濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

原発と炭鉱

2012-12-17 02:40:40 | Weblog
師走の総選挙では、脱原発、反原発、卒原発を唱えた政党が総敗北することになった。
怒れる市民はデモを活発にやっていたのに、なぜとも思うが、何よりも景気の回復を願う国民にとっては、「護憲」と同じように、後ろ向きの主張にしか過ぎないと受け止められたのだろう。
さて、そんな折、遅ればせに論客たちの『脱原発「異論」』を通読してみた。
その中で小泉義之が、3・11の原発事故を昔の炭鉱事故と類比して、義憤に満ちた発言をしていたが、炭鉱町出身の小生としては、恥ずかしながら新たな気づきであった。

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僕は、原発事故で最初に思ったのは炭鉱のことです。
炭鉱事故では、炭鉱労働者は百人単位で死んでいた。
そして、それだけの死は起こるものであるとして、やり過ごされてきた。
そのこと自体を誰も問題にしなかった。
それが、エネルギー政策転換とか労働力流動化ということで、炭鉱をつぶすとなってから初めて、それまでは気にもかけなかったくせに、炭鉱労働に対して人道的な告発が起こってきた。
でも、その告発って、炭鉱労働者の離職を促進する役割も果たした。
この炭鉱の歴史全体が僕は腐朽していると思っていたわけです。
その腐ったものを何と呼ぶかというとき、手近には「資本主義」とか「国独資(国家独占資本)という言葉があった。
今なら「市民社会」とも呼んでやりますが、そこに怒りを向けていたわけです。
それで今度、これまで原発事故や核兵器被害に対して気にもかけてこなかったのが、原発事故でそれが我が身にわずかばかり降りかかってきたら焦りだした。
そして、突然に反対派になり、エネルギー政策転換なるものに拍車をかけている。
じゃあ、結局は、基地にしても戦争にしても、我が身に爆弾が落ちてこない限り変わらんのだな、と皮肉を言いたくもなるし、それ以前に、死者や被害者の発生を予期し容認し組み込んでいるものに対する怒りがないことに呆れる。
そんな連中と手を組めるかっていう感じです。
もちろん僕自身にしてもそんな連中と大差はないですが、その自分も含めて狂わせているものがあって、それに対する怒りから発しないと何も始まらんという気がしますね。
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たしかに、我々の子どもの頃は年に何度かの炭鉱事故があり、同級生の親が亡くなったりしたことが思い出されてくる。
しかし、事故は仕方がないものとして受け止められ、保安面がいくぶんか強化されるだけで、代替エネルギーを求める動きなどまったくなかった。
というより、それを上回る好景気に誰しも浮かれていたのである。
その後、石炭から石油へのエネルギー政策の転換によって、炭鉱は閉山し、我々の多くは離散を強いられ、いまや小中高のすべての母校が消滅したゴーストタウンと化しているのである。
見えない恐怖に何百年もさらされ続けるという点では違うかもしれないが、避難して誰も住まなくなった福島の町の運命とも幾分かは似ているような気がする。
いずれにせよ、脱原発、反原発、卒原発だけでは、現在の感情を絶対化するとともに、過去の悲劇を隠すことにもなり、エネルギーをめぐる非情な歴史の、そして人間社会の本質の解明や糾弾にはつながらないと思う。
それにしても「自分も含めて狂わせ(られ)ているもの」とは、いったい何なのだろうか?

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2 コメント

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死語リストに載りつつある炭鉱 (K氏)
2012-12-27 16:24:50
 ほう、原発災害に関して炭鉱を絡ませる文章があったのですか。小生も災害当初から炭鉱を想起していましたよ。
 貴君が「新たな気づき」であるのは当たり前かもしれません。炭鉱の階層は最も大まかに言うと、社員・鉱員・臨時員の三つです。社員は○○鉱山株式会社の管理職・事務職(正規社員)であり、鉱員は採掘・選炭などに直接従事する現場職(準正規社員)であり、臨時職は現場職が忌避する業務をこなす下受(××組など)に雇用された者たちです。
 1960年代に始まった「エネルギー革命」による炭鉱地域の荒廃は、臨時職とその家族に最も激烈な打撃を与えたのです。
 私は小学時代のある時期、臨時職だった人物に扶養されたし、中学時代は現場職だった人物に扶養されましたから、「エネルギー問題」を述べる諸論にはそれなりの思いを抱きます。そして、その大半は「なにを、今さら」です。
 何しろ、現在の10代のほとんどの少年少女たちが、実際に石炭を見たことも触れたこともないのですよ。
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Unknown (Unknown)
2012-12-30 01:21:47
「原子力」だけにこだわると未知の恐怖になってしまうのですが、エネルギーの変遷という視点からは「なにを、今さら」という歴史的問題になってきますね。
それにしても、やはり幼少時代の経験は大きく、それをどう相対化していくか、年を取れば取るほど、重い課題が突きつけられてきます。
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