶のなかで、死者たちとの濃密な対話によってこそ、未来性が獲得されてゆく。」(三上治)

話題は変わり、共通テストの試行調査が実施されたが、それに対応した模試の作成依頼を某予備校から受けた。
大騒ぎするほどには評判の芳しくない入試改革だが、予備校講師などの嫌がる仕事でも快く引き受けるのが、スキマ産業のトップランナーである我が使命である。
早速、テストを解いてみたら、次の文章に突き当たった。

花そっくりの花も、花より美しい花もあってよい。
それに香水をふりかけるもよい。
だが造花が造花である限り、たった一つできないのは枯れることだ。
そしてまた、たった一つできるのは枯れないことだ。(吉原幸子)


入試の出典にしてはもったいない、ふと立ち止まってみたくなるような文章だ。
君は「枯れる」ことを引き受けるのか、「枯れない」ことに賭けるのか、
不惑の年齢をとうに過ぎているというのに、胸騒ぎがする十一月である。


霧へ 2018

2018-10-23 17:24:44 | Weblog
縁あって一冊の書をある歌人から贈られた。

歌人はその書で筆を絶ったS氏の事情を謎として取り上げているが、その一節に

「彼がそうせざるを得ない状況を私は憎む」

という引用がされていた。
「そうせざるを得ない状況」──S氏がなぜ筆を絶ったのか、その事情は私もよく知らない。
ただ、この文章を読んで、急に私の当時の状況がよみがえってきた。
当時、1970年代後半、私は生活を虚構とみなして無視し、多く読み、多く感じ、多く考えることに専念していた。
あるいは素手で社会に対峙しようとしていた。
だが、その後、今から振り返れば、高度資本主義の流れに急速に巻き込まれていったようだ。
当時の「私」から見れば、現在の「私」こそが、足場のない虚構に立っているように見えるだろう。

次の詩はS氏の影響を受けて書かれたもので、急速に転位する当時の心境を伝える唯一の資料となるものだ。
「霧へ」という言葉が聖歌の「キリエ(神よ憐れみ給え)」という響きと重なって感慨深い。

うつむいてのち 
うけてたつ 命
静かに
なにもつかめなかった なにものも
ただ空白を 手に握りしめたまま
霧へ 霧へ
晒せの方位へと

沁みてくる風に 心は揺らぎ
記憶を撫でるように 
追うように 揺らぐが

ひろがりゆく荒涼


なお、アップした後で、すでに「霧へ」というタイトルのブログが作られていたことに気づいた。
それでも、取り上げる角度が少し違うと思うので、あえて掲載することにした。

再開・再会

2018-10-10 03:32:44 | Weblog
長き休眠状態を脱して、まったくのひさしぶりにブログに向かうことにした。
ようやくにして、古希を祝う同期会の幹事の任務から解放され、少し時間が取れるようになったからである。
同期会……恩師や同期生と再会して過去が豊かになった分、現在と未来がおろそかになったような気もする。
それにしても、北海道の故郷の衰退が懸念される。

有限なゲノム情報にもとづきながら、生命体は個体ごとに異なり、一個体のうちにも多種多様な細胞を有し、全体として無限とも思われる多様性を表現している。

先日、ノーベル賞を受賞した本庶佑先生の言葉である。
有限である人間が無限の多様性を目指していく、ここに生命の不思議がある。
故郷もまた、衰退に身を任せるだけでははない。
どこかに無限の多様性に立ち向かうエンジンが見つかるはずだ。

その手がかりの一つとして、廃校を利用した美唄のアルテピアッザを紹介しておこう。
そこには、石と風と樹々のそよぎがあった。




sweetback(影の部分)

2018-05-04 14:58:37 | Weblog
朝鮮半島の政治状況を巡り、歴史の大きな転換点を迎えていることを実感する今日この頃である。
ドラスティックともいえるこうした急激な変化に至る要因を考えれば、トランプの背後には、高度情報化社会、グローバル社会に乗り遅れたアメリカの中下流の労働者がいるのだろうし、金正恩の背後にも貧しく餓死寸前の多くの北朝鮮人民がいるだろうことは確かだ。
ついでに言えば、安部晋三の背後にも、「忖度」を好む我々のアジア的なエトスが横たわっているといえるだろう。
何も政治の世界だけではなく、大谷翔平や羽生結弦の華々しい活躍の背後にもそれを陰で支える多くの人々がいるに違いない。
そして、私自身も何か大きなものの背後で、影のように揺らめいている存在に過ぎないのではないかと思われてくる。

背後の影……こんなことに思いを馳せるようになったのは、数多くの名曲を残しているSadeのバックミュージシャンたちが、ずいぶん前にsweetbackというグループを作っていたことを知ったからだ。
彼らはそれぞれかなりクオリティの高いミュージシャンだから、「背後の影」というのも失礼なほどで、彼らが音楽の道を究めるのも、当然だと言えるだろう。
現に「センシティブな夜のお供に」というキャッチフレーズのついた彼らのアルバムは、クールに仕上がっている。
もちろん、影の部分だけで独立しても、やはり「華」となるものがないと物足りない気もするのだが……

Sade - Like a Tattoo (Live Video from San Diego)



Gaze - Sweetback


そういえば、小池昌代に「鳥の影」という散文詩的な作品がある。

「鳥の影」というものに、わたしはいつも、みとれてしまう。
 秋、きりりと空気が澄み、明るい日差しが、さんさんと降り注ぐ午後など、空を飛ぶ本体に少し遅れるように、地上に流れる鳥の影の美しさ──。
 影の落ちる場所はさまざまだった。公園の芝生のうえ、石の径、広げたノート、ひとの衣服のうえにも。
 鳥にも鳥の魂があるのなら、それは身体よりも影のほうこそを、居場所と決めて宿るのではないか。実体から静かに分離され抽象された、もう一羽の鳥を眺めるように、わたしは鳥の影を愛する。


何気ない鳩の様子を描写したものだが、目の付けどころが違い、やはり非凡な感性がうかがわれる。
影が実物以上に生々しい存在感をもつということがあるのだ。
アメリカの中下流の労働者や貧しく餓死寸前の多くの北朝鮮人民のように。
私もまた何物かの濃密な影であるという困惑を忘れずに、市井の人として歩み続けたいと思う。