濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

リジョイス・ジョイス(亡き兄の霊に捧げる)

2009-12-26 14:58:36 | Weblog
過日、近代文学を研究している女性と歓談する機会があった。
文学談義に花が咲く中で、女史が大の旅行好きでもあるということで、芥川龍之介をはじめとする近代文学者に影響を与えたジョイスを知るために、実際にダブリンに赴き、マーテルロー塔など、「ユリシーズ」の舞台ともなった場所を見学したときのことが話題に上った。

そのとき、女史の口から漏れた「エピファニー」(もともとは神の降臨を意味する語だが、ジョイスは、人々の何気ない会話の中に事物の「魂」が突如として現れることの意味で使っている)という久しぶりに聞く言葉は、私にとっても珠玉のような響きであった。

じつは大学時代、ある女性との別れが訪れた際、手渡されたのが、ジョイス「ダブリン市民」の文庫本であり、その後は、彼女の形見のように思いなし、ジョイス文学の読破に励んだ時期があったからである。
懐かしさのあまり、先日、段ボールにしまっておいた当時のジョイスに関する草稿を探し出して、何十年ぶりかで手にし、PCに入力することにした。次に紹介するのは、その冒頭の一節である。

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リジョイス・ジョイス

 いま、苦悩にうちひしがれた者が私の部屋を訪れたとする。その乾ききった唇、ひび割れた肌、逆さだった髪など、幾重にも刻まれた受難の跡に心が引き寄せられ、その苦悩を分かち合おうとするとき、「憐憫」となる。
 一方、その異貌、その歪んだ影、その心の奥に秘められた、ただならぬ気配に見入るならば、「恐怖」となる。そして、この二つの感情は互いに交錯して、交錯の様態といったものが、私の態度を決めるといってよい。
 この微妙な事情について、ジェームス・ジョイスは『若き日の芸術家の肖像』の第五章(正確にはすでに「パリ・ノートブック」に書き留められていたものだが)で、スティーブン・ディーダラスに「悲劇的情緒とは『憐憫』と『恐怖』という二つの相をもった静的なものだ」として、次のように記させている。
  ──憐憫とはすべて人間の苦悩における重大にして不易なるものに直面して思念を停止(arrest)せしめ、それを苦悩する者と結びつける感情である。恐怖とはすべて人間の苦悩における重大にして不易なるものに直面して思念を停止せしめ、それを隠れたる原因(secret cause)と結びつける感情である。──と。

 例えば、ここに墓がある。それはまさに「重大にして不易なるもの」の象徴だろう。それを前にして立ち尽くし(arrest)た一人の詩人は、
  塚も動け 我泣聲は 秋の風(松尾芭蕉『奥の細道』)
と吟ずる。過去の受難者へとなだれこむような憐憫の情に激しく動かされながらも、「泣聲」という人間的表出を「秋の風」という無機的な気象へといったん昇華させることによって、再び「塚も動け」と呪詛に近いかたちで、その悲劇的情緒を定着させる。静的なものとはいえ、その際の内的格闘は壮絶なものではないか。
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ちなみに、草稿に述べた「苦悩にうちひしがれた者」とは、これまた、なんという運命の巡り合わせだろう! 今年、他界した私の兄(いわゆる「腹違い」の兄で、じつに多難な人生を送った)のことを念頭に置いたものであった。
年を終えるに当たり、過去からの「因果の鎖」といったものを感じつつ、草稿とともに「ダブリン市民」の「死者」の最後の一節をブログにアップし、兄の喪に服したい。

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──アイルランドじゅうすっかり雪なのだ、雪は中部の平野のいたるところに降っている。樹木のない山々に降っている。静かにアレンの沼地に降っていた。さらに西にいって、乱れ騒ぐ暗いシャノンの川浪にも静かに降っていた。さらにまた、マイケル・ヒューリーが埋葬されている、丘の上の寂しい墓地の隅々にも降っている──ゆがんだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍先に、荒れ果てた茨に、雪は吹き寄せられて厚く積もっている。天地万物をこめてひそやかに降りかかり、なべての生けるものと死せるものの上に、それらの最後が到来したように、ひそやかに降りかかる雪の音を耳にしながら、彼の心はおもむろに意識を失っていった。

現代青少年群像

2009-12-22 17:10:59 | Weblog
最近読んだ芹沢俊介「若者はなぜ殺すのか」(小学館新書)は、今日の病める若者像をわかりやすく伝えている。
彼は無差別殺傷事件を引き起こした若者たちの心性を、「孤独」と「自己崩壊状態」とが結びついたときのものだとし、秋葉原事件のA青年の場合、

子ども期からの母親からの受けとめられ経験の欠如であり、それゆえに受けとめ手としての母親の不在であり、その結果としての内部における「隣る人」の欠如である。A青年が希求した「彼女」は、青年にとっての特別な存在としての異性である。しかし同時に今や、この「彼女」が、子ども時代に親子になりたくて親子になれなかった母親、青年を見捨てたと考えられる母親と重ねられていることも理解できるはずだ。

と指摘している。
しかしながら、こうした「孤独」ならば、不幸な出自を持った、かつての多くの文学者にも共通するはずで、たとえば、芥川ならば、

 僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。僕の母は髪を櫛巻きにし、いつも芝の実家にたった一人坐りながら、長煙管ですぱすぱ煙草を吸っている。(中略)
 こう云う僕は僕の母に全然面倒を見て貰ったことはない。何でも一度僕の養母とわざわざ二階へ挨拶に行ったら、いきなり頭を長煙管で打たれたことを覚えている。(点鬼簿)

と、A青年以上に悲惨な体験を味わっていたのである。
とすれば、現代の青少年の場合、「孤独」が簡単に「自己崩壊状態」に導かれるのはなぜか、というように問いを変えていかなければならないように思われる。

こう考えたとき、本書の後半に指摘されている「自己領域性」(単に「自己チュー」ということではなく、お互いがお互いの自己領域に配慮し、相互に不介入、不可侵の対応を求める心性)という言葉が気になってくる。
たとえば、筆者は琴寄政人『学校をゲーム化する子どもたち』を引用しながら、次のような感想を述べている。

 子どもたちのストレスは極限だな、と思うことがしばしばある。どういうときにそう思うかというと、たとえば、ひととき掲示物を眺めていた生徒が急に、これはまずいとでも思ったか、傍らのグループの会話に入ろうという姿勢を見せたりする、そんなときであると。
 この教員の優しいまなざしが、子どもの抱える「生きにくさ」の現在を鮮やかにつかみとっている。(中略)この生徒は、ふと自分が見られている存在であることを忘れて、無防備に「本当の自分」をさらしていることにはっと気づいた。すぐにこれはまずいという思いに迫られ、露出してしまった「本当の自分」をすばやく引っ込めて、「見せかけの自分」に戻ることで、そそくさとグループに自己をとけ込ませたのだ。(中略)
 安心できるためには、子どもたちは、集団における居方として、そこにいてもいないという状態、「いるのにいない」状態、一種、自己の透明化をつくり出すことができなけれぱならないことになる。

どうだろうか。「自己の透明化」を希求するに至るほどの神経症的な関係意識は、次の太宰治「晩年」の有名な一節を裏返したような印象を私に与えるのである。

私が三年生になって、春のあるあさ、登校の道すがらに朱で染めた橋のまるい欄干へもたれかかって、私はしばらくぼんやりしていた。橋の下には隅田川に似た広い川がゆるゆると流れていた。全くぼんやりしている経験など、それまでの私にはなかったのである。うしろで誰か見ているような気がして、私はいつでも何かの態度をつくっていたのである。私のいちいちのこまかい仕草にも、彼は当惑して掌を眺めた、彼は耳の裏を掻(か)きながら呟いた、など傍から傍から説明句をつけていたのであるから、私にとって、ふと、とか、われしらず、とかいう動作はあり得なかったのである。橋の上での放心から覚めたのち、私は寂しさにわくわくした。

芥川も太宰も不幸な境涯と拮抗する豊かな自然を内部にもっていて、それを表現のエネルギーにすることができた。
それに対して、現代の青少年の感覚では、「ベタ」や「テンネン」などといった言葉はむしろ相手を蔑むものとなっており、「空気を読む」洗練された感性だけが過度に求められているような気がする。
「誰でもよかった」という感慨も、「自己の透明化」の延長上にあるのかもしれない。