リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

「決めたこと」を書いて肌身離さず持ち歩くことが大事なのではないでしょうか?

2007-11-23 13:07:28 | Weblog
前回の最後に次のように書きました。

この本(「本当に大切なものはいつも目に見えない」 佳川奈未著 PHP研究所 1200円(税抜き))を読んでいて思い出した言葉があります。

「決定こそすべて」
です。
この本の言いたいことを一言に凝縮するとこうなるかもしれません。

人間、弱いものです。
だから何かあるとすぐ他人のせいや物のせいにします。
私も。

しかし、自分がこうなると決めたことは、ほぼ実現できるのではないでしょうか。
むしろ決めないことが、幸せになれない最大の原因ではないでしょうか。

もしかすると「決めない」ことは、そんなに困っていないことかも。
その意味で、困ったときは、決める最大のチャンス!
幸せになるには、心の声を聞いて「決める」ことなのではないでしょうか。

と。



私の場合「決定」というより願望、「こうなりたい」「こうしたい」ということを「書いた」のです。

何に書いたかというと、シャープのザウルスです。

ザウルスといってもMI-506というちょうど10年以上も前のいわゆるPDA(携帯情報端末)です。
これは、エクセルを搭載していて、これがとても使いやすいのです。

また、いわゆるソフトキーボード(画面上にキーボードが出てくる。ウィンドウズの電卓を開くと数字のキーが出てきますがあれのキーボード版)を採用しているだけでなく、手書きで漢字がダイレクトに入力できる漢字認識(手書き文字入力という)機能があります。
付属している専用のプラスチックのペンを使いますが、認識がしっかりしているので、横 161mm × 縦 90mm × 厚さ 23mm という大きさですが、楽に入力可能です。

オプションでキーボードを購入しましたが、ほとんど使いませんでした。

ザウルスMI-506は、重量が320g (電池込み) とやや重いのが難点でしたが、それを除けば、考えるための「ツール」として、これほど素晴らしいものは今でもないと思います。

毎日のように持ち歩きました。
そして、思いついたままに、記録することができました。

特に「インクワープロ」の機能はよくできていて、手書きではやく入力しても、そのまま図形として認識しています。
したがって、そのままメモとして読むこともできます。
しかも、よくできているのは、「清書」機能があって、メモ書きした手書きの思いつきの文をザウルスが「認識」して、コンピュータが扱える文字に変換してくれるのです。

実際にはそこまでしなくても、エクセルを開き、そこに「手書き文字入力」機能を使って、5~6年後の「こうなっていたい」という願望を書きました。
例えば、「適当な運動を毎日する」というようにです。
(ささやかな「願望」です(笑))

ザウルスは、この一文字一文字を認識してくれますので、確定して実行すれば「セル」に入力できます。
ザウルスにもソフトキーボードでパソコン配列のキーボードがありますが、ほとんど使いませんでした。
それは、いちいち「jibunga・・・」なんて、「日本語」で考えたことをまたローマ字に変換して、さらにもういちど「日本語」へ変換するという二重の手間をかけたくなかったからです。
そんなことをしているうちに「自分の考え」はどこかに飛んで行ってしまいます。

一言で言うと、ザウルスは「日本語」を「日本語」として認識してくれる、きわめて優れたPDAだったのです。
いまでもそうですが・・・

このザウルスのおかげで、少しずつ「こうなっていたい」という願望を整理して「エクセル」に書き込みました。
それは、全部で6つありました。

そのうち、5つが実現しています。
今、実現していないのが1つありますが、それももう少しで実現できると思っています。
(どれもささやかですから「実現」するか(笑)。でもそのささやかな望みさえかなえられなかったというのが「現実」でした)



ずいぶん、横道へそれましたが、要は「願い」を書くということ。
そのことが大事なのだと思います。
書けば、自分にとってほとんど「決定」になります。

ザウルスはPDAでしたから、それを毎日持ち歩き、「繰り返し見る」ことができました。

もっとも、その「見る」ことさえできない時期がありその時は大変でした。
ほとんど、書いたことさえ忘れていました。

おまけにザウルスも重いので持ち歩かなかった時期も正直ありました。



しかし、5~6年前の「願望」を見て、「求めよさらば与えられん」ということは、間違いないように思います。
自ら求めなければ実現はしないでしょう。
運もありますが・・・

実は、ザウルスを購入するとき、ハンドヘルドのパソコンも検討しました。
しかし、最後はザウルスに決めました。
金額はほとんど変わりませんでした。

結果は正解でした。
こんな使い方(ほとんどどこでも思いついたときに思いついたことを書ける)は、まずパソコンでは、起動が遅くて不可能でしょうから。
さらに、ザウルスは「フォトメモリー」という機能があって、図を書き込める機能があります。
これは、ずいぶん重宝しています。
我が家のパソコンの移動や配置などを事前にシュミレーションして、使い勝手を電車にのりながら図で考えられるというのは、ほかにはありません。
それに、10年前には携帯はありましたが、まったく別物でしたし。



先日、昼休みのわずかな時間に、ザウルスに次の5~6年後の「願望」を書き込みました。
5~6年前の「願望」に比べると実現するかな?と思うくらいです。
でも、5~6年前に書いたことが紆余曲折がありながら実現したのですから、たぶん次の「願望」も山あり谷ありで、実現すると楽観的に考えています

次回は、このザウルスがイタリアでどう活躍したか書きます。

あなたに幸せをもたらす本・・・

2007-11-18 14:26:58 | Weblog
先日、昼食をとった後、持参した本を読んでいたら、ぽろぽろと涙が出てきました
きっと回りで見ていた人は、何泣いているの?と思ったかも知れません。

最近は、あまり本を持ち歩かなかったのですが、この本は何となく持ち歩きたかったのです。
この本との出会いは、「朝日」の広告でした。
私の本との出会いは、たいていは、通りすがりの本屋の平積みを見てです。
「これは?」と思う本を手にとって見て、最初の2~3ページを読んで買うかどうか決めます。

しかし、書評や新聞の広告もよく見ます。
この本は、まずタイトルが目に飛び込んできました。

「本当に大切なものはいつも目に見えない」
です。

佳川奈未著 PHP研究所 1200円(税抜き)

広告のコピーに○○万部突破とか何とか書いてあったように記憶しています。



昼食をとり、一休みしてこの本の80頁から読み始めました。
著者が、bay fm(ラジオ局)に生出演して「幸せ大賞」選考審査員をしたときのことが書かれていました。
きっと何十枚、何百枚ものファクシミリやメールの印刷したものを読まれたのでしょう。
その、最後の最後の一枚が「幸せ大賞」となったのです。

85頁まで読み進んだとき、ぽろぽろと涙が出てきました。
周囲の人の目を気にしてはいましたが、どう思われてもよかったのです。

それより、この「幸せ大賞」の母子3人家族の話が何よりも仕事の疲れを軽くしてくれました。
元気をくれました。
幸せをくれました。

話の内容は、是非この本を買うか借りるかしてお読み下さい。
きっとあなたを幸せにしてくれるでしょう。

少しだけ、著者の佳川奈未さんの文を引用させていただきます。

「真の幸せの価値を、辛い状況の中ででも、しっかりと感じようとする人こそ、本当の幸せ大賞であり、その受賞には、天からのああたかいごほうびが後からいくらでも届くようになっているのです。」



この本を読んでいて思い出した言葉があります。

「決定こそすべて」
です。
この本の言いたいことを一言に凝縮するとこうなるかもしれません。

人間、弱いものです。
だから何かあるとすぐ他人のせいや物のせいにします。
私も。

しかし、自分がこうなると決めたことは、ほぼ実現できるのではないでしょうか。
むしろ決めないことが、幸せになれない最大の原因ではないでしょうか。

もしかすると「決めない」ことは、そんなに困っていないことかも。
その意味で、困ったときは、決める最大のチャンス!
幸せになるには、心の声を聞いて「決める」ことなのではないでしょうか。



次回は、私の決め方の「秘訣」を書きたいと思います。

そして、リフォームも「ほんとうに大切なものは目に見えない」ことを実感していますので、このテーマでも書きたいと思っています。

クラウンマジェスタとポルシェと私

2007-11-16 23:55:36 | Weblog
先日、ママチャリで坂道を上り始めた頃、後方から車の接近する気配。
エンジン音から中型車であることは分かったが、私のすぐそばに来て減速したのが分かった。
減速した後、十分な幅(私の自転車とクルマの距離)をとった後急加速。
ふと右を見ると、黒のクラウンマジェスタ。

その後から、音もなく私の脇をすっとすり抜けた白のポルシェ。
接近したことさえ気づかなかった。
もちろん私の自転車とクルマの距離は、完全に安全距離が保たれていた。



マジェスタは、接近したことを減速してエンジン音で知らせ、じゅうぶんに私に配慮してくれていることが分かる。
運転手の心遣いがうれしかった。

対して、ポルシェ。

まったく、接近したことさえ気づかなかった。
私が気づいたときは、すでに私との安全な距離をとって抜き去られた後だった。
もちろん、ドアミラーは車幅の中にきちんと収まっている。

マジェスタには「ありがとう」
ポルシェは、「かっこいい」

でも、二酸化炭素排出では私が一番

ETC(E)えらく(T)高い(C)チェックポイントよりTelepass、これよりフリーパス

2007-11-14 22:58:38 | Weblog
タイトルが収まらなかったので、もう一度書く。

ETC=(E)えらく(T)高い(C)チェックポイントよりTelepass、Telepassよりフリーパス

イタリアから帰ってから、9月に国内旅行をクルマでした。
まだ、マイカーに乗るのがみじめとは思っていなかったときだ。

週末は混むことが分かり切っているから、日曜日・月曜日と一泊二日。

両親と私の3人の旅。
話は盛り上がるので、ついつい「高速」の入り口から入るのを忘れてしまった。

いいや。
急ぐ旅でもないので、国道をのんびりと走ろうということになった。

しかし、これが意外といい。
高速に乗ったのでは、分からない街並みを見ることが出来る。
それに、国道は結構整備されているので、ノンストップという訳にはいかないが、景色を眺めながら(と言っても私は運転しているので走行中は、路面に集中して)走行できる。

何よりもいいのは、信号で止まったとき、ゆっくりとその街の雰囲気を味わえることだ。
さらに、「高速料金はゼロ」。

ゆっくり走るうち、たまたま高速でありながら、限定期間中に限り「無料」の高速に迂回しながらも乗ることができた。
もちろん、これは「計算済み」。

事前に下調べしたら、期間限定で「無料」であることが分かっていたので、その区間だけ「利用することになってしまった」。
ほんとうは、その前から高速を利用して、この無料区間の高速利用もするつもりであった。

乗ったら、超快適。
日曜だから、下りのクルマはほとんど走っていない。
おまけに、期間限定無料だから、料金所はフリーパス。
「料金所渋滞」に巻き込まれることなく、これってETCよりいいじゃない
何より意味の分からない「ETC」と収受員のいる「検問所」を区別する必要もない。
それに、万が一上がらない可能性のあるあのバーを気にしないで、ほとんど減速しないで通過できる。

話は飛ぶが、イタリアでも移動はバスで高速利用。
日本と同じような収受システムはあったが、私でも一目で分かった。
日本の「ETC」は、イタリアでは「Telepass」
英語さえ勉強していれば誰でも分かる。
迷う心配がまったくない。
意味が分かるからである。

しかたがないので、自分で意味をつけることにした。
日本版Telepassは(E)えらく(T)高い(C)チェックポイント
これなら、覚えやすい。

話がまた元に戻るが、高速がフリー(無料)なら、こんな意味づけさえいらない。

ETC”(E)えらく(T)高い(C)チェックポイント”よりTelepass、Telepassよりフリーパス。

フリーパスなら、何も区別する必要もない。
料金所付近で減速する必要もないから、追突の可能性は限りなくゼロ。
普通料金所では、クルマは左右に広がるので、ドアミラーなどで安全確認に気をつかうがその必要もない。
減速、加速が必要ないから燃費もよくなる。
二酸化炭素排出量も減る。
人件費もかからないからコストは低下するし、排気ガスによる収受員の健康を心配する必要もない。
そして、何より物流コストは下がる。
大型トラック運転手が、高速料金を減らすために、一般国道に下りてコストを減らす必要もない。
時間がかからないから、人件費という最大のコストも減らすことができるだろう。

何より一度味わうと、その快適さは忘れられなくなる



ちなみに、このブログを書くにあたって、ETC”(E)えらく(T)高い(C)チェックポイント”の本当の意味を調べてみた。
ETC=Electronic Toll Collection System なのだ。
tollとは、使用料[税]として徴収する;(人に)使用料[税]を課すという意味だ。
最初から、サービスなんて意味がない。

もっとも、昔から「ただほど高いものはない」とは言うけれど・・・



つくづく、イタリアへ行ってよかったと思う。
看板一つにも、考え方が読み取れるからだ。

イタリア版ETCは、”Telepass”
かたや、我が国は、”Electronic Toll Collection System”

発想がまったく違う。
イタリアは、利用者のサイドにたっていて実に分かりすい。
我が国は、サービスを提供する側、つまり徴収する側の論理だ。
分かりにくいのは、当然だ。

海外に行って、違う文化を見ることの大切さを「日経」で、ある企業の社長?が、若い人向けに書いていたように記憶している。
まったく、同感だ。

乗れば乗るほど楽しくなる車・・・どこかにないか?

2007-11-10 23:11:47 | Weblog
我が家のクルマに乗って、脇道を走るとほんとうにみじめになる。
学生が自転車で、私の車のドアミラーすれすれに走っていく。
ほんとうに申し訳ないと思う。
一人か二人しか乗らない車で、この車幅とキャビンの広さは必要ない。

できれば、アウディのスポーツカーのようなドアミラーだけれど、クルマのサイドからまったくはみ出さないクルマに乗りたい。
そして、できるだけ車体もコンパクトなクルマに。

キャビン(客室空間)は、最小限でいい。
それよりも、自転車や歩行者の安全が確保された方が、どれだけ乗っていて心地いいだろうか。
きっとニコニコしてクルマに乗っていられる。

まるでスポーツカー。
でもスピードは高速を走れる程度。
燃費はリッター50km。
資源は最小限しか使っていない。
おまけに価格は60万円。
そんな車はどこかにないのか。

もちろん、ドアミラーなんかついてない・・・

こんな発想のゆたかなクルマ

クルマのドアミラーは危ない!

2007-11-03 21:18:37 | Weblog
土曜日のNIKKEIプラスワン1(日経の別刷り)は、いつも生活にプラスになることが書いてあって参考になる。

今日の7面のコラム「暮らしのアクセント」安心カーライフもそうだ。

テーマは「安全駐車術」
なかなか参考になる。
例えば、「安全駐車の基本は、愛車を止めやすい場所に止め、クルマから出やすいところに止めること」など、その通りだと思う。
そのくだりで、「大型の高級車や幅の広い輸入車、2ドアモデルの隣は避けた方が無難である。幅の広いクルマの隣は、駐車だけでなく乗り降りにも気を使う。ドア幅が大きい2ドアモデルは、開けたときに愛車のボディーサイドを傷つけられる可能性が高い。ドアミラーを畳まない、無頓着なクルマの隣も敬遠だ。」
と書いてあるのを読んだとき、?と思った。

「無頓着なクルマ」?

確かにそうかも知れない。
スーパーなどの狭い駐車場では、ただでさえ隣のクルマとの間は狭い。
そこでドアミラーを開けっぱなしにされたのでは、クルマの間をすり抜けるのさえ難しい。

だが、私はクルマの持ち主のせいにされているが、ほんとうにそうなのか疑問な体験をした。



それは、ママチャリで狭い脇道から表通りに出ようとしたところ、コンパクトカーが脇道に入ってきて、私のママチャリの右ハンドルにぶつかったのだ。
ぶつかったのは、クルマの右側のドアミラー。
それが、ちょうど私のママチャリの右ハンドルの高さと一致して、ハンドルが急激に右に切られてしまったのだ。
幸い、双方とも速度は低く、私も転倒もせずこわい思いをしただけですんだ。

このことはたいしたことでもなかったので、忘れてしまっていた。



それからまもなく、どうしたことか突然「東京モーターショー」を見たくなった。
もちろんカーマニアではない。
ただ、最新のクルマを見てみたいとの思いからである。
「東京モーターショー」に行くのも初めてであった。

「東京モーターショー」では、コンパクトカーを見るつもりであった。
燃費もいいし、小回りがきいて運転しやすい。
実際、ホンダのフィットなどコンパクトカーはよくできていて、色もなかなかいいなあと思っていた。

ところが、ある「コンセプトカー」を見て、はっと思い出した

写真の鋭角に突き出た部分が後方確認用の「カメラ」であると思う。だが危険な「ドアミラー」はない。



こちらも突き出た部分が後方確認用の「カメラ」であろう。同じく、「ドアミラー」はなく、1枚目のクルマより突き出し方は小さいが、それでもひっかかる可能性はある。



こちらになると、小さな黒い点が後方確認用の「カメラ」であろうから、全く「ドアミラー」は突き出ていない。


このコンセプトカーでは、どこが「ドアミラー」かもさえ分からない。

社名やメーカーは「東京モーターショー」のホームページへ行けば分かると思うので、省略する。
乗車できなかったので、よく分からないがどれもドアミラーであると思う。
(最後のクルマはどこがドアミラーかも分からない)



「東京モーターショー」を見て街中を改めて見直してみた。

駅まで狭い歩道を歩く中、幹線道路を大型のトラックのドアミラーが、私の頭の上すれすれに飛んでいく。
もちろん、ほとんどのクルマがドアミラーだから、歩道のないところでは、身体すれすれにぶつかりそうになりながら飛んでいく。
ママチャリに乗れば、自転車は「車両」と思われているから、ハンドルすれすれにクルマが高速で追い越していく。

私は、一度コンパクトカーのドアミラーとぶつかっているので、こわくて仕方がない。
こんなもの(ドアミラー)が平気で街中を飛びかっている
私は、たまたま一人でママチャリに乗っていたからいいが、前や後ろに子どもを乗せるパパやママがドアミラーとぶつかったらどうなるか
子どもの頭や顔にあたったらどうなるか
考えただけでも恐ろしい

問題は何か。
クルマのサイドから大きく飛び出している「ドアミラー」が問題なのだ。
特に、コンパクトカーや軽では、車体の割にミラーが大きく運転者がその存在を意識しにくくなるのだろう。
(だから、私のママチャリにドアミラーがぶつかった)
普通の乗用車でも変わらない。
実際に、私もドアミラーを自宅駐車場の側壁にぶつけカバーを壊してしまった。
(壊して分かったのだが、バックでも前進でもドアミラーは物にぶつかると折り畳まれる構造になっている。大型トラックは分からない)

人間勝手なものだ。
自分がその立場にならないと分からない。
私も、自分がドアミラーを壊した時には、考えてもみなかった。
自分がママチャリに乗っていてコンパクトカーの「ドアミラー」と接触して分かった。
ドアミラーがこんなに危険なものだとは



街中を歩いているとき、思わず振り返ったクルマがある。
それは、アウディのスポーツカーである。
ドアミラーなのに、ボディーからドアミラーが全然はみ出していない。
今、走っているクルマなのに、ドアミラーがまったく危なくない。

キャビン(客室空間)が小さいからである。

たぶん、歩行者のことを考えてキャビンを小さくしたのではないだろう。
それは、2~3日前の日経新聞?のアウディの宣伝も含め今のクルマの宣伝は、ほとんどすべてのクルマのドアミラーがボディーから飛び出しているからだ。

アウディのスポーツカーのキャビンが小さいのは、高速で空気抵抗を減らすためであろう。
だが、そのスポーツカーとしてのコンセプトが、歩行者やママチャリに乗る人間にとって安全になっている。

そもそも、ドアミラーを外に出したのは、キャビンを広くとって、乗車する人にとって快適な空間をつくりだそうとしたことにあるのだろう。
(我が家のクルマもそうだが)

もしそうだとするなら、私はそんなクルマには乗りたくない。
今度は、自分が他人を傷つけてしまうかもしれないからだ。
そうなったときの、金銭的・時間的損失は計り知れない。
そして、何よりも人を傷つけたという後悔はしたくない。