リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

キーワードはシステムの変更→システム変更の肝は「変更したいという強い意思」

2011-02-09 11:18:51 | Weblog

1.リフォーム
2.サッカーのアジアカップ優勝
3.名古屋市長選挙
4.ふくい舞さんの「いくたびの櫻」

これらに共通するのは、どれも「システムの変更」である。


1.リフォーム


我が家のリフォームの場合、すでに書いたように将来に備えて、「安全」を最優先にシステムを変更したことだ。

1.IHにして出火しないようにする
2.システムバスにして洗面所と浴室の段差をなくす
3.土間をなくしてキッチンをすべてフラットにして家事をしやすくする
4.キッチンの勝手口のドアをガラスにして明るくする
5.システムキッチンにして何がどこにあるかすぐ分かるようにする
などなど。
詳しくは、このブログの「老後の前にぜひやっておかねばならないこと:安全は健康に直結する」2006-11-16 を見て欲しい。
これらは、全て家事を一人に任せないで、家族が二人以上で協力してチームを組んで、誰もが安全にできるようにするシステムだ。

特に、5番はシステムの変更の最大の要といっても過言ではないと思う。
たとえ、何らかの事情で一人の時でも、家事を支障なく過ごすことができるようにするために。
逆に言うと、それまでは一人に何かあると、家事が支障をきたしたということ。

我が家の場合は、キッチンに土間があるために洗濯機が低い位置にあり、家事に支障をきたしていたがために、どうしても高い位置にして使いやすくしたいという強い希望があった。

キッチンのシステムを変更を可能にしたのは、「不都合」や「問題点」を改善したいという、私や妻の変更したいという「強い意思」だ。


2.サッカーのアジアカップ優勝


サッカーのアジアカップ優勝では、イタリアのザッケローニ監督が日本代表の「システム」を変更して、アジアカップ優勝を成し遂げた。

このシステムの変更が一番よく分かるのは、アジアカップのオーストラリアとの優勝戦よりも昨年のFIFAワールドカップの決勝戦だ。

インテルの特に後半、3点目のゴールによく現れている。

ビアビアニ選手が、ゴールへ向けて走り出すタイミングもすごいが、それにあわせて絶妙なパスをするタイミングがすごい。

もっとすごいのは、エトー選手。
そのビアビアニ選手についてあがっていく。

キーパーがはじいたこぼれ球も、絶対押し込むというシステムができあがっている。

繰り返すが、一人がゴールを入れようとあがっていく時、必ず一人では行かない。
必ずもう一人がついていく。
つまり、二人であがっていく。

もしも一人がゴールを失敗しても、もう一人が必ずゴールを決めるというシステムだ。
このシステムの変更が、アジアカップの日本代表の戦いには、随所に現れていた。

ザッケロー二監督が、このシステムに改めたから優勝できたと言っても過言ではないのではないか。(サッカーにはそんなに詳しくないので、よく分からないが)

アジアカップ優勝のサイドバック長友選手と李選手の決勝ゴールを見た時、このFIFAワールドカップの決勝戦の、ビアビアニ選手にとともにエトー選手があがっていくゴールを思い出した。

サッカーの日本代表の場合は、ワールドカップに出場した本田選手を中心に、どうしても優勝したいという、強い決意があった。

その決意は、サッカー協会を動かし、ザッケローニ監督は、イタリアから招請されてシステムの変更を成し遂げた。

繰り返すが、システムの変更を可能にしたのは、本田選手を中心に「チーム全員が優勝したい」と願った「強い意思」だろう。

 


 

3.名古屋市長選挙

 


 


今回の名古屋市長選挙、愛知県知事選挙、名古屋市議会解散についても、変わらないと思う。

河村市長の強い意思、「システムを変えたいという」強い意思があったから、名古屋市民、愛知県民を動かしたのだといって、過言ではないのではないか。

しかも、これも二人でタッグを組んで取り組んでいる。
勝つためには、一人ではやらない。
二人でチームを組む。
このことが、重要だと思う。

リフォームとサッカーと例にして「システムを変更」することの重要性を書いてきたが、政治もまったく同じではないかと思う。

システムを変えなきゃいけないのに、なかなか変わらない。
そのことに、名古屋市民と愛知県民は、「なんとか現在のシステムを変更したい」という思いを行動に表したと言っていいのではないか。

システムを変更できるということを、この国で一番最初に言って実現したのは、この国のある元首相だった。

それまで、我々は中選挙区制を小選挙区制にされて、益々システムを変更することをできなくされてきた(あるいは、少数意見が政治に反映されにくくなってきた)。

既得権が守られるようにシステムがずっと維持され続けてきた。

だが、今回そうしたシステムが変更できる可能性があると言うことを、名古屋市民と愛知県民は全国民に示してくれた。

いや、世界の全ての人々に示してくれたと言っても過言ではないと思う。
坂本龍馬が苦労して取り入れた議会制民主主義により。

殺し合いをしなくても、選挙という平和的な手段で政権移行ないしはシステムの変更ができる可能性があるということを。
それが可能だと言うことを我が国は、米英の議会制民主主義に学んだのだ。

そうした「システムの変更」ができなくて、どうして若い人ないしは若いと思っている人がやる気になるというのか。

リセットができないゲームを誰がしたいというのか。

誰でも、失敗したらやり直したいのだ。
修正したいのだ。
やり直しがきくから、あるいはその可能性があるから一生懸命取り組もうとする。

それができないから、社会が閉塞に向かう。

今回の名古屋市長選挙と愛知県知事選挙は、リセット(システムの変更)をできなくしているのは何なのかを明らかにした。

中心は議会と議員なのだ。
もちろん全てではない。
一部だ。

我々は、現在の民主主義のシステムを変えなくてはならないという場面に直面している。
(ずっとそう思ってきたが、変えられなかった)

その「システムを変更すること」を成し遂げることができるかどうかは、最後は我々の現在のシステムを変更したいかどうか、変更するならそうするかどうかいう強い意思にかかっていると思う。
それも、平和的に。
(坂本龍馬はそのため(平和的に政権移行するシステムのため)に一命を捧げた)

少し長くなるがおつきあい頂きたい。

そもそも現在のシステムを変更せざるを得なくなったのは、ベルリンの壁が崩れたことによる。
それまでは、東西のそれぞれの陣営の中で、政治・経済などのシステムが機能していた。
しかし、壁が崩れたことにより、より多くの人々と国々が同じシステムの中の一員となったのだ。

我が国は、その時、その事実を正確に判断しないで、システムの変更が必要なのにずっと先延ばしにしてきたのだ。
特に、既得権を握っていた人々を中心に。
おそらく、システムをどう変更しなければならないかという「解」ないしは「答え」は分かっていたのに違いないのに。

おそらく、これは我が国だけでないだろう。
システムの変更をしなければならないのに、既得権を失いたくない人々が、抵抗してきたのだろう。

しかし、よく考えてみれば分かるが、より多くの人々とうまくやっていくためには、どうしてもシステムの変更が必要なことは理解できる。

中国製品が我が国にあふれはじめた頃、よく100円ショップであれもこれも買った経験が誰にもあるはずだ。
どうして、これが100円でできるのかと疑問に思ったはずだ。

その当時、とても安いと思ったこれらの品物を安く買えたのは、圧倒的に多くの、しかも低賃金で働くことができる人々が、新たなプレーヤーとして参加してきたからだ。

しかし、それらの安価で便利な製品は受け入れるけれど、新たなプレーヤーを受け入れることはできない(ないしは低賃金でいい)なんて、そんな自分勝手なことがあるだろうか。

おいしい汁だけ吸って(安価で便利な製品だけ好き勝手に使って)、自分たちの給料はそのままなんて勝手なことが許されるだろうか?

普通に考えると、より多くのこれらの人々とうまくやっていくためには、どうしても現在のシステムの変更をしなければならない。

給料など競争条件そのものを変更する必要がある。

でなければ、一方は貴族、一方は奴隷。
我が国の中でも、そんな状態が永続することになる。

根本的なシステムの変更が必要だろう。
高速道路に限らず。

だが、既得権を失いたくない人々は、そんなこと(現在のシステムの変更をしなければならないと)は言わない。
死んでも言わない。
既得権が失われるからだ。

しかし、それではこれらの人々(新たなプレーヤー)とうまくやっていくことは、いつになってもできないだろう。

それこそグローバルになって参加者が増えたのだから、新たな参加者ともうまくやっていかねばならない。
「おいしい汁」だけ吸うわけにはいかなくなったのだ。

歴史的に見れば、我が国のバブル崩壊(バブル景気の崩壊)、アメリカに端を発するリーマンショック
どちらも根は同じだ。

既得権を守ろうとして何とか、帳尻あわせをしようとしたけれど、結局失敗したということだ。

それまでの、高給、消費し放題、資源使い放題の身勝手な行動。

そうした身勝手な自分に都合のいいシステムを変更すると、既得権がなくなるので、バブルをつくってそれ(システムの変更)を回避しようとした。

もっとも基本になるシステムを変更しないで、問題は放置した。
だから何も解決しない。

だから、はじけたのだ。

最初から結末は見えていた。

ちょっと横道にそれた。
もとに戻す。

プレーヤーが増えれば、給料が安くなるのは自然の論理なのだ。
経済の「自然法則」だろう。

その自然法則(経済原則)に、逆らっているのが、議会と議員なのだ。
もちろん全てではない。
一部だ。

おいしい汁をいつまでも吸い続けたいと思っている人々だ。

その人達は、自分さえよければいい、新たなプレーヤーや既に賃金が低くされた人たちなんかどうでもいいと思っているに違いない。

自分たちさえ、おいしい汁を吸い続けることができればいいと思っているに違いない。
増税して帳尻を合わせようと。

そうでなければ、河村市長の提案に反対するはずがない。

自国でさえ、「システムの変更」ができない状態では、どうやってグローバルな世界でやっていくのか。

それが、今我々に問われているのだろう。

そもそも、こういうことをきちんと国民、県民、市民に説明するのが政治家の役割だろう。

システムの変更の必要が出てきたので、みなさんよろしくお願いしますと。
新たなプレーヤーともうまくやっていきたいので、条件を合わせるために多少辛抱することともあるかも知れませんが、みなさんよろしくお願いしますと。

どうか理解してください。
しかし、理解して頂ければうまくやっていけるので、戦争のない安心な生活ができますと。

新たなプレーヤーにも学び、うまくやっていけますと。

私は、かねがね政治家は無給でもやりたいという人だけがなればいいと思っている。
無給なら、こんなことも誰にも気兼ねすることなく国民に説明できるからだ。

もっとも無給だと、国民の為に働くより、自分の財産を増やすために政治家になる人が出てくる可能性があるので、ほどほど、河村市長の年収800万円くらいがいいかも知れない。

いずれにせよ、一国の総理や元首、大統領は、こうしたことをきちんと説明できるかどうかで選ばれるべきだと思う。

こうしたこと(システムの変更の必要性)がきちんと説明されないから、争いや戦争が起こるのだ。

そうしたことがきちんと説明でき、国民を説得できる政治家は、世界のいろいろな人々とうまくやっていくことができるから、結局国民にとってもっとも利益のある「平和」をもたらす政治家だろう。

最も利益にならないのは、議員なら「おいしい汁」が吸い続けられるからと子や孫を議員にする人たちだ。
こうした人たちは、「自分の利益にならないこと」には絶対賛成しない。

こうした人たちが、どこか他国やどこかの企業を悪いことに(正確には正しい解決策を考えられないか、またはおいしい汁が吸えなくなるから実行しないことに)して、戦争を引き起こし、国民を戦争という最大の不幸に導くのだ。

新たなプレーヤーの参加を拒み、低賃金で毎日の生活に困っている人々を無視し、それでも、おいしい汁を吸い続けたいがために。

繰り返すが、「現在のシステムを変更すること」を成し遂げることができるかどうかは、最後は我々に「現在のシステムを変更したい」という「強い意思」があるかどうかにかかっていると思う。

 


 

4.ふくい舞さんの「いくたびの櫻」

 


最後に「強い意思」を思いにした言い歌があるので紹介する。

ふくい舞さんの「いくたびの櫻」である。
ほんとにいい曲だ。

メロディーもいいが、歌詞がいい。
歌詞はストレートであるがゆえに、強い意思がよく伝わってくる。

貴方(あなた)を愛しているので、1年に1回咲く桜を、毎年貴方と見て過ごしたい。
死ぬまでそうしたい。

というのが、歌詞の要旨。

貴方と二人でチームを組んで、死ぬまで生きたい。
「私一人のシステム」を変更して、「貴方と二人のシステム」に変更したい。
それを死ぬまで貴方と続けたいという、強い意思を表現した歌である。

きっと感動されると思います。

ユーチューブのコメントを見ても、海外からのコメントが多い。
歌詞が分かりやすく、ストレートで意思が伝わるからだろう。
だからこそ、美しいメロディーができたのだと思う。

この曲のキーワードも「システムの変更」。

「貴方と二人のシステム」に変更したいという強い意思の音楽的表現だ。

ふくい舞さんの「いくたびの櫻」をどうぞ。