リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

さああなたは、どうしますか?首相についていって第二のナチになりますか?それとも、人々の主権と人権を守ろうとするアメリカの大統領についていきますか?

2019-11-28 11:01:10 | Weblog

さああなたは、どうしますか?

 

ヒットラーのような「独裁者」についていって、地獄を見ますか?

第二のナチになりますか?

 

それとも、トランプ大統領のように、議会の「民意」に従って、香港人権法案に署名して、世界の人々の主権と人権を守ろうとする大統領についていきますか?

 

議会の民意が、トランプ大統領が法案に署名せざるを得なくなった状況を作ったのは間違いありませんが。

署名しなければ、次期大統領は絶対なかったでしょう。

 

さて、この国は民意よって、議会が首相に決断させることができるでしょうか?

一人一人の「民意」次第ですが。

 

 

やはり、アメリカはすごい。

主権を絶対君主から血を流して奪ってきた、ヨーロッパのDNAをしっかりと受け継いでいる。

絶対君主に対しては、断固として戦うという確固たる「信念」が感じられる。

それほど、絶対君主の独裁政治の「粛正」で、凄惨な中世の長い暗黒の時代を過ごして、骨身にしみているからだろう。

 

私たちは、アメリカ議会のようにこの国の首相を動かすことができるでしょうか?

政権与党を動かすことができるでしょうか?

戦前の言論の自由のない、暗黒の時代に、逆戻りするのを防ぐことができるでしょうか?

 

桜を見る会は、ナチと同じ排除の論理に立っていることに、あなたは憤りを感じませんか?




出来れば前回からお読みになっていただいた方がよりよくご理解いただけます。

(^J^)

 


桜を見る会の本質は、功労者の顕彰に名を借りたお仲間作りつまり、排除を推し進めることが本質。ナチスのジェノサイドと本質的には同じ。つまりいじめ。

2019-11-25 11:47:46 | Weblog

桜を見る会の本質は、功労者の顕彰に名を借りたお仲間作り、つまり排除を推し進めることが本質。

ナチスのジェノサイドと本質的には同じ。

つまりいじめ。

排除の論理。

 

こんな政府をゆるしているということは、あなたもいじめに加担しているのと同じ。

ナチスのジェノサイドを許しているのと同じ。

広島や長崎に投下した原子爆弾は、しかたがなかったと許すのと同じ。

 

我々が、天国に住むか地獄に住むかは我々一人一人の判断次第。

 


 

結論は以上ですが、よく分かるよう前回のブログの後半の一部分(ホームレスが避難所に入れなかったくだり)に続けて、ダイアログ形式で補足しましたのでご覧下さい。

(お読みでない方は、前回のブログの前半もお読みいただいた後、ご覧下さい)

では、前回のブログの後半の一部の引用から続けます。

 

「反対給付がなければ、何もしない。そのことが日本で乞食が上から下まで蔓延している理由だ」

「ただのティッシュペーパーから始まって、桜を見る会のただ飯まで、日本は反対給付のないものはないんだよー」

 

「ひどい国だねー」

「じゃー、路上のホームレスは誰も助けない」

「その通り」

「助けたって、反対給付がないからね」

「だから、東京のある区で台風が近づいたとき、区の担当者がここは「区民のための施設」ですと言ってホームレスの入場を断った」

「えー、台風が近づいていて大風、大雨なのに」

「そうさ、区民税を払っていないからと考えたんだろうね」

「ひどい国だね」

「こんな国に住みたくないねー」


この続きです。


「総理が率先してやっているから、みんな真似するんだろうね」

「お仲間しか入れちゃだめど」

「そーか、桜を見る会と同じなんだ」

「そして、こう言い放つ」

「ホームレスになったのは、「自己責任」だと」

「知識偏重教育で思考力をそがれた役所の人間は、ホームレスの気持ちを思いやることも出来ず、昔の総理を見習って「避難所には入るな」とね」

「血も涙もないねー」

「じゃー病気になって弱者になったとたん、「自己責任」とこの国では切り捨てられるの?」

「そういうことだね」

「だって、総理が率先して桜を見る会で範を示しているじゃないか

「自民党のお仲間だけ、選挙区のお仲間だけ入れるのだ」

「新宿御苑にね」

「入れなかった人は、お仲間じゃない」

「つまり避難所にも入れないということか」

「もちろんだ」

お仲間じゃないからね

「排除されてしまっているんだね」

「これが「いじめ」じゃなくて何なの?」

そうやって、総理と政府、とりまきの政治家は一体となって仲間以外と弱者を切り捨てていっているのさ

「だから、切り捨てられないようにみんな必死になって参加するのか」

「哀れだねー」

「気の毒だねー」

「泣けてくるねー」

仲間はずれをつくって、「いじめている総理」だってことが分からないんだねー

「そんな総理に誰一人「いじめはダメだ」と言えないんだねー」

「嘘でしょう」

「嘘じゃない、ほんとだ」

「いじめの張本人、総理には誰も逆らえなくて、ダメって言えないんだよ」

「誰一人として」

「みんな人間としてクズだね」

「そう、いじめはだめだと勇気をもって言える人間が、この国の政府には誰一人としていなかったということだ

「だから、何十年もそれが続いてきた」

「そうか、それで分かった」

「この国で、いじめが減らないどころか、増えている」

「総理が率先して仲間はずれをつくって、いじめているからね」

「桜を見る会には、自民党のお仲間だけ入れるのだ」

「ひどい国だねー」

「総理がいじめのトップだったんだ!!!」

学校でも会社でもいじめが減らないわけだ

「分かったろう?」

「うん、よく分かった」

「桜の会の参加派の一部には、総理が先導したいじめに加わらなければ、それこそいじめられると思い、泣く泣く参加した人もいるらしい」

「ひどいねー」

そんな総理や政府に「教育」を語る資格なんてない

「そうだろー、ひどすぎる」

「何でか分かる?」

「誰も言わないからだ」

誰もそれを「いじめ」「排除の論理」だからやめろと総理や政府を糾弾しないから

「でもそれは、桜を見る会を続けさせてきた我々国民自身の問題でもある」

「そうか、そのことを忘れちゃいけないね」

「いじめを糾弾しなければ、いじめの張本人である総理を批判する資格はまったくない」


そうか、この問題は我々自身の問題でもあるんだ

「そうだよ、ヒットラーにだれも逆らわなかったから、ナチスはジェノサイドを行った」

「広島、長崎への原子爆弾投下に強く反対しなかったから、ナチスのヒトラーと同様当時のアメリカ大統領は日本人を虐殺したんだよ」

「おそらく、この二人は本当のキリスト教徒じゃなかったんだろうね」

「審判は、死んでから下されると間違って理解していたんだろうね」

「本当のキリスト教徒でなかったから」

「「審判」はこの世で下されるんだよ」

「そうさ、「地獄」と「天国」はいま生きているこの世で起こるのだよ」

「何も知らなかったよ」

「でも、それじゃいけない」

何も知らなかったと言って、桜の会へ参加したことが許されると思う?

思わない

「いじめの加担者になっているからね」

「それこそが、自己責任なんだよ」

「自分の頭で、参加するかどうか真剣に考え、判断しなきゃならない」

「毎回毎回ね」

「参加したらどうなるかっていうことをね」

「それが、地獄行きか天国行きかをしっかり判断してね

「地獄へ行ったら、それで一生苦しまなければならなくなることがこの世の中にはたくさんあるんだよ」

「桜の会へ参加した人の中でも、「総理に自分とは関係ないと言って欲しい」という人もいる」

地獄はこの世に存在しているんだよ

「天国もね」

「地獄に行くか天国に行くかは、あなたの判断次第なんだけどね」

「ローマ教皇が今、日本にいらしているけれど、ぼくはそのことを世界に伝えるために来ていると思っているよ!」

 


考えの足りない、人のことはどうでもいい、心が貧困な者が大部分の集まり それが桜を見る会

2019-11-22 09:29:29 | Weblog

桜を見る会は、来年は中止ということだが、廃止すべきだ。

一番の理由は、この国の恥だからだ。

何が恥か?

ただ飯に群がる、一部の政治家と、一部の選挙区民、一部の国民の醜態を世界にさらす場になっているからだ。

しかも、そのことが一部の政治家も含めて、まったく「恥」と思っていない。

いとと思ってやっているのだ。

これで、票が買えると思っているのだ。


何よりも、一部の国民の「心の貧困」を世界にさらす場になってしまっているからだ。

功績のあった方々を賞賛・慰労する場でなく。

 


 

何が恥なのか?

「ただ飯」に群がることをちっとも「恥」と思っていないことだ。

飼い猫でさえ、同じ物を何度も出されていると、見向きもしなくなる。

つまり、自分が食べたいものを食べるのが「食事」なのに、桜の会では出された物を食べる「給食」と同じだ。

ただなら何も考えないで、何でも食べるだろうと「バカ」にされているのだ。

 

そんな、「ただ飯」に群がることをちっとも恥と思っていない愚かさ。

まさに、醜態である。

そんな、醜態を世界中にブログで発信している。

そんな、醜態が世界中にニュース報道されている。

 

世界の人々はこう思うだろう。

 

「日本の一部の国民は、税金で出された「ただ飯」を食べて、首相に会えて、有名人に会えるといって喜んで「桜を見る会」に参加する。

 バカだねー。

 醜態を世界中にさらされているのに。」

「何にも考えていないねー、貧困にあえいでいる人たちのことを」

「一部の参加者は乞食より乞食じゃねーか」

「乞食よりひどいよ、乞食だって選んで食べている」

「ただ、ただ飯に群がっているだかじゃないか」

 

「日本の政治レベルは低いねー」

「有権者はただ飯くって、首相に投票しちゃうんだねー」

「首相も首相だねー、ただ飯くって一食浮かせたと思ってるんだろうねー」

「日本はひどいねー、税金に政治家から選挙区民まで寄生している!」

「どうして、自分たちが寄付して、貧困にあえいでいる人たちや困難に直面している人たちを救おうとしないんだろうねー」

「無理か?」

「そうやってずーっと飼い慣らされ、思考力を奪われてきたから」

 

「ほんとにあほだねー」

「何にも考えていないねー」

「上から下まで」

「どうしようもない国だねー、日本というのは」

「それをいつから続けているの?」

「何十年も続けているんだよ?」

「何ーんも考えずにね」

 

 

「もともと日本には、寄付という考え方がないからね」

「ふるさと納税というのがあるけど、これも見返りがあるんだよ」

「見返りがあるから、それを求めて地方の好きな自治体に寄付をする」

「へー、じゃ寄付と言うけれど見返りを求めない無償の寄付じゃないんだね」

「その通り」

「だから、桜を見る会では、ただ飯を食べさせる代わりとして、選挙区民の一部は安倍首相に投票することを決めただろうね」

 

 

 

「反対給付がなければ、何もしない。そのことが日本で乞食が上から下まで蔓延している理由だ」

「ただのティッシュペーパーから始まって、桜を見る会のただ飯まで、日本は反対給付のないものはないんだよー」

 

「ひどい国だねー」

「じゃー、路上のホームレスは誰も助けない」

「その通り」

「助けたって、反対給付がないからね」

「だから、東京のある区で台風が近づいたとき、区の担当者がここは「区民のための施設」ですと言ってホームレスの入場を断った」

「えー、台風が近づいていて大風、大雨なのに」

「そうさ、区民税を払っていないからと考えたんだろうね」

「ひどい国だね」

「こんな国に住みたくないねー」(一部は「桜を見る会の本質は、功労者の顕彰に名を借りたお仲間作りつまり、排除を推し進めることが本質。ナチスのジェノサイドと本質的には同じ。つまりいじめ。」へ続く)

 

 

「それほど、この国は反対給付がなければ何もできない、貧困の国になってしまったんだよ」

「どうしてそうなってしまったの」

「簡単さ、考えなくさせたからさ。入試から始まって、あらゆる場面で」

「いずれ、ノーベル賞の受賞者は誰もいなくなるよ」

 

「そうか、分かった。集大成が桜を見る会というわけか」

「その通り、よく分かったね」

「首相から始まって誰も何ーんも考えなかったから、あーなったんだね」

「そうさ、世界に醜態をさらしたことすら分からなくなってしまったんだよ」

「貧困で困っている人とか、災害で困っている人のことなんて、何も考えなかったからね」

「自分さえ良ければいいという人の集まりが、桜を見る会というわけか?」

「そうさ、その通り」

「日本は上から下まで何にも考えていないんだね」

 

「恐るるに足らずだよ、日本なんて」

「上から下まで何も考えていないから(^J^)」

「日本には楽勝できるね(^J^)」

「だって、心が貧困すぎるもんね(^^;)」

 


改造で 熱中症死 台風禍 ・  自宅行き 熱中症死 台風禍  【 安倍政権と千葉県知事を襲う怨念 】

2019-11-18 12:59:52 | Weblog

改造で 熱中症死 台風禍

ka  i zo u de ne tyu u syo u shi ta i hu u ka

 

自宅行き 熱中症死 台風禍

ji ta ku i ki ne tyu u sho u shi ta i hu u ka

 


 

死人に口なしという。

そうだろうか?

違う。

 

千葉県では、台風15号の長期停電により、熱中症で死亡した方がおられた。

その方の、「怨念」はなくなってはいない。

テレビ報道でされていたように、多くの方々が県や国は何もしてくれない。

初動が遅すぎると口々におっしゃっていたからだ。

 

怨念は、その方が亡なれば消失するものではない。

ますます、強まるだろう。

 

なぜなら、熱中症で亡くなった方を多くの方が見たり、報道で知ったりしているからだ。

つまり、怨念が千葉県中に広がる。

この国中に広がるからだ。

 

怨念の対象は誰か?

冒頭の句の通り、首相と千葉県知事である。

 

どうして、怨念の対象になるのか?

二人とも「権力」をもち適切な手段を使って、被害者を救出する手段をたくさん持っていたにもかかわらず、内閣改造や、自宅へ行き「私(わたくし)」を優先させて「権力」を正しく行使しなかったからだ。

部下にヘリコプターを使って現地の情報を集めさせたり、気象衛星等の画像を使って現地情報を集めさせたり、テレビの報道をじっと見ているだけでもかなり詳細に、被災地の情報はつかめたはずである。

しかるに、首相は内閣改造に追われ、皇居での認証等で台風禍対策を十分出来なかった。

閣僚が交代するのだから、当然縦割り行政の我が国では、対策や救援策がおくれるのは当然である。

 

こうした状況を、主権者である国民はみんな見ている。

熱中症死した方の「怨念」は、いかほどだったかということをみんな知っている。

怨念が共有されてしまったのだ。

だから、怨念はなくならない。

だから、死人に口なしではないのだ。

 

共有された「怨念」により、改造された安倍内閣は閣僚が2人も次々と辞任する。

そして、桜を見る会への野党の厳しい追及。

これらは、一部始終を見ていた台風15号による被災地の熱中症で亡くなられた方の「怨念」、屋根を飛ばされてもブルーシートすら支援されない方々の「怨念」、そしてそれをテレビで見ていたそうした方々の実情をつぶさに見ていて「怨念」を共有した国民の「怨念」が、安倍内閣を襲っているのだ。

 

千葉県知事も同じである。

繰り返し、定例記者会見の都度、記者から追求される。

千葉県民の「怨念」それを共有した主権者である国民の「怨念」がそうさせるのだ。

 


 

歴史は繰り返す。

 

菅原道真は、京の都を思ってこう歌った。

東風ふかば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

菅原道真が京を追われた後、今の京都の都は天変地異に見舞われた。


天変地異を鎮めるため建立されて、道真の「怨念」を収めようとしたのが太宰府天満宮である。

しかし、「怨念」は菅原道真だけのものではなかった。

東風ふかば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

の句によって、主権者である国民に共有されてしまったのだ。

「怨念」は道真だけのものではなくなってしまったのだ。

だから、今でも多くの人々が太宰府天満宮をお参りする。

 

道真の「怨念」を鎮めるためとその力、「知の力」を授かるために。

 


 

首相と千葉県知事がこの「怨念」を鎮めるためには、現地へ赴き直接、亡くなった方の墓参ないしはお見舞いをしなければ「怨念」は鎮まらないだろう。

毎年「主権者である国民への気持ち」と「政治姿勢」のある閣僚や国会議員が終戦の日、春・夏、靖国神社へ赴き、戦争で亡くなった英霊の「怨霊」を鎮めているように。

 


 

「怨念」を甘く見てはいけない。


例えば、いじめ。

いじめた方は忘れているかも知れないが、いじめられた本人とその家族は生きている間ずっといじめた人間に対して、「怨念」を持っているのだ。

しかも、それはテレビ報道等で「共有」されてしまう。

何より、いじめた張本人が忘れていない。

天知る地知る己知る

なのだ。


だから、誰も知らないと思っているかも知れないが、その「怨霊」に、必ず後から襲われることになるのだ。

その時は、何も起こらないから大丈夫と思っても。

 

今回の冒頭にあげた2つの句が、何よりもその明らかな証拠である。

 

そして、その怨念を鎮めようとしない全ての人々に「怨霊」は襲いかかるのである。

嘘ではない。


いくつもその例が「物語」や「逸話」や「昔話」にされて、本にされて出版されている。

この国では。

そして、多くの主権者である国民はそのことをよく学んでいる。


そのことを知っている多くの和の国の人々は、謙虚で親切な国民と世界中から信頼されています。

でもそれは、和の国の主権者である国民は、「怨霊」の恐ろしさを昔からよく知っているからでもあります。


 



補足

 

「主権者である」という言葉を繰り返し使用して、一部本ブログを訂正しました。

 

本ブログは海外の方からもよくアクセスがあるので、この言葉の意味を説明します。

 


 

アメリカでもそうですが、「主権者である国民」が大統領を選びます。

 

わが国では、国会議員の中から首相が選ばれます。

 

つまり、国民は間接的ではありますが、「主権を委任するトップ」を決めることができます。

 

具体的には国会議員は、国民が「主権」を行使して「選挙」によって選びます。

 

「主権を委任してもいいという方」を。

 

それが、総理大臣なのです。

 


 

なので、「主権を委任した総理大臣」をいつも見ていなくてはいけません。

 

国民の主権を正しく行使しているかどうかを。

 

そして、もしそうでないのなら「選挙」で、選びなおすしかありません。

 

選挙が「終わり」なのではなく、「始まり」なのです。

 


 

あなたの国では、「選挙」して「国民の主権」を委託できる人を「正しく」選ぶことが出来ていますか?

 


 

(^J^)

 


 

ちなみに、わが国は戦前は「主権」は天皇にありました。

 

つまり、敗戦によってやっとヨーロッパ並みの「主権」を国民は手に入れることができたのです。

 

わが国のみならず、多くの大戦国の多大な血の犠牲によって。

 


 

あなたは、その大切な「主権」を正しく「行使」していますか?

 

あなたの国では、そうした大事な「主権」が国民にありますか?

 


 


 

ちなみに、なぜ主権がヨーロッパでは、早く国民の手に入ることになった言えば、絶対君主の「人権」などまったくない「粛清」が日常茶飯事だったからです

 

そこで、フランス革命などによって「主権」を絶対君主から奪ったのです。

 

そして、選挙で選ばれた代表に「一定期間」委任する制度に改めたのです。

 

アメリカが日本以上に労働組合が強い理由がここにあります。

 

GAFA等グローバル企業はそれを逃れようと、中国など規制が及ばない地域や国境を越えて進出して、巨大な利益を上げています。

 


 

我々は、それをどう判断するかが今問われているのです。

 

GAFA等グローバル企業に対して、アメリカやヨーロッパ、日本の政治家がどう対応していくかを。


繰り返します。


問題は、我々国民の主権が、国境の壁を超えた、GAFA等グローバル企業に対して十分及ばなくなってしまっていることにあるのです。

それが、大きな格差と不平等を生んでいるのです。

国家が対立している場合ではないのです。


対立していることによって、最も利益を受けているのは、一部の政治家なのです。

敵を海外や国内に作って、「国民の主権を奪い自分の利益」とする。

実に巧妙ですが、政治家にはこうした方が後を絶ちません。

単純で一見分かりやすいからです。


さあ、あなたはどうしますか?




国政をめざす若き志をもつ皆さんへ -安倍政権の失敗から学ぶ-

2019-11-14 10:04:49 | Weblog

「失敗学」という学問領域がある。

NHKでも「失敗学」をテーマとしてドラマでやっている。

失敗からは学ぶことが多いからだ。

そこで、今回は首相の政治の失敗から学ぼう。

 

第一の失敗

首相は、台風15号と内閣改造を比較して、内閣改造を優先した。

だから、台風15号の対応が遅くなり、停電の復旧まで非常に長くかかってしまったのだ。

しかし、それ以上に問題と考えるのは、国政がまったく千葉県では機能しなくなったことだ。

停電で、各自治体や行政機関との連絡がまったくつかなくなってしまったからだ。

戦争で現地の部隊と連絡がつかなくなったら、おしまいだ。

つまり、問題は連絡網が寸断されて、国政が機能しなくなっているにもかかわらず、ずーっと放置したことにある。

千葉県知事と同じように。

 

なんで、失敗したのか?

 

首相は、現地の国民のことより自分の内閣の維持を優先したのだ。

つまり、

内閣改造>国民

 

派閥人事を行い、各派閥の支持を得ることを優先したのである。

国民より、自分の地位を優先したのだ。

 

なおかつ、情報網が寸断されて危機に陥っているというのに、まるで危機感がない。

 

3.11の時と同じで、アメリカがとっくに動き出しているのにぼーっとしている。

これが、日本という国の実相だ。

それを作り出しているのは首相の責任である。

内閣改造は中止できたはずである。

 

つまり、首相は判断を間違った。

(判断を間違ったことは、内閣改造の記者会見冒頭で台風15号に触れたことでも明らかである)

 

国民と内閣改造とどちらが優先すべきことなのかは、これから政治を目指す若き皆さんにはよくお分かりのことと思う。

つまり、問題は首相の判断能力が問われているのだ。

 

第二の失敗

 

いま話題の桜を見る会

 

ここでも、首相は判断を間違っている。

国民より、自分の選挙区を優先している。

自分が当選することを優先している。

これは、首相のみならず、選挙区にも問題がある。

いわば一種の利益誘導だからである。

桜を見る会といういわば、「特権」を自分の選挙区だけに与えて、支持を得ようとした。

 

選挙区以外の国民は無視された。

つまり、

 

選挙区民>国民

 

だいたい、桜を見る会に国政関係者が一時期に集まるという脳天気ぶりが信じられない。

危機意識がまったくない。

この時期に、戦争が開始されたらどうするのだろう?

支持命令系統はずたずたになるだろう。

 

こういう危機意識のない政治をしているのは、首相の判断が間違っているからである。

(判断を間違ったことは、桜を見る会を中止したことで明らかである)

危機意識がないからである。

たんに、前例主義で政治をしているからである。

 

仮に、桜を見る会を継続するとしたとしても、抽選とかハンディーがあるのに頑張っている方々とか誰もが納得する方法があるはずである。

 

内閣改造>国民

選挙区民>国民

 

こういう総理に一国の政治を任すことができるだろうか?

 

こういう判断をしてしまうのは、選挙のシステムにも問題がある。

国政を考えるのが国会議員なのだから、選挙区は不要だ。

全国のみでいい。

全国区から選ばれたという「自覚」がないから、

選挙区民>国民

となってしまうのだ。

 

これから、国政を目指す若き志をもつ皆さん!

今こそ、絶好のチャンスです。

どうしたら、失敗しないか「見本」が目の前にあるからです。

 

そして、ぜひこう言っていただきたいと思います。

 

「わたし、失敗しないから!」

と。

 

政治家は、「間違えない判断」が全てなのです。

 

(^J^)