リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

お年玉付き年賀葉書の当選番号確認のおすすめホームページ

2008-01-27 21:05:50 | Weblog
今日は、お年玉年賀葉書当選発表の日。
さっそく、確認したが、日本郵便のホームページでは、一枚一枚確認するのに時間がかかる。

http://www.est.co.jp/oatari/200801/index.html

が、とても早く確認できる。
下2桁を、テンキーで入力すると当選していれば、「大当たり」と表示されファンファーレ(音楽)もなる。
分かりやすい上、楽しめる。

子どもや孫がいる人は、子どもと一緒にやるとわくわくするしてスリルがあって面白い。
当選すれば、音楽もなるので一緒にやると楽しめる。
お勧めだ。

ただし、下2桁なので、1等など当選している方はご注意を!
見ていないと、せっかくの当選を見逃してしまいますので・・・

1980円の電動ミシンで靴下のつくろい - 再生の春 -

2008-01-06 08:50:18 | Weblog
昨日(5日)は、朝から居間のこたつの上で繕いもの。
20足はあったろうか。
電池で動く小型の電動ミシンで、穴のあいた靴下のつくろいをした。

手縫いでつくろうこともあるのだが、2~3足とまとまってくるとササッというわけにはいかない。
仕方なくそのまま20足くらいになるまで、ビニール袋に仕分けしておいた。

それを、昔買った定価1980円の電動ミシンを使って、1つ1つ穴ふさぎ。
別に難しくはない。
裏返して、穴のあいた手前をUの字形に縫えばおしまい。
靴下の穴が、見事ふさがった。



少しは自分でもやっていたが、義母(はは)が若かった時は、ほとんどやってもらっていた。
私が子どもの頃は、セーターのひじに丸くつぎがあたっている友だちを見て、うらやましく思った。
一つ一つの物を大切にするという気持ちプラス愛情のあたたかさ。
映画「ALWAYS続・三丁目の夕日」でも、手づくりのワンピースを喜ぶシーンがあるが、まさにあれである。

そんな技術は私にはないけれど、義母(はは)の物の命を最後まで大切にする心は、しっかり受け継いだ。

小1時間で全ての靴下が再びはけるようになった所へ、妻と義母(はは)。
「偉いわね!」
と、えらく誉められた。

子どものように嬉しかった。
でも、本当に嬉しいのは靴下たちだろう。
ゴミとなって捨てられるのではなく、第二の人生(いや物生か(笑))を生きていくことができる。

私にとっても都合がいい。
毎日、はいてみて穴あきを発見してから、はき替えていては忙しい朝の時間がなくなる。
どれも普通にはければ、手にとった一足をそのままはけばいい。
それに何より、家計が助かる。
(ちょうどNHK総合で家計診断:楽しく続ける家計簿!を見ながら・・・)
家計を助けるには、リユースが大事だ。
リユースなら、確実に支出をカットできる。
チリも積もれば(NHK総合の家計診断で言ってたように)夢の海外旅行もできる。



パスモではないが、区別がいらないというのは、本当に便利である。

ちなみに、靴下のつくろい中の暖房は、居間のこたつのみ。
べンチコートを着ているので体ポカポカ。
石油温風機は、不要。
頭寒足熱で快適だ。



それにしても、昨日のテレビ「地球危機2008」は良かった。
何で、繁栄を誇ったローマが崩壊したか実に良く分かった。
wikipediaでも調べてみたが、納得のいく答えがなかったし・・・。
ローマの崩壊は、環境の大きな変動が要因となったというのは説得力があった。

妻に、
「あなたって単純ね!昨日のテレビ見たからでしょ」
と言われた。
「靴下をつくろうのは、前からの予定だったよ!」
と言ったが、確かに「地球危機2008」が、背中を強く押したのも事実である。




定価1980円の電動ミシンは、その後も大活躍。
妻から、義母(はは)の油夕ンポの袋を縫うことを頼まれた。
と言っても、袋の口の紐を通す所を縫うことだ。
この袋も何かの袋だったもののリユース。

このミシン1980円なのにすぐれもの。
筒縫いができるのだ。
厚手のコールテンの布地を、電動ミシンでゆっ<り時間をかけて縫い上げることが出来た。

妻に、
「手縫いよりずっといいわ!」
と言われと、何でも出来る気がしてくるから不思議だ。

何より、義母(はは)の湯夕ンポの袋の一部でも縫うことが出来たことが嬉しい。
妻がその袋の口にひもを通して、湯夕ンポ袋は完成。
今夜から寒い冬の夜を暖かく過ごすしてもらえることで、少しは親孝行できたかもしれない。

初春を迎え、日はまた長くなり、生物もまた再生する。
靴下と袋も再生した。

新年会は、全員の誕生会!?

2008-01-05 11:51:48 | Weblog
2日は我が家の新年会。
中心は、孫たち。
一年前と比べるとその成長には驚かされる。

その孫たちが、両親の持参したいちごに大喜び。
もちろん全員が新鮮で水々しい甘さに大満足。

数え三才の孫は、もういただいたからと言う年老いた両親に、自分のいちごの中からフォークでさしてすすめている。
両親は、目を細めて喜んでいる。

ふだんは、ほとんど接することのないひ孫達の成長した姿に感激した様子であった。



数え年という年齢の計算のし方がある。
新年を迎えると全員、自動的に1才プラスされる。

その考え方でいくと新年会は、全員の誕生会。
年齢、性別等一切関係ない。
全員が無事に1才年を取ることができたことを祝い、喜び合う。
おせち料理をみんなで頂く、本当の意味かもしれない。

とすると、老若男女巾広ければ巾広いほど意味がある。
そしてより大きな喜びをもたらす。
老若男女みんなが、全員の成長やこの世に生を受けたことを互いに喜び合う。
命をつなぐ、おせち料理を感謝していただく。
そうした4世代を超える会を我が家で開くことが出来たことに感謝、感謝である。

まずその命を提供してくれた食物に。
そして食物を生産し運んでくれた全ての人々に。
新年会の為におせち調理を用意してくれた妻に。
参加してくれた全ての人々に。
最後になりましたが、このブログを読んでいただいているすべての方に

無の中に有がある。有の中に無がある。

2008-01-02 07:54:12 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。

さて、昨年末京都を訪れたことは、既に書いた。
一昨年、清水寺や銀開寺など京都の東部と高雄を訪れたので、今回は嵯峨野を訪れた。
広隆寺、大覚寺、直指庵(じきしあん)、龍安寺、金閣寺を二日間かけて巡った。

どこも素晴らしい庭園であったが、最も心ひかれたのが、直指庵であった。

まずは、写真を見てほしい。





ご覧いただいた写真は、いずれも「私」が見たものである。

そう、直指庵は何を見るかは、全く見る者の心に委ねられている。
見た物、写真にとった被写体が見る者の世界であり宇宙である。
写真の竹林も太陽の動きとともに刻々とその姿を変えていく。



「何を見るかは、あなたの自由。あなたの見たものがあなたの世界であり、あなた自身である」と言っているようである。

決して強制しない、決して無理じいしない。
しかもすごいのは、1646年に独照性円がこの地に草庵を結んで以来、続いているということである。

一つ一つの素材が生きている。
そして、それら一つ一つが自分と同じ時間を生きている。
しかも、時空を超えて永続しているように。
それもわずかな山あいの谷に。

一見何もないようだが、見る者が無の中に有(見る物)を見い出す。

無の中に有がある。
有の中に無がある。
それが直指庵なのである。

私が最も心ひかれたのが、この一輪の花である。



水鉢にさりげなく置かれた花に、飾り気や美しさを誇ろうとする様子は、一つも感じられない。
しかし、この一輪の花にこの宇宙全ての美と水鉢に花を用意した庵の人の心を感じとるのは、私だけだろうか。



※写真はニコンD80を使用。
最後の写真が、端的に直指庵をうつしています。
しかし、全体としての雰囲気は、直接その場に自分の身を置かれるとよいと思います。