今年はイギリスのEU離脱から始まり、東京都知事選での小池旋風、そしてフィリピンのドゥテルテ、アメリカのトランプという二人の強面の政治家の躍進、さらには韓国大統領の疑惑などと、歴史の節目を感じさせる年になっている。
グローバリズムと偏狭な保護主義的なナショナリズムとの奇妙なねじれと要約すればいいのだろうか。
しかし、本当はもう一つ、プライベートなことになるが、悲しい別れがあったことをつけ加えねばならぬ。
もちろん、私にとってはどんな政変よりも深刻に受け止めざるを得ない出来事だった。
その詳細をつまびらかにしたいところだが、ここではランボーの詩集『地獄の季節』の末尾に置かれた「わかれ」の冒頭を引用するにとどめたい。
すでに秋!──しかし何ゆえにいつまでも太陽を惜しむのか。ぼくたちは聖なる光明の発見につとめているのだから。──季節の推移に従って死に絶える人々からは遠く離れて。
こう書いてランボーはその後、「聖なる光明の発見につとめて」砂漠の商人となっていった。何かの予兆を感じ取っていたのだろう。ランボー詩集の翻訳者、宇佐美斉氏はこう述べている。
落日と秋、それはあるひとつの状態の持続が突如として終焉を迎え、その結果、世界が新たな秩序へと急変しようとする刹那の、美しい象徴である。
神々が急がせる晩秋の一日、私の中にも落日の思いに浸りたいという思いがある。
とはいえ「季節の推移に従って死に絶える」わけにはいかない。
私も急がなければならないのだが、それにしても、どこへ?
いまは、砂漠の命、砂漠の愛、砂漠の仕事、砂漠の希望を目指すとしか言いようがない。

グローバリズムと偏狭な保護主義的なナショナリズムとの奇妙なねじれと要約すればいいのだろうか。
しかし、本当はもう一つ、プライベートなことになるが、悲しい別れがあったことをつけ加えねばならぬ。
もちろん、私にとってはどんな政変よりも深刻に受け止めざるを得ない出来事だった。
その詳細をつまびらかにしたいところだが、ここではランボーの詩集『地獄の季節』の末尾に置かれた「わかれ」の冒頭を引用するにとどめたい。
すでに秋!──しかし何ゆえにいつまでも太陽を惜しむのか。ぼくたちは聖なる光明の発見につとめているのだから。──季節の推移に従って死に絶える人々からは遠く離れて。
こう書いてランボーはその後、「聖なる光明の発見につとめて」砂漠の商人となっていった。何かの予兆を感じ取っていたのだろう。ランボー詩集の翻訳者、宇佐美斉氏はこう述べている。
落日と秋、それはあるひとつの状態の持続が突如として終焉を迎え、その結果、世界が新たな秩序へと急変しようとする刹那の、美しい象徴である。
神々が急がせる晩秋の一日、私の中にも落日の思いに浸りたいという思いがある。
とはいえ「季節の推移に従って死に絶える」わけにはいかない。
私も急がなければならないのだが、それにしても、どこへ?
いまは、砂漠の命、砂漠の愛、砂漠の仕事、砂漠の希望を目指すとしか言いようがない。
