リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

ハワイで知った、イーブンな明るい関係で生きていくことの素晴らしさ!

2014-01-20 11:31:58 | Weblog

 

                     - ハワイの青い、明るい空 -

前回のブログで、次のように書いた。

レディーファーストとして習慣化されたアメリカ社会は、ハンディキャップを乗り越えてイーブンになろうとするモーメントが働いている。
女性に優しく出来るそうしたアメリカ社会の、素晴らしさをその時実感した。

それは、女性だけではない。
全ての弱者に対して、そうする(強い自分もしくは自分が強くなって弱者を守ろうとしたり、少なくとも対等の人間関係を維持しようとしたりする)文化が基底に流れていることを、実体験したのだ。

この体験は、次回にでも詳しく書くつもりだ。

と。

今回は、この体験を書く。

 


 

ハワイで、びっくりしたのは、シェラトンホテルのアプローチ付近で遭遇した出来事だった。

それは、男女4,5人のグループの行動だった。

ホテルから出て、街へショッピングにでも出かけるような場面に思われた。

談笑しながら、みんな普通に歩いている。
電動車椅子に乗った女性一人を含めて。

電動車椅子なので、誰かに押して貰うという必要もなく、笑顔で他の仲間と談笑しながら進んでいる。

仲間も気遣いはするが、関係はイーブンであるのが見て取れる。

つまり、お互いに気兼ねしていない。

みんなハワイの青空のように明るい。

私も、車椅子の生活になったら、こうして過ごしたいなと心から思った。

 


 

これが、我が国ならどうなるか。

イーブンな関係にはならない。

車椅子を必要とする時から、ずっと上下関係の「下」に甘んじなくてはならない。

そうしないと生きていけなくなる。

お世話になるのだから、お世話になる人の言うことには、従わなくてはならなくなる。

「屈辱」に甘んじなくてはならない。

我が国では、そうなることに疑問を抱かなかったし、それが普通だと思っていた。

 


 

しかし、シェラトンホテルのアプローチでの電動車椅子を含むグループのアメリカ人と思われる人たちの行動を見てから、「屈辱」に甘んじなくても生きる道はあるのだということに気づいた。

そして、そうした生き方の明るさに感動してしまった。

だって、みんな笑顔なんだもん!

お世話をするから、「やってやる、言うことを聞け」ということがない。


こんな快適な過ごし方が出来るのは、社会にイーブンになろうとするモーメントが働いているからであろう。

お世話する方の立場に立てば、どうしても負担になる。
でも、電動車椅子という自立器具のお陰で、グループ全員がイーブンに立てる。

だから、みんな明るいのだ。

ハワイの気候のように。

晴れ渡った、青空のように。

電動車椅子という器具のお陰だけではない。

前回レディーファーストを取り上げたように、アメリカ社会に人々の人間関係がイーブンになろうとする力が働いているからだ思う。

 


 

本筋から若干それるが、これまでの例では納得できない読者のために、人間関係をイーブンにしようとする具体的な力がアメリカで働いているもう一つの例を挙げる。

Appleが開発したiPhoneやiPod touch、iPadミニ・・・。

iPhoneの最も本質的な意味は、コンピューターとの「会話」がしやすくなったことである。

その結果、障害があっても病床で操作できる。

私は、布団の中やお風呂で20分浴しながらiPod touchの「好きな曲」やYouTubeで新垣結衣さんの「ハナミズキ」などを味わえるという恩恵に浴しているが(^J^)

(注:20分浴するときは、ちゃんと専用のカバーをつけて、防水を完璧にします。ステレオで聞けるし。20分浴についてはこれまで何回か書いているので、過去記事をごらん下さい!)

iPhoneやiPod touchやiPadミニは、パソコンに比べ入出力が格段にしやすくなり、さらに大きさが劇的に小さくなったことで、誰でもどこでも扱いやすくなった。(次回は、ハワイで体験したこの好例を書くつもりだ)

障害があるかないか、年齢がいっているかいないか、経験があるかないかは関係なくなってしまう。

iPhoneやiPod touchで人間関係がイーブンになったのだ!

余談だが、あるとき、ガラケーでメールを打っていたら、これまで、ずっと携帯(ガラケー)さえ持たないで、最近iPadミニでメールするようになった妻から、

「携帯でメール打つって大変なのね!」

と、同情されてしまった。

(^J^)

多分、iPhoneやiPod touchやiPadミニは、東アジアの上下関係が基本の社会からは、絶対生まれなかったであろう。

人間関係をイーブンにしようとする力学が働かないから。

ガラケーのように操作しずらいキーボードをつけてても、平気なのだ。

上下関係の上から目線だからだ。

一言で言えば、「自由」がないからだ。

イーブンになって「自由」になろうともしないから。

自由になって、イーブンな明るい関係を楽しもうとする文化(習慣)がないから。

 


 

どうして、アメリカ社会で、人々の人間関係がイーブンになろうとする力が働くようになったかについては、別の機会に書きたい。

 


 

屈辱に甘んじて「卑屈」に生きていくか、自立して「イーブン」な、「明るい」、「自由」な関係で生きていくか?

あなたならどうしますか?

 


レディーファーストでないわが国は、男がひ弱な社会とハワイで気づいた!

2014-01-14 22:06:53 | Weblog

                  - ノースショアーの海 -

 

ハワイでナイトショーを見た時のこと。
私と妻は、ショーの開始時刻より早めに席についていた。
2階の中央、前から2-3列目の絶好の位置だった。

しかし、開始時刻より早めだったため、かなり待つことになった。
私の左側の2席には、アメリカ人と思われる体格のいい男性が二人座っていた。
妻が化粧室へ行くことになり、その二人の男性の前を通ることになった。
行く時は全く気づかなかったのだが、妻が帰ってくる時、その二人のアメリカ人と思われる男性二人が、妻が通るために席を立ってくれたのだ。

私はというと、行きも帰りも座ったまま。
膝を傾げて、通りやすくしただけだった。

この二人の男性の行為が、レディーファーストかとその時、分かった。

レディーファーストの習慣のない日本では、レディーファーストの意味を理解出来なかった。

しかし、レディーファーストをハワイで体験して、正直恥ずかしかった。

それは、レディーファーストは、自分が強くなければ、女性に対して優しくする行為は、出来ないからだとその時気づいたからだ。

強い男性が弱い女性に対して、保護するというレディーファーストの文化の素晴らしさを、その時実感した。

そもそも、日本を含む東アジアの文化圏では、儒教の影響で、男尊女卑が普通だ。

このことは、女性の方がよく知っているし、社会で数々の経験があると思う。

もっと具体的に言えば、
「女性に、あなたは守られていますか?」
と質問をして、その大多数がイエスならレディーファーストがある社会なのだ。
しかし、我が国では、ほとんどノーという答えだろう。

レディーファーストでないわが国は、男がひ弱な社会と言える。
何故なら、女性を守れないから。
私を含めて、女性を守る強さがないからだ。
極言すれば、ハワイのナイトショーの劇場にいたような、アメリカ人のような強い人間はいないし、そうした習慣がないから。
(何故、強くないかは最後までお読み頂ければ分かると思う。筋が横に逸れるのでここでは書かない)

そういう意味でハワイ、アメリカの社会は強い男性が、優しさを発揮する習慣(つまりそうした考えのある)社会なのだと思った。

だから、自分のひ弱さに恥じたのだ。

妻に対して、通路も譲ることの出来ないひ弱さに。

女性に対して、男尊女卑を金科玉条に虚勢を張ることは、単に自分が弱い弱いと言っているに過ぎないと、馬鹿な自分に嫌気がさした。

強さこそ、真の優しさなのだ。

レディーファーストとして習慣化されたアメリカ社会は、ハンディキャップを乗り越えてイーブンになろうとするモーメントが働いている。
女性に優しく出来るそうしたアメリカ社会の、素晴らしさをその時実感した。

それは、女性だけではない。
全ての弱者に対して、そうする(強い自分もしくは自分が強くなって弱者を守ろうとしたり、少なくとも対等の人間関係を維持しようとしたりする)文化が基底に流れていることを、実体験したのだ。

この体験は、次回にでも詳しく書くつもりだ。

ここからは、我が国の男がひ弱なわけを書く。

日本や東アジアの儒教文化圏では、男尊女卑だから、妻が劇場で男性の前を通っても、座った男性が立ち上がって、通路を譲ることはない。

事実、過去にコンサート会場などで、妻がそうした場面で、男性が立ち上がって通路を譲る場面は、一度も見たことがない。
座ったまま、私がしたように、せいぜい膝を傾げるだけである。

念のため、妻にも聞いてみたが劇場で男性が、席を立って通路を譲ってくれたことはないとのこと。
日本では。

人間関係の前提が、すべて上下関係が基本だ。
男の方が女より上。
年長が年少より上。
先輩の方が後輩より上。
等々。

だから、体力的に強い男性が、座りぱっぱなしで、体力的に弱い女性がふらふらと狭い通路を通っても平気なのだ。

日本を含めた、東アジアでは。

ハワイの人間関係の心地よさは、「対等」が人間関係の前提にある。
だから、何らかのハンディキャップがあれば、強い方が弱い方を保護する。
だから、非常に心晴れやかなのだ。
自由でフレンドリーなのだ。

お互いに近づこうとするから。

反対にこの国では、時々電車の中等でおかしなことが起る。

近くに、ハンディキャップがある人がいても、
「どうぞ〇〇さん、こちらの席へどうぞ」
と、部下らしき人物が、上司らしき人に席を確保して、勧めるといったことが。

会社や部活の上下関係が、関係ない電車内にまで持ち込まれる。

だから、シルバーシートが必要なのだが。
(^^;)

しかし、基本が上下関係であるため、今度は、シルバーシートがそれ以外に対して「上」になってしまうというおかしなことが起る。

イーブンにするのが本来のシルバーシートなのに、シルバーシートに座った人が、ここに座って当然と「権利」を主張し始める。
(>_<)

融通が効かないのだ。
上下関係の縦社会は。

こうした上下関係に守られた、我が国始め東アジアの文化圏の男は、「ひ弱」と言えるだろう。

そして、我が国はじめ東アジアの文化圏の国々は、人々をいつも上下に離そう離そうという遠心力が働いている文化(習慣)だと言うことに、ハワイに行って気づかされた。

上下関係だから、縦長の長方形のように、何かあればいつでもひっくり返る不安定な文化(習慣)でもあるということにも。


ハワイの魅力の一番は、人である!

2014-01-07 21:29:32 | Weblog

前回、ハワイの良さを書いた。

しかし、本当のハワイの良さを書いていないので、今回はそれを書く。
 
その前に、前回のハワイのよさをまとめると、米軍によって保たれている「安全」と過ごしやすい「気候」、それと「風光明媚」な3点に集約される。
 
結論から言うと、ハワイの魅力の一番は人である。
 
 
ワイキキビーチを見ながら食事をするナイトクルーズを楽しんだ時のこと。
各テーブルには、専属のウェイターがつく。
私たちは夫婦と新婚カップルには、Kさんだった。
 
船上で食事をするウェイターの役割だけでなく、時には彼はフラダンスを踊ったり、ショーを盛り上げるために観客を誘導したりと、お客に楽しんで貰うために考えられる全てのことをする。
 
マイケル・ジャクソンに少し似ている彼は、そうした全てのサービスを全力でやっている。
 
私が何より感心したのは、いつも超絶と言えるほどのスマイルをお客に見せて。
 
これほどのサービスを今までの海外旅行や国内旅行で受けたことがない。
 
スマイルは見ていれば、嘘か本当かはすぐ見分けがつく。
嘘のスマイルはどこか口元が固い。
 
彼のスマイルは口元までにこやかな、本当のスマイルだった。
 
つまり、彼は仕事をいやいやしていない。
観客を楽しませることが楽しくてしかたがないということが、彼のスマイルが表していた。
 
ハワイには、彼のようなプロフェッショナルがごろごろしていた。
 
みんな超絶「本気」である。
 
彼らを見ていて、私はアメリカという国の底知れぬパワーを感じた。
 
やる時はやるというものすごく強い「意思」も感じた。
 
そういう文化は極めて気持ちがいい。
 
何故なら、人間関係が対等だからだ。
(このことについては、別のエピソードもあるので、次回にでも書くつもりだ)
 
フラダンスを始めとするショーや彼らのサービスを受け、会場は非常に盛り上がり、全員が楽しんでいた。
お陰で、私たちは彼等と共に素晴らしい一夜を過ごすことが出来た。
 
彼もとても楽しんでいるということが、彼のスマイルからよく理解できた。
 
これこそ、本物のショービジネスだし、ホスト対ゲストという関係を超えた、一人の人間と一人の人間の喜びの共有体験だと感じた。
 
だから、私は「ナイス」と言いながら、彼とハイタッチして、私の気持ちを伝えた。
 
彼は、薄っすらと目に涙を浮かべていた。
 
「本気」は心を動かすのだ。
 
そして、実に気持ちいい。
 
すべてのフレームワークを超えた関係がそこにはあるからだ。
 
アメリカには、「本気」が満ちあふれているとそのとき感じた。
 
こんな気持ちのいい国はいままでなかったと。
 
そして、アメリカには本物の「自由」があると。