今生天皇の年末の誕生日の会見をテレビで感慨深く見た。
時折、声が上ずっていることからもわかるように、譲位を控えた天皇の言葉には相当な思いが込められていたことは確かであろう。
そして、周囲の記者たちからもすすり泣く音が聞こえていたというから、悲壮感では比べものにはならないものの、どこか昭和天皇の玉音放送を思い出させるものだった。では、その思いはどこからくるのだろうか。
天皇の言葉を簡潔に要約すれば、災害に見舞われながらも戦争のない時代に、象徴天皇という役割を全うできた、またそれは皇后や多くの国民の支えによって実現できたという二点に尽きると思われる。
中村礼治は自身のブログでこう述べている。
彼が誕生日に際しての記者会見で
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
と語ったのは、もしかしたら自分の代のうちに戦争が起きるかもしれないと怖れていたことを示している。
多くの国民からは杞憂に見えるに違いないこの懸念は、先代が遂行した大戦の責任を取ろうとする覚悟なしには生まれないはずだ。 彼がその緊張を持続させた平成の30年間は、同時に「第二の敗戦」(吉本隆明)に帰結した30年でもあった。
ハードからソフトへの産業構造の転換に日本の国家も社会もついて行けず、それにあらがった結果の敗戦だった。
それは心の病、心の不調をありふれたものにしてしまった。
相次ぐ災害でそれが増幅され、あらたに生み出されもしているのを感じ取った現天皇は、その責任も取ろうと退位を決意した。それだけではない。
この敗戦は敵がはっきりしていた「第一の敗戦」とは異なり、国民も、政治や経済の指導者たちも負けたことにほとんど気づかなかった。
未曽有の災害を通してそれに気づいていた天皇は、自分が降伏を宣言するしかないと考え、退位の表明をその宣言に代えたと考えることができる。
だれも降伏を言い出せず、天皇の玉音放送を待つしかなかった「第一の敗戦」のときのように。
中村氏の説に従えば、今回の会見は一種の降伏宣言であり、どこか悲哀を含んでいたのはそのためだったという解釈も生まれる。
「第二の敗戦」をわかりやすく言い換えれば、アメリカに負けた上に、中国にも負けてしまった30年でもあろう。
さらに私感を加えれば、悲哀はやがて第一次産業の衰滅とともに天皇制も衰滅していくことを直感していることから来ているかもしれない。
とはいえ、天皇制という〈宗教〉を〈政治〉と拮抗させながら、よくその存在感を発揮してきたと思う。
特に最近は改憲をもくろむ首相との確執が明らかになってきているようだ。
しかも天皇制に否定的な態度を示していた旧左翼やリベラル派などよりも、はるかに説得力を持って国民に現憲法の大切さを訴えてきた。
歴史における一つのイロニーを感じざるを得ない。
時折、声が上ずっていることからもわかるように、譲位を控えた天皇の言葉には相当な思いが込められていたことは確かであろう。
そして、周囲の記者たちからもすすり泣く音が聞こえていたというから、悲壮感では比べものにはならないものの、どこか昭和天皇の玉音放送を思い出させるものだった。では、その思いはどこからくるのだろうか。
天皇の言葉を簡潔に要約すれば、災害に見舞われながらも戦争のない時代に、象徴天皇という役割を全うできた、またそれは皇后や多くの国民の支えによって実現できたという二点に尽きると思われる。
中村礼治は自身のブログでこう述べている。
彼が誕生日に際しての記者会見で
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」
と語ったのは、もしかしたら自分の代のうちに戦争が起きるかもしれないと怖れていたことを示している。
多くの国民からは杞憂に見えるに違いないこの懸念は、先代が遂行した大戦の責任を取ろうとする覚悟なしには生まれないはずだ。 彼がその緊張を持続させた平成の30年間は、同時に「第二の敗戦」(吉本隆明)に帰結した30年でもあった。
ハードからソフトへの産業構造の転換に日本の国家も社会もついて行けず、それにあらがった結果の敗戦だった。
それは心の病、心の不調をありふれたものにしてしまった。
相次ぐ災害でそれが増幅され、あらたに生み出されもしているのを感じ取った現天皇は、その責任も取ろうと退位を決意した。それだけではない。
この敗戦は敵がはっきりしていた「第一の敗戦」とは異なり、国民も、政治や経済の指導者たちも負けたことにほとんど気づかなかった。
未曽有の災害を通してそれに気づいていた天皇は、自分が降伏を宣言するしかないと考え、退位の表明をその宣言に代えたと考えることができる。
だれも降伏を言い出せず、天皇の玉音放送を待つしかなかった「第一の敗戦」のときのように。
中村氏の説に従えば、今回の会見は一種の降伏宣言であり、どこか悲哀を含んでいたのはそのためだったという解釈も生まれる。
「第二の敗戦」をわかりやすく言い換えれば、アメリカに負けた上に、中国にも負けてしまった30年でもあろう。
さらに私感を加えれば、悲哀はやがて第一次産業の衰滅とともに天皇制も衰滅していくことを直感していることから来ているかもしれない。
とはいえ、天皇制という〈宗教〉を〈政治〉と拮抗させながら、よくその存在感を発揮してきたと思う。
特に最近は改憲をもくろむ首相との確執が明らかになってきているようだ。
しかも天皇制に否定的な態度を示していた旧左翼やリベラル派などよりも、はるかに説得力を持って国民に現憲法の大切さを訴えてきた。
歴史における一つのイロニーを感じざるを得ない。