リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

ブロックがなくなればすべてが変わる。その最大の原因は自分自身。循環がつながらなければ意味がない。

2008-11-22 23:40:05 | Weblog
6月頃だったろうか、道路の落ち葉が気になって毎日朝、掃除をするようになった。
落ち葉は、今頃が多いと思っていたが、6月頃も意外と多いことが分かった。

今までの葉がどんどん落ちて、若葉に世代が変わっていくためだ。

掃除はちょっと大変なのだが、なんだかすがすがしい気持ちにもなる。
掃除してきれいになったというすがすがしさが半分。
残りの半分は、若葉がどんどん大きくなる新鮮さである。

ただ、掃除を始めた頃は、落ち葉は単なる「ゴミ」でしかなかった。
若葉をちりとりで集め、指定の可燃ゴミの袋に入れて、他の可燃ゴミと一緒に収集日に出すということをしていた。



だが、毎日掃除をしているうちに何枚も集まった葉に「ダンゴムシ」がたくさん集まっていることに気づいた。
最初は、意にも留めず脇へどけて落ち葉だけ集めて捨てていた。

何日も続けている集まった葉の陰に、細かい小さな葉や黒くなった土くれが多いことに気づいた。

と、そのとき気づいた。

「ダンゴムシ」は、落ち葉を食べて土に戻してくれていたのだ。

私にとっては、「落ち葉」は単なるゴミ。
だが、ダンゴムシにとっては貴重な「食料」。
私は、「落ち葉」をじゃまな「ゴミ」と勝手に思って「可燃ゴミ」としてわざわざ「市販」の「可燃ゴミ袋」を使って、費用まで払って捨てていたのだ。



「落ち葉」をじゃまな「ゴミ」と勝手に思ってと書いたが、生まれてこの方何十年ずっとそう思い続けてきた。

下の写真の落ち葉を見ても、どう見たってゴミとしか思えない。




だが、あるとき、突然ひらめいた。
上の写真があるイメージと突然結びついたのだ。

何だ、自分がブロックしていたのだと

上の写真を見ていただければ分かるが、この落ち葉は、このままではゴミである。
たとえ、「ダンゴムシ」が食べてくれて「腐葉土」になるにしても。
問題なのは、下がコンクリートやアスファルトで「土に戻れない」ことなのだ。

あるイメージとは、下の写真である。



























  この部分、生まれてこの方落ち葉が「ゴミ」と思っていた間です。






























 ほんとにこの間は長かった!!!




写真は、我が家の庭の菜園。
(菜園と言っても、肥料は落ち葉と堆肥だけ、たまに雑草をとるだけ)

庭の柿の葉が、自然と畝と畝の間にたまっている。
前の写真のように、コンクリートで「ブロック」されていないから、何もしなくても落ち葉は自然に「土に戻れる」。

ところが、道路の落ち葉は、コンクリートにブロックされて土に戻れない。
戻ってもそこは、コンクリートの上。
私は、そのことを当然のことと受け入れていた。
だから、可燃ゴミとして、捨てていた。

でも、「落ち葉」を庭まで運べば、そこで「土に戻れる」のだ。
庭の菜園の野菜の栄養となって、やがて私の口に入る。

舗装された道路に落ちた枯葉は、そこで腐葉土なっても道路の上では土に戻れない。
だが、私が庭に運べば、「落ち葉」は土に戻れる。
そこでは、「落ち葉」は可燃ゴミさえにもならない。
「落ち葉」は土に戻って、立派に野菜の「肥料」となる。

このことに気づくのにずっ-------------------------------------------------------------------------------------------------とかかった。







並べてみればすぐ分かる。
だが、この間が結びつくのにづくのにずっ-------------------------------------------------------------------------------------------------とかかった。
この2枚のイメージが結びつくのをブロックしていたのは、この私。
自分自身が、ブロックをしていたのだ。
私のやればいいことは、道路に落ちた枯葉をほうきで集めて、数メートル離れた庭の菜園まで運ぶことだけだ。

このブロックがはずれたら、未来が突然見えてきた。
そうだ!このブロックをはずせばいいのだと。



読者も経験されていると思うが、パスモが使えるようになって、劇的に電車・バスでの移動がスムーズになった。
前にも、書いたかもしれないが、JRのスイカだけだったとき。
あの、スイカだけの改札口は、ただの障壁(ブロック)にしか見えなかった。
わざわざ私鉄の定期券を定期入れから出し入れして使い分けなければならなかった。
JRだけならスイカが使えるのに
JRは、わざと意地悪をしているのかとさえ思えたほどだ。

パスモが生まれてブロックがはずれた。
パスモ、スイカに関係なく相互に、接続できるようになり、このブロックがはずれた。

JRは「囲い込み」たかったのではないか。
スイカを持っていればJRの中は便利だと。
でも、一番不便に思っていたのは「利用者」。
行き所のない「落ち葉」のように。



少し横道にそれたので、元に戻す。
昨日、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見ていて、郷愁にひたったが、あの時代は全部がいいわけではない。

映像にはなかったが、街角にはコンクリート製、その前は木製の木箱の「ゴミ箱」があった。
そこには「生ゴミ」も一緒に捨てられていた。

夏の暑い時期になると、悪臭はするし、ウジはわくし、田舎から帰ってくると都会ってなんでこんなに汚いんだと何度も思った。
特に夏は。
それも、今のようにビニール袋に入れて捨てないので、最後はゴミ収集のおじさんが、板きれ2枚を使って、一生懸命残りかすを集めていく。
ゴミ当番の人が、最後そのあとを水洗いするのだ。

だが、回収に来るまでは悪臭はするし、ウジはうようよいるし・・・。
決して衛生的な環境ではなかった。



生ゴミに関する限り、田舎や近郊の方がずっと衛生的だった。
なぜなら、生ゴミはニワトリか豚のえさになるか、堆肥になるかだったから。
「生ゴミに関するかぎり」と書いたのは、当時都会では一般的だった「水洗トイレ」が田舎では、「くみ取り式トイレ」つまりいわゆる「ボットン便所」だった。
尾籠な話で恐縮だが、後で重要な話になるので、あえて書く。

「悪臭はするし、ウジはうようよいるし」になってしまうのは、元に戻るところ「土」がないからだ。
元にも戻りようにも、人が作ったコンクリートがブロックしている。
そもそも、人間がたくさん居住しているという環境そのものが、「土に戻る」ことをブロックしている。



では、どうすればいいか?
元に戻すのに何がブロックしているか考えればいい。

そもそも、都会で出た枯葉や生ゴミはどこへ行っているか?
ただ、焼却炉の中で燃やされている。
一部を除いて。

それらをどうしたら元に戻せるか?

都会と近郊の農地あるいは、地方の農地を結びつければいいのではないか。
私がコンクリートの道路から、菜園に枯葉を戻したように。
このときの最大のブロックは何になるだろう?

一つは高速道路だ。
有料では、まずその流れはブロックされる。
戻すために、燃料の他にも膨大な費用がかかったのでは、ただ焼却炉で燃やされるだけになってしまう。
せっかくの「落ち葉」=「肥料」=「資源」が。

もう一つは「枯葉も含めた生ゴミ」を運ぶ車だ。
せっかく運んでも、二酸化炭素を大量に発生したのでは何のために運ぶか意味もなくなってしまう。
二酸化炭素を発生しない電気自動車か燃料電池車であろう。

もし、これが実現されれば、都市はまさに「資源」そのものだ。
ただ、捨てられているただ(0円)の「生ゴミや枯葉」を地方に運べば、地方では都市で消費される「野菜」や「肉」に生まれ帰らせて、供給できる。
都市と地方は対立するものではなく、緊密に結びつくことになる。



問題は、この「自然の流れ」をブロックしているものなのだ。

ブロックしているものを取り除けば(有料を無料に)すれば、高速道路は、循環の流れを支えるパイプラインそのものになる。
循環を支えることが、高速道路の重要な仕事になるだろう。

ところが、今高速を走るこうしたトラックはどこを走っているか?
お金がかかるので、一般国道を走っている。
それも夏の暑い時期は、窓を開けっ放しにして。
10台のうち3,4台は乗用車も含めて、厳しい暑さの中、窓を開け放して走っている。
3,4台のうち特に多いのが業務用のトラック。
シャツ一つで汗をかきかき、窓を開け放して燃料節約のため走っている運転手さんを見ると、何かおかしんじゃなかいといつも思う。



ここで、先ほど書いた「ボットン便所」の登場だ。
人間の排泄物、それも昭和30年代はふつうに「肥料」だった。
特に郊外や田舎では。
昔のことなのでよく覚えていないが、郊外では農家が排泄物を「肥料」としてただで、引き取ってくれていた覚えがある。

しかし、衛生上の観点(野菜に寄生虫の卵が付いて広がる)や取り扱いの大変さから、次第に化学肥料にとって変わられていった。



ちなみに、昔は「こいだめ」といって、「排泄物」が貯蔵された「小さな槽」が田舎や、都市近郊にはずいぶんあった。
中には、そこに落ちた人もずいぶんいた。

私の田舎(正確には父の田舎)にもそれが家の前にあった。
小用専用で、夏は満天の星空を見ながら用を足すのは、格別であった(笑)。
真冬は、夏以上にオリオンなど冬の星座が輝いていた。
でも、凍りそうだった。



またまた、横道にそれたが、それがあったということは、私たちの排泄物が「肥料」そのものであったということだ。

今、それら(排泄物)は水に流して捨てられている。
だが、それらも循環する方法が今はあるのではないか。
もちろん、液体のままでは大変だ。

確か、非常用トイレ(いや常用かもしれない?)の1つになっていると思うが、木くず(おがくず?)か何かに吸収させて最後は、乾燥した粉末にさせてしまうトイレがあったような気がする。
これならば、粉体として運べるので、単なる排泄物が「肥料」という「資源」に生まれ変わるのではないか?
そうなれば、都市は「生ゴミや枯葉」と「排泄物」という2つの資源がある「宝庫」となる。
「消費地」が資源の「生産地」に生まれ変わる。
人間自身が使っている「薬品やホルモン物質」をうまく取り除くことができれば。



キーワードはブロックを取り除く
別の言い方をすれば、
循環できなければ意味がない

私に言わせると、循環できなくしているか接続できなくしているのは、自分がブロックしていることに気づかないか、「利益の独り占め」のためだろう。
端的に言えば、「囲い込み」。

だが、囲い込みは成功しないことは、明らか。
「障害」を乗り越えられないから、接続できないのだ。
流れが途絶えてしまうのだ。



11月26日、日曜日の日経21面の記事もそのことを述べていると思う。

編集委員、関口和一氏の「今を読み解く」がそれだ。
「標準化戦略、競争力を左右」
副題が、「ネット時代、重要度増す」
と題して執筆されている。

重要な部分を抜き書きすると、冒頭で
「経済のネットワーク化により、競争のルールが大きく変わり始めた。かってはデファクトスタンダード(事実上の標準(筆者注:たとえばVHS))を握るのが勝者への早道だった。・・・・・・中略・・・・・」
「国内の業界標準が国際標準となったケースもある。ソニーが開発した非接触式ICチップの「フェリカ」だ。JR東日本の「スイカ」や電子マネーの「エディ」に採用され、携帯端末にも搭載されるようになった。」
「こうしてみると、新しい技術が世界で成功するには標準化に加え、一緒に規格を広める仲間が必要だと言える。単品のアナログ製品は性能やデザインで売れるが、ネットにつなぐデジタル製品は互いに接続できなければ意味がないからだ。」

互いに接続できなければ意味がないのだ。

これは、単にデジタル製品だけの問題ではない。
「枯葉や生ゴミ、排泄物・・・」といった資源も「循環の流れ」を断たれたら意味がない。
「資源」が「資源」でなくなる。
「宝庫」が「宝庫」でなくなる。
単なる「ゴミ」になる。

つながらなければ意味がない。




ダンゴムシ



自分がブロックしていることに気づかないか、もしくは利益の独り占めは、ひいては「争い」や「戦争」を引き起こすことになると思うのだが・・・。



けさ(23日)も、道路の枯葉掃除をした。
掃除をしていて、突然ひらめいた。
昨日次のように書いた。
---
確か、非常用トイレ(いや常用かもしれない?)の1つになっていると思うが、木くず(おがくず?)か何かに吸収させて最後は、乾燥した粉末にさせてしまうトイレがあったような気がする。
---
これをアフリカに持って行けないかと。
これなら、排泄物を効率的に集められ、肥料にできる。
あとは、水と苗さえあれば食料はある程度自給できるのではないか?



思いつきは簡単だ。
実現するのはちょっと大変。
でも、ほんとに大変なのは維持すること。
根付くことが大変なのだ。

道路の掃除をするようになって、約6ヶ月。
家の維持管理は、家の周りからと痛切に感じたからだ。
雨の日はのぞいて、ほぼ毎日続けている。
だが、続けることで見えることがある。
ブロックしていたのは「自分」なんだと。
いつも壁を作っているのは「自分自身」なんだと。



よく、「思いつき」は簡単だという人がいる。
そういう人に限って「努力」をしていない。
「改善しろ、利益をあげろ」という。
だが、「思いつき、アイディア」は、「努力」のたまものと思う。
どうしてそれを「ただ」で提供しなきゃならないのか。

「それも賃金のうち?」
「そこまで賃金もらってたかな?」

この国では、「思いつき」は正当な評価がされない。
だから、優秀な研究者はみんなアメリカに行く。
サブプライムがあってもだ。

私も第二の人生をおくるとしたら、アメリカで過ごしたいと思う。
なぜなら、いろいろな問題があるとしても「アメリカなら正当な評価をしてくれる」と思うからだ。
実際、アメリカ人の書いた著作を読むと、研究のレベルの深さは到底かなわないと思う。
日本人の著作で畏敬の念を抱く人は、司馬遼太郎くらいだが、アメリカ人ではごろごろいる。
本当に勉強をしたかったらアメリカで学ぶのが一番だと思う。
でも、優秀な研究をしていればどんどんアメリカはひっぱってくれる。
アメリカはそういう国だったはず。



本文で、

少し横道にそれたので、元に戻す。
昨日、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見ていて、郷愁にひたったが、あの時代は全部がいいわけではない。

映像にはなかったが、街角にはコンクリート製、その前は木製の木箱の「ゴミ箱」があった。
そこには「生ゴミ」も一緒に捨てられていた。

と書いた。

再度確認したら、木製の木箱の「ゴミ箱」があった。
「鈴木オート」に向かって、右側の入り口近くに1つ。
「鈴木オート」から見て、右斜め向かいに1つ。
そして、小雪さんが演じる「踊り子」の劇場の裏口から見て、右手に一つ。
3つ確認できたが、もっとあるかもしれない。
どれも、きれいでとてもゴミ箱とは思えないが、確かにある。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」シリーズは、当時をよく再現している。
「ALWAYS 三丁目の夕日」もよかったが、続もとてもいい。
なぜか、心が温かくなる。

本文はそのままにして、ここで訂正します。


努力なくして、「危機」に対応できない。wiifitで「危機」に対応できる身体づくり!!!

2008-11-04 21:35:48 | Weblog
前回、以下のように書いた。
少し長くなるが、そのまま引き写す。

③ほとんど毎日、wiifitでヨガをやった
きっかけは、前にも書いたように電車内でふらついて、迷惑をかけるので何とかしなければならないことだった。
今日(22日)のNHKの「ためしてガッテン」流で言うならば、「危ない脳」になっていた。
ためしてガッテンによれば、「カード」がないばかりに、急な電車の揺れに対応できなかったということになる。

「ためしてガッテン」をごらんにならなかった方のために、ちょっと詳しく言うと、リンゴをとるという時、「手をのばす」「腕を曲げる」「手でつかむ」といった個々の動作はいわばトランプの「カード」。
リンゴをとるのは、何枚もの「カード」の中から最適なカードを選んで、組み合わせて、実行するということで実現されているという。

ということは、私の場合、「カード」がなかったということになる。
(つまり「危ない脳」だった)
電車の「揺れ」に対して、とっさに反応して、「適切なカードを選ぼう」にも「揺れ」に対応できる「カード」がない

その「カード」を7月から3か月ちょっとの時間で、wiifitでヨガをやったことで徐々に「手札」に入れることができた。
それも、1日10分くらいで。
ワンペアくらいの貧弱なカードだったのが、フルハウスくらいにはなったということだろう

「カード」を何枚も手に入れたことで、いろいろな運動に「対応」できるようになった。
すると不思議なことに、wiifitの「運動貯金」にどんどん「運動」したことを入力するようになった。
「できるだけたくさん」入力したいために「運動量」が自然と増える。
このことが、「身体の中から自然に熱が出てくる環境変化に対応できる身体」を作ったと考えている。
もちろん、「カード」が増えて、転びにくくなった。





だが、その「カード」もただ、wiifitでヨガだけをやったとしても「手札」に入れることは、できなかったと思う。

3拍子揃うことが大事なのではないか。
つまり
自律神経が働くような環境に自分の身体をおく(たとえばクーラーはできるだけ使わない)。
②自作弁当や自作料理を作って、身体づくりの元(栄養素)と道具(ビタミン)をしっかり摂る
①②を元にヨガなど「カード」が手に入れられるような運動をやって、反射的な行動がとれるような「カード」を手に入れ運動量を増やす

よく考えれば、当たり前のこと。
だが、この当たり前のことがなかなかできなかった

と書いた。
少し長々と引き写したが・・・。

長々と書いたのには、理由がある。



今晩の帰宅途中のこと。
日はとっぷりとくれている。
車はみんなヘッドライトを点灯している。

幹線道路にある交差点の青信号を渡っていたときのこと。
確かに、前方の歩行者用信号は青を表示している。

安心して渡っていた。

と、突然右から大きくうなるエンジン音。
危ない、ひかれると思ったその瞬間、身体(からだ)が宙に浮いていた。

とっさに、大きくなって接近するエンジン音に身体が反応していた。
宙を浮いた身体が2,3メール先の横断歩道上のセンターライン先に着地していた。
振り返ると、右後方の横断歩道上に小型のツーボックスカーが急ブレーキをかけて停止していた。

思わず、運転手を見てにらみつける。
しかし、頭を下げるのみ。

右折する小型のツーボックスカーは、私を認識していなかったのだ。



振りかえって分かったのだが、接近していた小型のツーボックスカーは交通量の多い幹線の信号を右折しようとしていたのだ。

青信号だったので、問題ないと判断した私には右折してくる小型のツーボックスカーは、視界にまったく入っていなかった。
こちらも認識していなかったのだ。

だが、フオーフオーフオーフオー と大きくなる、異常なエンジン音が接近してくる瞬間、このままではやられると思った身体が、考えるより先に反応していた。

この瞬間、車は全く視界に入っていなかった。
おかしいと思ったのは急接近して大きくなる異常なエンジン音である。

視界にまったく入っていなかったのに、びっくりした身体が自然に反応していた。
「おかしい、やられる
とその瞬間とっさに思った。
と、同時に身体の方が先に反応していた。

びっくりしたのは、私自身。
えっ
まるで、宙を身体が飛んだ感じだった。
気がついたときは、身体には何の傷もなく、センターライン先に着地していた。

さっきも書いたように、2,3メートルは飛んだ感じだった。
たぶん、運転手もびっくりしたのではないか?

当の私が一番びっくりしているのだから。



事故は、思っても見ないときに起きる。

だいぶ前になるが、運転免許の更新をした。
そのとき、何気なくパネルを見ていたら、事故を起こした90%の運転手は、初めての事故であると表示されていた。

私も、人身事故や物損事故はない。
だが、パネルの言っていることは、誰にも等しく90%の確率で、今まで全く事故を起こさなかった人が、事故を起こしているということだ。

だから、運転するときには細心の注意を払っていた。

だが、事故に遭うとは思ってもみなかった。
正確には、遭いそうになったのだが。



だが、そのとき、身体は上のうさぎのように「反応」していた。
とっさの反応が身に付いていたのだ。

小型のツーボックスカーの「急激に大きくなる接近音(エンジン音)」に対して、とっさに反応して、「適切なカードを選んで」、「接近」に対応できる「カード」を選ぶことができた

こうした、とっさの行動ができたのは、ほとんど毎日、wiifitでヨガをやったおかげであると思う。
そして、そうした時間を自分で努力してつくったからであると思う。
おそらく、長時間労働をしいられて、疲れ切った身体では、反応しなかっただろう。

第一、反応しようにも反応できる「カード」がない。

そして、wiifitの毎日のような「からだ測定」の結果が自信をつけさせてくれていた。

「あなたのバランス年齢は-(マイナス)20歳です」
「とってもお若い身体です」
というメッセージが自信をつけてくれていた。



ちなみに、最高記録は-(マイナス)22歳。
当初は、平均-(マイナス)5,6歳だったのが、ここ2,3週間は平均で-(マイナス)20歳。
効果を実感していた。



wiifitがとっさに反応できる身体づくりに見事に役立った。
まさに、ローマは一日にしてならず。
努力なくして、「危機」に対応することはできない。



相手の車は「小型のツーボックスカー」でした。
いわゆる「ジープ」のようなタイプ。
「ワンボックスカー」と書きましたが、訂正します。

こちらが、認識されなかった原因の一つに、黒っぽい服装をしていたことがある。
昼間なら、運転手の顔が見えるので、中高年以上の運転手には気をつけている。
だが、夜間はまったく分からない。
急停止した運転手の顔をまじまじと見たら、中高年の男性。

認識能力や運動能力は、中高年になると間違いなく低下する。
自覚して、対策を打っていくことが必要だ。
運転する側に立っても、歩行者の側でも。

反射テープをつけるとか、明るい色の服装をするとか別の面での対策も必要なようだ