リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

和のすすめ(71)渓谷の流れにゆれる足涼し:ke i ko ku no na ga re ni yu re ru a shi su zu shi

2017-08-27 21:48:25 | Weblog

 

渓谷の

流れにゆれる

足涼し

 

けいこくの     ke i ko ku no

ながれにゆれる         na ga re ni yu re ru

あしすずし               a shi su zu shi

 


 

「東京にもこんなところがあるんだね。」

と、友人が喜んでいた。

上の写真は、東京の奥座敷、多摩川の御岳渓谷にある橋から撮影した写真である。

 

先週の水曜日のことで、首都圏も暑さに見舞われ、プールなど久々に大賑わいの頃である。

 

友人は、田舎を思い出したようで、わき出している清水で顔を洗っている。

私も昔田舎でしたように、顔を洗ったら汗がすっとひいていった。

 

多摩川沿いの遊歩道を歩いて、河原に出たところで今度は、裸足になって多摩川の水にほてった足を浸してできた句が、上の句である。


読者の想像で、自由に好きな女優さんのきれいな足を想像していただいても、いい。

俳句は、読者が自由に想像できるところが最高なのだ。

そういう意味で、和の国の「俳句」は、短詩型文学の最高峰とも言える。


(^J^)

 


 

俳句にするために、「涼し」と季語を使ったが、足を浸すと10分もすると冷たいという感じになる。

しかし、そんな冷たい水にもかかわらず、ラフティングなど若者は大喜びであった。

東京から御岳渓谷までは、電車で2時間程度でいけるし。

 

 

友人が言ったように、東京は広い。

西は奥多摩から、南は小笠原など島嶼まで実に自然豊かである。

 

和の国へいらしたら、東京都心だけでなく、東京の山の自然、海の自然を十分満喫されることをお勧めします。

 

奥多摩は、もう少しすると今度は「紅葉」が楽しめる時期になります。

楽しみが満載です。


そして、あなたも御岳渓谷へ行って俳句を作ってみて下さい。

わずか17音で、一生忘れられない美しい思い出を記憶にとどめ、いつでも思い出せるようになりますよ!

日本語なら。

 

(^J^)


和のすすめ(70)盆踊り 年ごと密に 人露店: bo n o do ri to shi go to mi tsu ni hi to ro te n:和の国のわが町が人口減と無縁なわけ

2017-08-21 17:43:23 | Weblog

盆踊り

年ごと密に

人露店

 

ぼんおどり      bo n o do ri

としごとみつに  to shi go to mi tsu ni

ひとろてん    hi to ro te n

 


 

昨夜、住んでいる町会主催の盆踊りがあった。

くじ引きがあるので、毎年のように参加している。

その盆踊りが、毎年のように人が増え、露店が増え、まるで、混雑する通勤タイムのようであった。

 

やぐらの上では、若い人たちが太鼓や鐘をたたき、身体まで振動する。


通勤タイムのようなのは、町会の盆踊りだけでなく、近くの神社のお祭りなども同じである。

これも、たまたまウオーキングの途中通りかがったので、神社の中まで入ってみたのだが、人人人で普段は広い境内が、若い人たちでいっぱいなのだ。

 

我が街は、益々人口が増えている。

それも、若い人たちが。

 

人口減で大変な国があると聞いたが、どこの国のことかと思ってしまう。

 

そうした、びっくりした思いを俳句にしたのが上の句である。

年ごとに参加する人、それも若い人たちが増え、そうした若い人目当ての露店がどんどん増える、「嬉しい悲鳴」を句にした。

 


 

我が街が、これほど若い人たちが増え、勢いがある理由をいくつか考えてみた。


1)長らく都心から便利なアクセス方法が少なく、小規模な農地が多かったため、宅地化がゆっくり進んだ。

 そのため、世代交代がゆっくり進み、徐々に人口が増えた。

2)農地が多く残っており、生産緑地となっていて空気がきれいで子育てなどの環境がいい。

3)また、近くに県立や市立の森林公園、運動施設などが多く、スポーツ施設やウォーキングなどの健康維持・

増進施設が多い。

4)ウォーキングやサイクリング等は家の周りの土地の起伏も適当にあるので、適当な負荷をかけながらいつでも出来る。

5)徒歩5分以内にヨークマートと郵便局があり、日常の買い物と預貯金・郵便はたいていここですむ。

6)イオンのような大型ショッピングセンターも車で10分ほどのところにあり、食料品、衣料品、贈答、100円ショップ、家電、銀行、旅行代理店など、雨の時も含めほぼワンストップで用事を済ませることが出来る。

7)ヤマダなど家電量販店も大手が4店舗ほど近くにあり、好みのところをチョイス出来る。

8)駅から比較的遠いため、昼間も夜も静かで騒音がない。

 そのため、空き巣も少なく駅近くに比較して安全。(空き巣は逃げることを考えるので、駅近を狙う)

9)小中学校など教育施設も近い。

10)東京駅に直通で1時間程度で行ける。したがって、日本全国新幹線など東京起点の旅行は超便利。

11)銀座にも1時間程度で行けるので、ショッピングに便利。

12)成田にも、羽田にもどちらにも鉄道で1時間程度で行ける。しかも鉄道の選択肢が3つもある。国内旅行ばかりか海外旅行にも超便利。空港近くで前泊したり、後泊したりする必要がない。

 世界中に便利に行ける。

13)ディズニーランドにも40分程度で行けるので、夜遅くなっても十分その日のうちに帰ることができるので、めいっぱい朝から夜のパレード、花火までディズニーランドやディズニーシーを楽しめる。

14)潮干狩りなど海のレジャーも近くで出来る。

15)いざというとき相談できる「交番」が歩いて5分ほどのところにあるので、とても安心。

16)町会がしっかりしていて、冬季以外に夏季でも夜回りして防犯活動をしているので、ご近所と顔見知りになるので「不審者」がよく分かり安心。

17)最初の俳句の「盆踊り」のように町会主催の行事が年に何回かあるので、みんなが参加して楽しむことができるだけでなく、過度な「行政依存」になることなく、自治意識が高い。

18)何より物価が安い。テレビに何度も取り上げられる激安なお店も近くにいくつもあるので、余裕ができたお金で本当に買いたい物を集中して買うことが出来る。

いくつかあげたことをまとめると、家族のメンバーそれぞれの各ライフステージに応じた素晴らしい環境がよく整っていると言える。

自然環境、人的環境、買い物、スポーツや運動、海外・国内旅行など交通アクセス、レジャー、趣味、安全、・・・


 




あなたも、和の国のこの街を訪れてみませんか?

きっと10,000万年以上も前からこの土地を好きで、ずっと住んだ縄文人と同じように、この街が気に入りますよ!

(^J^)


和のすすめ(69)笑顔満つ 煮しめの膳を 分かつ盆:e ga o mi tsu ni shi me no ze n o wa ka tsu bo n 和の国の盆に際し人類の生と死を考える!

2017-08-14 17:33:14 | Weblog

笑顔満つ

煮しめの膳を

分かつ盆

 

えがおみつ       e ga o mi tsu

にしめのぜんを ni shi me no ze n o

わかつぼん      wa ka tsu bo n

 


 

お盆でみな故郷や親元に集まる時期である。

私と妻は、親戚を尋ねあの世から訪れる先祖にお参りし、ひとときを過ごした。

和の国では、多くの地方でこの時期に盆踊りを行ったり、同窓会を開いたりして、旧交も温める。

 

迎え盆と言って、祖先の霊を墓まで迎えに行く、しきたりのあるところもある。

わが家でもそれは行っていて、我々生きている者たちは、お盆の期間は故人となった両親や祖先の魂とともに過ごす。

その時、祖先の魂に召し上がりいただくために、故人の好きなものや果物、ご飯、お酒など仏壇にお供えする。

 

こうした、おもてなしは、故人や祖先だけではなく、仏壇や墓に墓参したこちら側の人間、つまり生きている人間に対してもなされる。

故人や祖先と言った彼岸(死後の世界)にいる人々とこちら側の生きている人間とが、共におもてなしの時期を過ごす。

 

そのおもてなしでいただいおいしい「煮しめ」を題材に、俳句にした。

煮しめは、煮物のうちつゆがなくなるまで味を食材にしみこませた料理である。

とても、おいしい。

薄味で、ちょっと甘く煮たにんじん、里芋、がんもどきなど最高である。

 

そうした、おいしいおもてなし料理を彼岸の方たちとこちら側の人間とがお盆の時期共に、食膳を囲む。

故人や祖先の話、近況など話題はいろいろである。

孫がいれば話題の中心となるから、みな笑顔になる。

 

そんな光景を描いたのが、最初の句である。

 


 

私は、お盆はそうした生者も死者も関係なく、生者も死者も共に盆の時期に「また出会えたことを喜ぶお祭り」だと思っている。

 

死者がよみがえるのかと誤解を招くので、少し説明する。

 

あなたの「生」がある限り、「あなたの思う死者」はあなたの心の中に存在する。

もちろん、現世に生きている人間もあなたの心の中に存在する。

その意味で、生者が集うことは、生者だけでなくあなたの心の中の死者も出会っていると言える。

それが、お盆なのである。

 

その意味で、全ての人間が存在しなくなるとしたら、それは人類が1人もいなくなった時であろう。

 

しかし、たとえ核戦争や小惑星の地球への衝突なので人類が絶滅しても、この美しい太陽系の惑星は存在し続けるだろう。

この美しい地球では、ずっと植物と昆虫が主人公であり続けるだろう。

今でも、実際昆虫の質量(重さ)のほうが、人類すべての質量をはるかに上回っている。

人類が地球の主人公と思っているのは、我々の勝手な思い込みに過ぎない。

 

ひよっとして、人類が絶滅した後、昆虫が進化して、考古学を極め、昔人類が存在したことを「学会」で発表し、その存在を新たな「記憶」としてとどめるかも知れない。

何十万年か何百万年か何億年か先に、

バッタが、

「目を細め フレッシュレタスを 分かつ盆」

 めをほそめ ふれっしゅれたすを わかつぼん 

   me o ho so me fu re sshu re ta su o wa ka tsu bo n

と俳句を詠んでいるかもしれない。

 

(^J^)

 

和の国の「お盆」は、人類の生と死を考える素晴らしい機会でもある。

 


 

余録

 

ひょっとすると、バッタなど昆虫は現在でも人類よりも進化しているのかも知れない!

穀物つまり米や麦やとうもろこしが増産でき、豊かになったと思っている人類を、その方向へ向かわせているのも、昆虫なのかもしれない?

 

実際、農耕するアリも存在するし。

 

この星で人類をコントロールしているのは、実のところ昆虫なのかも知れない。

 

人類が勝手に「この星の王」と勘違いするように仕向けているのは、実は昆虫で、人類は実際には昆虫に「飼育」されているのかも知れない。

ミツバチが存在しなければ、多くの果実は実をつけないし、バッタが大量発生したら、アフリカでは人類は、穀物をはじめ食料にありつけなくなる。

おいしいレタスや米・麦など穀物を人類が苦労して栽培すれば、初めにおいしくいただくのは、バッタや蝶である。

 

人類を生み出し、「飼育」しているのは、昆虫かもしれない。

 

そして今、人類がダメなら別の手を使おうかと考えているのかもしれない。

人類でなく、「別の種」を飼育しようかと。

最近は、ビルの中で野菜まで隔離してつくってしまい、我々昆虫の思うとおりにならないから。

 

(^J^)

 


和のすすめ(68)蝉時雨 ベンチに忘る 帽子かな:se mi shi gu re be n chi ni wa su ru bo u shi ka na

2017-08-10 22:19:52 | Weblog

 

蝉時雨

ベンチに忘る

帽子かな

 

せみしぐれ         se mi shi gu re

べんちにわする   be n chi ni wa su ru

ぼうしかな         bo u shi ka na

 


 

友人と大宮の氷川神社を訪れた。

氷川神社は、全国の氷川神社の総本社である。

すさのおのみこと、いなだひめのみこと、おおなむちのみことが祭神である。

東北本線のさいたま新都心駅付近から、延々2kmに及ぶ参道を歩いてみたかったからである。

 

写真のようにケヤキに覆われた参道は、とても涼しかった。

訪れた日は、気温が34度くらいはあったと思う。

 

しかし、駅を出て、旧中山道から分かれる参道に入ると、ケヤキに日差しがさえぎられるのと根元近くに蓄えた水分の蒸発により、天然のクーラーであった。

それが、2km約30分も続く。

真夏なので水分補給も頻繁に行わなければならない。

それもあって、友達とベンチに座って休憩をとることにした。

 

このときまでかぶっていた帽子は、ケヤキがかわりになるので、ベンチの上に置いて友と2人で話に夢中になってしまった。

 

帽子を忘れたのに気づいたのは、そこから15分ほど歩いて、氷川神社の拝殿で帽子をとって参拝しようとした時であった。

 

「たぶん、もうないよ。大丈夫」

「戻ってみればベンチの上にきっとのっているよ」

「せっかくここまで来たのだから、ゆっくり参拝して、大宮公園もゆっくり見ていこう」

 

ということで、ゆっくり参拝して素晴らしい森林と池のマッチする境内をゆっくりと散策した。

もちろん、大宮公園では、ゆっくりとアイスクリームもいただいて、話に花が咲いた。

 

昼も近づいたので、駅近くで食事をとろうということになり、参道を戻った。

道々、

「多分ないよ」

「絶対ある。ベンチの上にのっているよ!」

と友は、励ましてくれるが、私はあきらめていた。

 

15分ほどして、最初休んだベンチの近くに来ると、ベンチで男性が1人休憩していた。

その男性の隣にさっき、蝉時雨の涼しさに心地よくなり、ころっと忘れてきた帽子がちょこんとのっているではないか。

 

友の言うとおりであった。

 

私は、帽子があったことも嬉しかったが、友が心配してくれベンチに一緒に戻ってくれたことがさらに嬉しかった。

 

その時の光景がふと今日になって浮かんできたので、俳句にした。

 


 

7月の末から台湾の台北(タイペイ)を訪れたとき、現地のガイドさんがこう話していた。

「私は、日本に留学していたときなくなった携帯電話が全て戻ってきました。」

「しかし、台湾では全て出てきませんでした」

と。

 

このガイドさんは、私たちに注意を促すように親切に言ってくれたのであるが、このガイドさんの言葉を私自身が大宮の氷川神社で体験することになった。

 

台北は、素晴らしかった。

MRT(地下鉄)の駅には、乗降した全ての駅にホームドアーがついていた。

人権、人権とお題目でいうのではなく、実際にホームドアーをつけて、人々の安全を最優先に考えている。

 

本当の民主国家だと思った。

 

ホームで降りれば、日本と違いエスカレーターの右側に順に並んで整然と、秩序正しく改札口へ向かう。

 

また、ビルの高さが502.9mある台北101からの眺望は最高であった。

たまたま、台風一過であったから空気がきれいなこともあったのだろう。

しかし、いつもは地べたにはいつくばって生きている自分たちを鳥の目になって見ると、こうも視点がかわるものなのかと思った。

できれば、2時間近くを費やして、ぼーっと台北の街を見ていたかった。

山並み、川、海、空港、ビル、寺など、自然と文化が渾然一体となった台北の美しい街を眺めることができたのは、とても幸せだった。


もちろん、本物の中華料理はおいしくて安い。

小籠包、臭豆腐など堪能した。

大人4人で、日本円で5000円を少し超える程度である。

胃袋まで超満足した。

 

また、是非台北を訪れたいと思った。

大宮の氷川神社のように。