濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

一人だけの七回忌

2014-06-24 16:47:01 | Weblog
その人が身まかってから早いもので、まる六年を迎える。
ただし、義父、義母の老いと衰えが急速に進み、また、娘も仕事に忙殺されているということで、特に七回忌の法事はしないことになったようだ。

もとより、私はその人が息を引きとる際に立ち会ったわけでもないし、葬儀に参加しなくてもよいという娘の指示にしたがったまま、遺影を抱いたわけでも、骨を拾ったわけでもなく、いまだに埋葬された墓がどこにあるのかすら知らないでいる。
ただ、六年の歳月が、すっかりその人の記憶を浄化して、良き思い出ばかりをよみがえらせてくるのはどうしたことか。
今にして思えば、ひどくバランスは欠いていたけれども、悲運を突き進んでいった女性のひたむきさがあったようにも思われてくる。

新婚時代の六月の頃、その人が淡い色の紫陽花の咲くそばで傘をさし、優しく微笑んでいる姿を映した写真があった。
あの頃はまだ生活の疲れも精神的な乱れもなく、どこか恥ずかしげな品の良さが、雨に洗われた風景に浮き立っているような一枚だった。
その写真がどうなったのか、娘に問うてみたが、自分が生まれる前の写真など知るよしもないという、つれない返答であった。

いまさら死に別れた女性の自慢話などしても湿っぽくなるだけだから、『源氏物語』の「桐壺」の一節を取り上げてみることにしよう。
光源氏を生んで間もなく亡くなった、帝の最愛の更衣、桐壺御息所について、帝は次のように回想する。

心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。
(とりわけ優れた琴の音を掻き鳴らし、ついちょっと申し上げる言葉も、人とは格別であった雰囲気や顔かたちが、面影となってひたとわが身に添うように思し召されるにつけても、闇の中の現実にはやはり及ばないのであった。)


闇の中の現実──六年がたち、私たちの運命がいまさら変えようのない絶対的な重みをもっていることもまた、ひしひしと感じられてくる。
その人の昔のありさまが美化されていく背景には、あるいは現在の困窮が横たわっているのかもしれない。

読経の声も、線香のくゆる煙も、供える花もなく、何の供養にもなるわけではないのだが、せめて、その人の面影を我が身に添わせて、紫陽花の咲く頃、一人だけの七回忌を営もうと思っている。


ボタニックガーデン──無人称にして全人称たる「いのち」

2014-06-20 18:28:56 | Weblog
地上のどこにでもある材料、つまり簡単な無機物、水、二酸化炭素を元にして、自分の力で生命の源を作り上げていく植物たち、彼らは大空と大地にからだを伸ばし、生ー殖ー死のリズムを四季の変化にそのまま従わせていくのだが、中でも最も華やぐ薔薇の開花の季節を私たちは選び、英国式庭園のボタニックガーデンを訪れた。
あいにく雨に打たれてしまったが、それでも草花や木々の圧倒的な存在感を前にして、充実した時間を過ごすことができた。
さて、よく整備された緑濃き庭園のたたずまいをいま振り返り、唐突に思い浮かんできたのは、ほかでもない、前回、前々回とブログで取り上げた、生のさなかを迎える前にこの世を去った倫ちゃんやフーちゃん、そして長期脳死の幼女、有里ちゃんたちのことだ。
たとえば、有里ちゃんが永眠した時の様子を母親は次のように語っている。

霊安室には病棟の先生方、看護師さん、保育士さんが交代でお別れに来てくれました。
お休みの看護師さんもわざわざ駆けつけてくれました。
みんなが有里に手を合わせて「ありがとう!」と言ってくれます。
お世話になったのは有里だから、「ありがとう」はこちらの言葉なのに、本当に多くの方が、たくさんの「ありがとう」を言ってくれました。
(中村暁美『長期脳死 娘、有里と生きた一年九ヶ月』)


このときの「ありがとう」とは、有里ちゃんが精一杯生きて、「いのち」の尊厳といったものが、皆にも共有されていると気づかせてくれたことに対する感謝や畏怖の念だと思われるが、それは草花で囲まれた庭園をみたときの私たちの感動ともどこかでつながっているのではあるまいか。

白川静『常用字解』によれば、漢字の「命」は「神のお告げ、仰せ、いいつけ」の意味で、「いのち」の意味にも用いられるのは、「いのち」が天から与えられたもの、神の仰せであると考えられたからだという。
草花もまた、天から与えられた「いのち」を育み、やがて神の仰せのまま花を咲かせるのであり、そのさまは、尊厳ある「いのち」の象徴として私たちの心を感謝や感動で満たす。
言い換えれば、「いのち」は「私のいのち」などというように私有化したり、人智で決定したりコントロールしたりすることなどできないもの、「私」という小賢しい意識が生まれる前から既に備わっていたものということにもなる。
そして、雨が降りしきる庭園の静けさの中で、草花は群れをなし、精一杯そうした「いのち」を主張していたのである。

こうした無人称にして全人称たる「いのち」について、長女に重度の障害児をもつ児玉真美は次のように述べている。

ひとつひとつの命が大切なのは、その個々の命が他よりも優越しているからでも、他の命よりも社会にとって有用や有意義だったりするからでもなく、ひとつひとつの命がすべて私たち一人ひとりの存在をはるかに超えた大きな「いのち」とつながり、その中に包まれて、また同時にその「いのち」を自らのうちに包み込んで、そこにあるがゆえに大切なのだ、と思う。
それが「尊厳」ということではないのだろうか。
だからこそ、ひとつの命がすでにその身体を去っているとしても、私たちは亡きがらや遺骨の尊厳に対して首を垂れ、手を合わせるのだろう。
ひとつひとつの命だけでなく、普遍的な大いなる「いのち」に対して畏怖し、おのずと頭が下がるのだろう。(『死の自己決定権のゆくえ』)


「尊厳死法案」なるものが国会に提出されるという現在、一考に値する言葉だと思われる。



「家族」という名の患者

2014-06-09 22:49:46 | Weblog
前回の倫ちゃん、フーちゃんの終末期医療について、もう少しこだわってみたい。
先日、久しぶりで医科歯科大の教え子に会ったので、同じ文章を読ませ、感想を聞いたところ、医師たちの行為は立派な医療であるとの返事が返ってきた。
そして、感慨深げにこんな話をしてくれた。
彼の祖父が倒れたとき、無駄な延命治療と知りつつ、祖母たち家族はそれを望み、医師たちも反対はしなかった。
やがて祖父が亡くなったとき、精一杯の治療を尽くしたという思いが祖母の心をどれほど慰め、救うことになったか、というのだ。
患者自身は救えなかったにせよ、家族は救えたというのも、たしかに立派な医療であるに違いない。
〈医師にとっての医療〉、〈患者にとっての医療〉のほかに、第二の患者である〈家族にとっての医療〉もあるはずで、それぞれ別な角度から考えなければなるまい。

やがて短命のうちにこの世を去っていった倫ちゃん、フーちゃんの家族にとっても、みんなで話しかけたり、歌ったりした体験は、つらい記憶の中でかすかな癒しとなって残っていくのではないだろうか。
そうした牧歌的光景もまた、殺伐とした今日の医療現場だからこそ、かえって意義深いと思う。

次は長期脳死の子ども──子どもは脳の状態が大人よりも柔軟性に富んでいて、脳死状態でも成長することさえある──を扱った小松美彦の文章『生を肯定する』の一節である。

私たちは本当は「ただ生きているだけ」に尊厳なるものを感じてしまっているという事態を呼び起こし、その感覚を言葉にしていくことが重要だと思っています。
例えば『長期脳死──娘、有里と生きた一年九ヵ月』を書かれた中村暁美さんがテレビなどで繰り返し述懐しているのは、長期脳死者の「娘は生きる姿を変えただけなんです」ということです。
それは呼吸という一個の生理機能の存在ではなく、ただそこにいるということを体感し、それがその言葉に結晶化しているのだと思います。(中略)
中村さんが「姿を変えただけ」と言うとき、それを感じさせる何かのことをわれわれは「いのち」と呼んできたのだと思います。
その「いのち」とは何かということをそれ以上分節化する必要も科学化する必要もない。


「いのち」は、語源的には息の勢いのことであり、人間の自発的呼吸を前提としている。
だから、人工呼吸器の出現によって、現代人の「いのち」についての見方は大きく揺れ動くことになる。
そうした中で、人工呼吸器の助けを借りてであれ、まだ体が温かく、顔の色つやもよく、「姿を変えただけ」で生きていると感じさせるもの、それが「いのち」だと著者はいう。
そう思い、そう感じるのは、子ども本人でも医師でもなく、子どもと深い絆で結ばれた家族であろう。
だから、このとき、「いのち」は、〈濃密な関係としての「いのち」〉として立ち現れてくるしかない。
やがて「いのち」は喪われても、なお「おもかげ」として長く残されていくことになるのではないだろうか。