リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

戦争中の話をする母の涙と重なる、原発と放射能の恐ろしい不安

2011-06-28 12:04:55 | Weblog

3月11日以来、ずっと不安が続く。

放射能と、原発の不安だ。

 

いつ原発は、再爆発するのか?

どこでどれだけ飛び散った、放射線を浴びているのか?

これから浴びる可能性があるのか?

 

これらが全く分からない。

 


 

最近、年老いた母の気持ちが、やっと分かった。

 

 
母は、戦争中、戦闘機の機銃掃射を疎開先の駅で受けたらしい。

空襲による爆撃も受けていて、父を亡くした。

 

母は、どちらもくぐり抜けなんとか助かった。

 

そうした、戦争中の話をたくさん聞かされた私は、母の心配・不安(生きるか死ぬかという生命の危機)は話の中だけと思っていた。

 

自分には関係ないと。

 


 

3月11日以来、この母の気持ちがやっと分かった。

 

母は、この絶え間ない不安を4年間も抱えて過ごしたのだ。

いつ、機銃掃射や空襲を受けるかもしれないという、生命の危機と不安をずっと抱えながら。

 

いったい、私たちはこれからいつまで母と同じような、いやそれよりシビアーなこの心配と不安を抱えて生きていけばいいのか?

母の場合は、目に見える戦闘機や音で聞こえる爆撃機、私の場合は目に見えない放射線だ。

自分の持っている感覚器ではとらえることができない、正体不明の不安を抱えて。

 

母のように4年間で終わるのか?

 

今、まったく分からない。

 

影響さえ分からない。

 

今後どうなるかも分からない。

 

いろいろ情報を集めると、不安が不安を呼ぶ。

 

原子炉の中でメルトダウンしたゆで卵のようになった1000度以上の高温になった半熟状態の黄身(溶け落ちた燃料棒)が、再度大きな地震によってゆで卵の白身が割れるように、外の冷却水に触れれば、急激な温度差によって、水素爆発を超えたさらに大きな爆発を起こして、燃料と放射性物質が大規模に飛び散るかもしれない可能性もあるようだ。

(すでに飛び散っているようだが)

 

(3月16日の読売新聞の、チェルノブイリ事故の時のセシウム137の汚染地域レベルの地図と、その下の福島原発からの同心円の100kmごとの地図は、この事故以来最も信用できる「情報」である。今回の事故により、今後どこまで逃げれば「安全」かが分かるからである。こういう情報こそほしいのだ。この地図は、すぐにでも見られるように居間に置いている)

 

さらに、公式に発表されている放射線量は、我々が生活する地上から遙かに高いところ(地上18メートル以上)の数値のものが発表され続けている。

放射線は放射線を発する物質から距離が遠くなるほど、浴びる放射線量が小さくなるというのに。

 

そんなものを信じ続けていいのか?

 

私は、個人的には0.2マイクロシーベルト毎時を超えたら危険だと思っている。

なぜなら、0.2マイクロシーベルト毎時×24時間×365日÷1000=1.752ミリシーベルトとなり、年間1ミリシーベルトを超えるからだ。

(1000で割るのは、マイクロシーベルトをミリシーベルの単位にするため)

しかも、このままでは終わりそうになり。

さらに、放射線を浴び続け、浴び続ける放射線が積算していくのだ。

それだけでなく、原発の爆発により、今以上に放射線が増加する可能性だってある。

 

放射線の危険については、簡単にはこちらをhttp://www.yakuji.co.jp/entry22845.html

詳しくはこちらを参考にhttp://gigazine.net/news/20110315_sievert/

 

 

現に、近くに、0.4マイクロシーベルトを超えるところもある。

 

しかも、自分の家の近くにいわゆるホットスポットもあるかもしれないのに、放射線量計がないから分からない。

戸別(個別)に放射線量計を無償配布してほしいくらいだ。

特に、子供がいる家庭には優先的に。

 

再度、原発の爆発があったり、ホットスポットがあったりすれば、自分で判断して対応するので。

 

こうした不安を抱えながら生活することを、あとどれだけ続けるのか?

 

少なくとも、今後こうした不安を持たないで済むところに住みたいと思うのは私だけだろうか?

 

イタリアは大丈夫そうだけど。

 

ちなみに、今後、国内・海外旅行とも、原発のある地域と国には絶対行きたくない。

 

 


 

 

母は、今でも戦争中のことを話し出すと涙が止まらない。

 

私は母が戦争中の話をしてくれるたびに、戦後生まれの私も母とともに、戦争中にも生きていたように思う。

 

今、そのときの母の本当の気持ちが、心から理解できた。

 


 

 

念のため、申し添えるが、私はずーっと原発に対しては懸念を抱いていた。

 

どうも嘘くさい宣伝が行われていたからだ。

(本当に安全なら、宣伝さえ不要だから)

 

今回の震災で、その懸念が現実のものとなり、ある意味ほっとしている。

やはりこうなったかという奇妙な安心感もあるのだ。

 

だが、起きてみるとそれは「終わりのない生命の危機の連続」であるということがはっきりした。

 

原発をどうするかについて、イタリアみたいに国民投票ができないなら、解散して総選挙して民意を問うしかないだろう。

 

福島の原発が収束した段階(いつ収束するか分からないが)で、できるだけ早く、そうしてほしい(民意を問うてほしい)というのが今一番の願いだ。

 

原発をこのまま継続するか、やめるかについて。

誰が安全と言い、導入したのかをはっきりさせて。

 


グリゴリ・ペレリマン氏の生き方に学ぶ(2) 被災地の方へ「勇気」を

2011-06-13 12:26:25 | Weblog

グリゴリ・ペレリマン氏の生き方に学ぶ(2) 

2回続きの2回目です。

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この記事は、昨年に書いていたが、掲載しなかった。

しかし、今回の大震災とそれに続く未曾有の「危機」に際して、私たちが行動を決定するときに必ず、参考になると思うので掲載する。

私も父が亡くなったあとの自分一人の力で何とかしなければいけない一番大変な時期に、グレゴリー・ペレリマン氏の生き方を何度も思い出して勇気づけられた。

生き方を指針づけられたといっても過言ではないと思う。

苦しいことがあたらグリゴリ・ペレリマン氏の生き方に学んでほしいと思う。

以下、未掲載の記事をそのまま載せる。


1回目 

グリゴリ・ペレリマン氏の生き方に学ぶ(1)

  から続けてお読みください。



私は、ペレリマン氏の受賞拒否の言葉、「別の数学者が証明に果たした貢献が正当に評価されていないことに不満」の言葉から、ペレリマン氏は、「ポアンカレ予想」の証明という最高峰の頂にたったとき、何より、先達の数学者が命をかけて作った地図(数々の証明)に深く感謝したに違いないと思う。

登頂経路さえよく分からない、深い山でどこに何があるかさえも分からない時、かすかな光と希望となったのは、この先達(数学者たち)が作った地図(数々の証明)しかないからだ。

その重要性は、誰よりも深くペレリマン氏には、理解できたに違いない。



ペレリマン氏にとって、何よりありがたかったのは、数学者たちが営々と命をかけて築いてきた、証明という無償の「情報」だったに違いないのだ。



ペレリマン氏が言いたいのは、

お金は、数学の難問を解くのに必要ありません。
紙と鉛筆があれば十分です。
それよりも、私が世紀の難問を解くのに成功したのは、先達の数学者たちの命をかけた成果、地図(証明の数々)があったからです。
先達と神への深い感謝の念があるのみです。

ということではないのだろうか。



我々が生きている身近な世界も、ペレリマン氏のポアンカレ山世界初登頂に比べれば、比較にならないくらい安全であるが、それでもいつ何が起こるか分からない。

安全そうで、毎日が山登りのようなところもある。

いつ交通事故に遭うかもしれない。
安全だと思っていても、いつ危険が迫ってくるか分からない。

ただ、毎日の生活に追われ忘れたり、思い出さないようにしたりしているにすぎない。




我々は、ペレリマン氏ほどに先達の無償の「地図」に感謝しているだろうか?

無償の地図があることが、当たり前と思ってはいないか?

お金があれば、いつでも何でも「買える」と思っていないか?



そう考えると、私はペレリマン氏の行動に深く感動するとともに、心から尊敬の念を抱かずにはいられない。

 

筋違いのお金や行為にたいしては拒否するという態度には、感動で、身体が震えてくる。



少しでもペレリマン氏のように「勇気」をもって生きることができればと思う。



おそらく誰よりも、ペレリマン氏は先達とともに「ポアンカレ予想」が解けたことに喜んでいるに違いない。
また、賞やお金という「現物給付」ではなく、純粋に数学者として「世紀の難問に挑んで答えを出した」ということに満足しているに違いない。

そして、そのことに誰よりも神に感謝しているに違いないと思う。



もともと「賞」や「お金」でペレリマン氏はじめ人々の業績を正しく評価することなんて不可能なのだ。
時々(いやほとんどいつも)、人間は間違えてペレリマン氏はじめ神々を間違えて評価する。
評価なんてできないのに、評価できると思って。

ペレリマン氏はこのごく簡単なことを教えてくれる。



誤解のないよう断っておくが、「ミレニアム賞」や「フィールズ賞」はすばらしい賞で賞賛に値すると思う。

だが、ペレリマン氏にとっては、自分が受賞するより「正当に評価されていないこと」が気になる。

ペレリマン氏は、やはり「神」ではないかと思う。



それにしても、数学はすごい。

費用もお金もかけず、一人の数学者が(頭の中で)思考実験して、結果を出してしまう。

はやぶさもすごいが、それよりもっとすごい。

はやぶさは、太陽系のほんの一部を行って、帰ってきた。

しかし、ペレリマン氏の数学は、太陽系が所属する銀河系(天の川)を含めた銀河系の集まりの銀河団、さらにその集まりの全宇宙を対象にして、結果を出したのだ。

スケールがまさに天文学的。

それなのに、使ったのは紙と鉛筆、そして、多分パソコン。

究極のエコだ。



そして、もうひとつ。

ペレリマン氏は、信用できる。

なぜなら、金に魂を売り渡さないからだ。

そもそも、金融危機(信用不安)の発端は、製品や商売が信用出来ないことから始まった。

信用できないから、保険をつけてとばす。

そして、最後にはどこにもとばすところがなくなってしまった。

それが事実だろう。



やはり、ペレリマン氏は、神だ。

自己責任なんていう都合のいい言葉を巧みに操って、自分のやりたいように事を進めていく輩(やから)とは比較にならない。

比較することさえはばかられる。



ちなみに、この国では偉大な業績を残した人々は神として神社にまつられる。

しかし、神社にまつられてもお参りするかどうかは、参詣者の気持ち次第だ。

この国は、神になっても永久に厳しい評価をされる。




だから、この国では「本物」しか残らない。



もう一度、ペレリマン氏が言いたいだろうことを再掲する。

お金は、数学の難問を解くのに必要ありません。
紙と鉛筆があれば十分です。
それよりも、私が世紀の難問を解くのに成功したのは、先達の数学者たちの命をかけた成果、地図(証明の数々)があったからです。
先達と神への深い感謝の念があるのみです。

自分にあうように言い換えると、

生きていくのに大金はいりません。
健康と少しの勇気があれば十分です。
それよりも、これまで生きてこられたのは、家族をはじめ多くの人々に教えられ、支えられてきたからです。
先達と神への深い感謝の念があるのみです。

 

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以上が未掲載の記事でした。

 

 

 

未曾有の震災を経て、改めてペレリマン氏の生き方に感動する。 

 

先達の命をかけた偉業に対して十分な敬意を払い、それを生かして自分の命をかけて問題を解決する。 

そして、問題が解決できたことで十分満足し、それ以上を求めない。

 

数学の問題に対して、数学のみならず物理学の知識までフルに動員してすべての可能性を考えて解決する。

これこそが、真の科学的な態度ではないだろうか?

 

苦しいこと、自分一人で何とかしなければならないことがあったら、私は何度でもペレリマン氏のように行動しようと思う。

 

ペレリマン氏の生き方を見ていると、自然に「勇気」がわいてくるから


グリゴリ・ペレリマン氏の生き方に学ぶ(1) 被災地の方へ「勇気」を

2011-06-13 12:22:37 | Weblog

グリゴリ・ペレリマン氏の生き方に学ぶ(1)

2回続きの1回目です。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

この記事は、昨年に書いていたが、掲載しなかった。

しかし、今回の大震災とそれに続く未曾有の「危機」に際して、私たちが行動を決定するときに必ず、参考になると思うので掲載する。

私も父が亡くなったあとの自分一人の力で何とかしなければいけない一番大変な時期に、グリゴリ・ペレリマン氏の生き方を何度も思い出して勇気づけられた。

生き方を指針づけられたといっても過言ではないと思う。

苦しいことがあたらグリゴリ・ペレリマン氏の生き方に学んでほしいと思う。

以下、未掲載の記事をそのまま載せる。

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2010年)7月3日(土)の読売新聞の36面の記事に感動し、勇気づけられた。
露数学者また受賞拒否「ポアンカレ予想」証明
の2段の記事である。

(ポアンカレ予想とは、誤解を恐れずに言えば、帰還した「はやぶさ」がもしロープを引っ張って地球から出発し地球に帰還し、ロープのはじめと最後をもって全部引っ張り寄せることができたら宇宙の形は丸いはずだという予想。はやぶさが、仮にドーナッツの形をした宇宙をドーナッツの形に沿って回ってくればロープは引っかかる)

受賞を拒否したのは、ロシアの数学者グリゴリ・ペレリマン氏(44歳)である。(記事では、「ペレルマン」となっているが、後で述べるNHKの番組では「ペレリマン」としているのでペレリマンと記載する)

記事によると、受賞を拒否した理由として、「別の数学者が証明に果たした貢献が正当に評価されていないことに不満を示した」らしい。

また、
受賞を拒否したのは、アメリカ クレイ数学研究所主催の「ミレニアム賞」で、受賞と賞金100万ドル(8,800万円)の受賞を拒否したとのこと。



私が、ペレリマン氏の受賞拒否の記事に感動したのは、今年3月6日NHKで再放送された、「NHKスペシャル100年の難問はなぜとけたのか」の番組を読む前に見ていたからだ。

それによると、ロシアの数学者グリゴリ・ペレリマン氏は、数学界第一、数学のノーベル賞とまで言われている、「フィールズ賞」も受賞を拒否した。




読売新聞のペレリマン氏の受賞拒否の記事に感動し、勇気づけられたのはなぜか、少し長くなるが書きたいと思う。



「NHKスペシャル100年の難問はなぜとけたのか」では、フィールズ賞を受賞拒否したペレリマン氏について放送した、多分ロシアの放送局の音声の翻訳文字(テロップ)として、

「30ルーブル(最近のレートで約86円)でさえ今のペレリマンには大金です。」
「賞金100万ドルを拒否しなければ豪華な生活が出来たでしょうに」

と字幕があった。

映像は、隠し撮りされたペレリマン氏が買い物袋(レジ袋?)をさげた姿が映し出されていた。

まったくひどい映像です。
彼は正当に評価されていない。

と高校時代の恩師が述べていたのが印象的だった。



私は、この報道はペレリマン氏のことを全く理解できない、お金第一の考えで作られた報道だと思った。
お金があれば、何でもできるという考えの。



ここからは、私のほとんど推測なので、ペレリマン氏にたいして失礼なことがあるかも知れないが、意をくんでいただき失礼なことがあったらお許しいただきたい。

まず、ポアンカレ予想のなんたるか、また位相幾何学(トポロジー)など最近の数学も含めよく分からないのに、これだけの(2段の短い)記事に対していろいろ書くことさえ誤解を招く可能性があるがあえて、書かせてもらう。

私には、ペレリマン氏が「フィールズ賞」、「ミレニアム賞」の受賞を同氏が受賞拒否した理由が理解できるような気がする。



ペレリマン氏の言うように「別の数学者が証明に果たした貢献が正当に評価されていないことに不満」なのだと思う。

おそらく、ポアンカレ予想のような世紀の数学の難問は、登山と同じようなものだと思う。

それも、チョモランマのような世界有数の前人未踏の最高峰の登山にたとえられるのではないか。



私の数少ない体験で言えば、グループで山の頂上を目指して登りはじめたとしても、自分が稜線で強風にあおられて、谷底へ転落してしまえば、命はない。
(これこそ「自己責任」だ。危険な商品やサービスを売り手の責任を逃れるために「自己責任で」というのとはまったく意味が違う)

そこまでいかなくても、骨折して動けなくなったら、最悪一人で残って、何とかするしかない。

他のメンバーまで犠牲にするわけにはいかない。

ましてや、ペレリマン氏はグループではなく、たった一人で、「ポアンカレ予想」というチョモランマ世界初登頂にたとえられるような難問にたった一人でアタックをはじめたのだろう。



仲間とグループで登山するときは、気楽だ。
(それがそもそもの認識の間違いなのだが)

だが、もし仲間とはぐれ、一人迷ったらどうするか。

もっとも頼りになるのは、食料、防寒具や寝袋、雨具(体温低下を防ぐ)と地図だろう。

ペレリマン氏は、最初からこの仲間とはぐれた状態からのスタートとたいして変わらなかったのではないか。

中腹までの地図はあるが、その先の地図はまったくない。



数学の難問なので、ペレリマン氏に食料、防寒具や雨具はいらない。

何よりも必要なのは、地図だ。

繰り返しになるが、「NHKスペシャル100年の難問はなぜとけたのか」によると、「ポアンカレ予想」とは、ペレリマン氏にとって、山の中腹までの地図が分かっているアタック目標だったに違いない。

それが、サーストン博士の「幾何化予想」などによってアタックすべき経路が見えてきたのに違いない。
(詳しくは、「NHKスペシャル100年の難問はなぜとけたのか」の録画映像をどなたかに借りて見てほしい)



登山では、街で命の次に大切な、「カード」や「財布」は、登りはじめたらまったく役に立たない。

持っていればむしろ、重くて、アタックのじゃまになるくらいだ。



ペレリマン氏のように、一人で、アタックするには「地図」しかない。

だが、その「地図」は、「ポアンカレ予想」に取り組んだ数学者たちが命をかけて明らかにした成果だ。

それを頼りにして、ペレリマン氏は、「ポアンカレ予想」という世紀の難問、チョモランマのような最高峰の初登頂にたとえられるアタックに成功したのだ。

そして、そこからのすばらしい眺めを誰よりも早くペレリマン氏は見たに違いない。
おそらく、神と先達の多くの数学者たちへの感謝とともに。


 

2回目に続く

グリゴリ・ペレリマン氏の生き方に学ぶ(2) 

 


この震災で返すことができたもの

2011-06-01 09:56:01 | Weblog

この震災で何よりも、生き甲斐を感じたのは帰宅難民となった知人のためになれたことである。 

いろいろなところでいわれているが、人間最も生き甲斐を感じるのは、誰かのためになれたときであると思う


 

学生時代東北を徒歩旅行したことがある。 

そのとき、福島県のある寺に1泊させてもらったことがある。 

 

夕方、たまたま、寺の前を通りかかったら、住職から声をかけられた。

 

「今晩泊まるところはあるのか?」

「ありません」

と答えると、

「うちへ泊まって行きなさいと」

一晩お世話になった。

 

布団はふかふかだったし、夕食にはビールまで出してもらい、ほんとうに恐縮した。

 

 

前日の夜は、毛布一枚で自分一人、渓谷に野宿であったから余計ありがたかった。

真夏とはいうものの、周りには野猿の鳴き声はするし、朝方には夜露でびしょびしょになるから余計だった。

(一人での野宿は、当時だからできたと思う。今は絶対おすすめできない)

 

翌日の朝、

「今日はどうするのか?」

と聞かれ、

「うちに帰ります」

と答えた。

 

この先のことまで心配してくれた。

帰りの電車賃ぎりぎりしかお金がなかったので、ただ頭を下げて、お礼を申し上げることしかできなかった。

 

 


 

 

一宿一飯の恩義というけれど、このことは今でも忘れていない。

そして、ずうっと心にひっかかっていた。

何かお礼をしなければならないと。

 

しかし、ちょっと前、それは別の形で返せばいいことを、テレビのある旅行番組を見て知った。

お寺が旅人に無料で宿泊させることを、一言で言い表す言葉があるのだけれど、何というかは忘れた。

宿泊する人に何の見返りも求めないで、助けるのである。

 

そのおかげ(寺に泊まらせてもらった恩義とこの大震災のおかげ)で、私はこのありがたい住職の「恩義」をたまたま知人に返すことができた。

私にとっては、恩義はかえすこができたし、知人の力になることができた。

 

 

知人からは、気を遣ってもらいお礼をいただいたが、それは、私の気持ちと合わせて義援金として被災地に送りたいと考えている。

 

私にとって、住職はお釈迦様だった。

お釈迦様は、危難の時、誰から救うかというと「近くにいる人」からと教えたそうである。

 

キリストは同じことを「汝の隣人を愛せよ」と教えた。

 

私は、この震災で、約40年ほど前の住職の恩義を別の形でお返しすることができた。

 

今の私にできることは、自分の近くにいる人のためになることである。

それが、あのありがたい住職から私が教えられたことである。

 

今、自分の身近にいる人のためになることをして、それが回り回って被災地の力になればいいと考えている。


 

 

知人の力になれたということだけで、私は、十分すぎるほどの「見返り:知人の力になれてよかったという生き甲斐」を受けている。

 

住職が私に教えたかったことは、このことだったのだろう。