リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

折り畳み自転車+車(マイカーのセダン)は最高の組み合わせ!

2007-05-12 22:34:53 | Weblog
明日は、母の日。
妻とプレゼントの買い物。

ところがその前に、妻は寄るところがあって先にマイカーで
待ち合わせた後は、マイカーで行動する予定。
困ったのが私。

待ち合わせ場所は、とある駅前。
ふと時計をみると待ち合わせ時間まで30分しかない。
徒歩、電車の待ち時間、乗車時間・・・と積もり積もって結構かかる。
そこまで行くには、徒歩で最寄り駅まで歩いて、さらに電車。

着替える時間もない
んーん、困った

とそのとき、そうだ
折り畳み自転車があるではないか。
これなら、待ち合わせた後、トランクに放り込めばいい。
しかも、待ち合わせ場所まで半分の時間で行くことができる。
余裕綽々である。

ゆっくりと着替えたのは言うまでもない。
折り畳み自転車に乗り真っ赤に咲いているバラの花を見ながら、待ち合わせ場所までちょっとしたサイクリング気分である。
おまけに、自転車の速さは、顔に受ける5月の薫風が気持ちいい。

ゆとりと充実の時間を楽しんだ後、妻と落ち合った。

「あなた、折り畳み自転車とは、正解だったわね」

「とても、気持ちよかったよ」
「電車賃はいらないし、時間は節約できるし!最高だった」



先に行っていたマイカーのトランクに、1分ほどで折りたたんで積み込む。
我が家のマイカーはセダン。
3ボックスだからトランクは結構広い。
左側1/2のスペースで済んだ。

その後、スーパーでお茶とスポーツドリンクと私の大好きなコーラをケース買い。
その他、食料品を2~3袋買って積み込んでも、まだ積み込めるスペースがある。
こういうときは、さすがマイカー。
車の威力をまざまざと感じる。

その後、デパートへ寄ってプレゼントを買い食事もついでに。
ここでも、買い物。
しかしさすがこれはプレゼントなので、キャビンの後席へ。

ところが、妻がまたスーパーへ行きたいと言い出した。
でも、気分のいい私は
「いいよ、行こう」

そこでまた、2~3袋。
これもトランクへ積み込んで、2人で十二分に買い物を楽しむことができた

新車だったら、折り畳み自転車をトランクへ積み込むのはちょっと気を遣う。
しかし、我が家のマイカーは今年で10年目。
10万キロを超えている。
動けばいいという感じなので、折り畳み自転車をトランクへ積み込むのは全く抵抗ない。

しかも、セダンはキャビンと荷室が完全に区切られているから、気持ちいい
折り畳み自転車を載せても全く気にならない。
だから、セダンはやめられない。

折り畳み自転車+車(マイカーのセダン)は、最高の組み合わせだ



ちなみに、我が家のマイ折り畳み自転車は、懸賞で当たったもの。
0円だ。
これは、実によかった。
イオンで当選券と引き替えてもらったのだが、価格を見たら1万円ほど。
最近は、ネットだと7,500円くらいである。
ちょっと、女性には重たいが折り畳んで積み込めたり、家の中へしまえるのはありがたい。
それに、ママチャリよりはるかにコンパクトなので駐輪場所も取らない。
気軽に駐輪できていつも重宝している。

ほんと、お勧め

3つの幸せ

2007-05-10 22:42:30 | Weblog


何年かぶりだろう。
妻と2人で7時から夕食。
小一時間もあれこれ話した。
中身はたいしたことはない。
私は日本酒を少しいただきながら、つまみをあれこれつまむ。
何でもないこの時間が、とても貴重だ。



息子の妻から、孫たちの写真をもらった。
手帳サイズの写真帳に綴じ込んである。
孫娘、そして孫息子(ちょっと変な言い方だけれど)が2人仲良く遊んでいる。
ふだんは、見ることのできない孫たちの写真。
孫娘は、頭にシロツメクサの冠をかぶって、かわいいプリンセス。
毎日、手元に置いて繰りかえし見いっている。



毎日、駅まで歩いたり、自転車に乗ったり。
身軽に歩けたり、自転車に乗ったりできるので、自由自在だ。
歩いているときは、道ばたの可憐な草花を見ながら、適当な運動ができる。
自転車の時は、アップダウンが適当にあるので、少し汗をかく。
どちらも、自然に体力がついて、とても健康的。
健康ってほんとうにありがたい。

「自己責任」って響きのいい言葉だけれど・・・要するにリスクは自分で取りなさいということ

2007-05-08 21:47:47 | Weblog
自己責任、自己責任・・・と何となくかっこよく響く言葉である。
そして、自己責任なんだからその範囲内なら何でもOKみたいなところがある。

しかし、自己責任とはリスクを自分で取ることである。
一昨日書いた投資信託の「投資」とは言い換えれば、自分でリスクを取ることを意味している。

投資=リスク

と考えていいと思う。

でも、世の中広い。
リスクを楽しむといった考え方もある。

例えば、ギャンブル。
競馬をやったことがある人は分かると思うけれど、配当(オッズ)の高いものが来る確率はきわめて低い。
しかし、少額(自分の生活に影響のない金額)で楽しむ限りそれはそれで楽しい。
最初から、高配当の馬券がくるとは予定していないから、万が一来たときはまさに有頂天だ。

それくらいの気持ちで、投資信託にまさに「投資」できる人は楽しみだろう。

競馬の話になったので、私が実際目にした現実を書く。
私も一時期、競馬を楽しんだことがある。
もちろん遊びだ。
少額でストレスを解消できるし、もしかしたらという楽しみもあったので。

あるレースでのこと。
私は、少額しか「投資」しないから、高配当をねらっていわゆる来そうもない「穴馬」をねらう。
当然来ない。

ところが、わたしの前にいた中年の男性は、「投資」金額の単位がちがう。
私はせいぜい数百円の単位。
その中年の男性は、単位が数十万円だ。
そのレースはどう見てもいわゆる「銀行レース」(たぶん配当が銀行預金並みに低いので、そういうのだろう)。
つまり、本命(1着になると予想される馬)が間違いないというレース。
そして、対抗(2着になると予想される馬)もほぼ間違いないというレース。
それでも、「投資」を分散して2~3種類の馬券を買っている。

その男性は、見事に馬券を当てることができていた。
倍率は、せいぜい2~3倍。
しかし、確実に勝負に勝つことができていた。

話をもう少し具体的にすると、オッズ(予想配当)が2倍の場合、競馬ではきわまて低い配当(オッズ)である。
100円なら200円にしかならない。
しかし、10万円なら20万円になる。
100円の儲けと10万円の儲け。
この差は歴然としている。

私は、100円勝ってもしようがないので、50倍とか100倍の配当は高いが、勝つ確率はきわめて低い馬券にかけた。
しかし、しっかりと情報を分析して間違いないという馬に10万円かければ、たった2倍~3倍でも大きな収益になる。
その中年男性は、数十万円の「投資」であるので儲けは、数十万円になったはずである。

これを見て、資本の論理がつくづく私には理解できた。
投資額を大きくすることができると(リスクが大きくとれる人は)トロール船みたいに根こそぎ収益にすることができると・・・
それが、よいことかわるいことかは別にして。
少なくとも見かけ上ルールは公平だ。

投資信託や数々のファンドは、巨大化してリスクを大きく取ることができるようにしている。

それでも、失敗している投資信託やファンドはごろごろしている。
プロでも失敗するのが、資本市場だ。
上には上がいる。

そこは、私が見た競馬場と変わりないように思う。

結局は、自己責任つまり自分でリスクをとりなさいということになる。



中には、投資で当てた資金で幸運にもマイホームを買った人もいるらしい。
しかし、我が家はこつこつとためた資金でリフォームした。
あまり、投資の才はないようだ(笑)

帰省した息子たちに持たせたもの

2007-05-06 14:09:30 | Weblog
帰省していた息子たちも、それぞれの勤務地に帰ったが、息子たちがそろって興味を示したのが、私がネットで購入した「投資信託にだまされるな!」川下美奈子著 ダイヤモンド社(税込み1575円)である。

連休にでも読もうと思っていたが、時間がなくて積ん読状態だった。

だいたい、内容は推測できていたし、ちらっと見た限りその推測に間違いはなかったので、ほしがった息子に、まだ読んでいなかったが持たせることにした。

これから人生をつくっていく息子たちの資産形成に役立つならば何よりである。

昔、私がまだ学生の頃のこと。
アルバイトして稼いだお金をどうしたらいちばん効率よく、しかも安全に増やせるのかを考えて決めたのが公社債投信。
そのころは、良く覚えていないが年利6%はあったと思う。
それを購入しにある証券会社に行ったときのこと。

私はまだ二十歳前後だったと思う。
公社債投信を購入して、証券会社を出ようとしたとき、中年のおじさんが、
「ぼうや、何を買ったんだ」
「そうか、公社債投信ならいいな」
「それ以外はだめだぞ」
と、まだ何も知らない私にアドバイスしてくれた。

私は、このおじさんの一言が今でも忘れることができない。

そして、息子たちにも言った。
投資信託は、高額な販売手数料と信託報酬がとられるから、よほど研究しない限り購入してはいけないと。

新聞などによると、アメリカでは投資信託の販売手数料は0が殆どとのこと。
そして、信託報酬も日本の1/2くらいとのこと。

今の若い人たちは、時間がないから勧められるままに気軽に投資信託を購入してしまうが、それはきわめてリスキーなことである。
常識を働かせてみれば分かる。

元本100万円で、販売手数料3%(最初だけ)と年間の信託報酬2%(毎年)がとられたら、1年目だけで元本が95万円に目減りする。
これを元金に戻すのには、少なくとも6%の年利がなければならない。

しかし、よく考えてみると6%の年利というのは、よほどリスキーな海外債券や海外株式、国内株式に投資しない限りあげられない利幅である。

若い人たちは、これから元気に働くことができるから、多少リスキーであっても(元金を減らすことがあっても)リベンジがきく。
しかし、私のようなリベンジがきかない歳になると、そんなリスクを負うことはできない。
いや、たとえ若い人たちであっても、その資金が結婚資金やマイホームの資金となる場合、元本を割ることはあってはならない。

ということは、こうした投資信託を購入しても良いのは、元金が減ってもリスクをとって元本が増えることを望んでいる一部の人たちか、元本は減ってもいいから年金代わりに毎月分配金を受け取るようにしてくれる利便性からである。

ただ、こうした投資信託の中には、手数料や信託報酬が0やかなり少ないものもあるようだ。
そうした投資信託を厳選して購入することは、意味があるだろう。

しかし、やはり話はもとへ戻る。
あのおじさんの一言である。
「ぼうや、公社債投信ならいいが、それ以外はだめだぞ」
公社債投信なら元金は限りなく安全に近い。
しかし、投資信託は元本割れがいつでも起こるのだ。

今の若い世代は、もうひとつ不利な条件におかれている。
それは、異常な低金利状態が続いているということだ。
先に書いたように、私が二十歳の頃は、公社債投信でも金利は6%くらいあった。
銀行の定期預金でも年利4%~5%の金利はついていた。

それが、あのバブル崩壊から異常な低金利状態となった。
その間に、家計が失った利子所得は3月23日のこのブログで書いた。
もう一度再掲すると、



(331兆円) / 4 600万 = 719.565217 万円

何の数字だかおわかりになるだろうか?

バブルの崩壊による超低金利によって、家計が15年間で失った1世帯あたりの平均的な利子収入である。
約720万円利子を得損なったのである。

日経の3月23日朝刊の記事によると、

日銀の福井総裁はバブル崩壊後の超低金利により家計が失った金利収入の累計が331兆円に上るとの試算を明らかにした。

とのこと。

この記事をもとに試算したのが冒頭の計算結果である。

つまり、331兆円が日本の家計が失った利子の総額。
4600万が日本の世帯数である。
世帯数は、ネットで調べればすぐ分かる。

今朝の日経をみて、瞬間的には思いも浮かばなかった額である。
何と1世帯あたり約720万円もの利子収入を得損なった

1991年に家計が得ていた利子をそのまま得ていたとすると、2005年までに1世帯あたり720万円もの損があったということだ。
森永卓郎の「120万円で暮らす」から考えると、何と6年分もの収入が失われたことになる。

計算は簡単である。
googleの検索窓に「331兆円/4600万」と入力して、検索ボタンを押せば、上記の結果が答えとして出てくる。
ただし、/は半角で入力する。

何でそんなことになったかは、みなさんよくご存じなので書かないが、怒りを通り越して、ただただ

あまりに、ショックなのでこれ以上書きたくないが、エクセルで計算した結果は以下のようになった。

①もし、5%の年利が15年間続いていたとすると、いくら元金があれば720万円になったか?
 答えは、約346万円である。(つまり、元金が約2.08倍になる)
②利子が、年利0.1%が15年間つづいていたとすると、同じくいくらあれば720万円になったか?
 答えは、約709万円である。(元金は、複利で計算しても1.05倍にしかならない)

つまり、346万円で年利5%の複利で利子が付けば、倍以上になる。
言い換えれば、低金利によって

720万円-346万円=374万円

346万円あれば、374万円もの利子が付いたのに、ほとんどゼロ。
346万円の倍つまり元金として692万円あれば、倍の744万円利子が付くことになり、計算が合う。
約700万円あって、複利で利子が年利5%ついていれば、我が家は720万円もの損失をしないで済んだことになる。



つまり、もしあのバブル崩壊がなければ、今の若者は投資信託というリスキーな金融商品を購入しなくても、そこそこの金利で自己資金を安定的に増やすことができたはずである。
もっというと、今の30歳前後の世代は、一番割を食っている。

我が国の金利がなぜ低いか。
それは、低金利の方が都合がいいからである。
特に、輸出企業は円安にふれるので都合がいい。

あのバブル崩壊もそもそも輸出企業が、円高だと利益を上げられないために、日銀が日銀券をじゃぶじゃぶ市中にばらまき、円安を進めた結果だと思っている。
日銀券がじゃぶじゃぶになったから、株や土地が際限なく高騰した。
ほんとうに、我が祖国は輸出し続けなければ生きていけないのだろうか。

もし、そうだとすると我が祖国の生きる道には構造的な欠陥があると考えるほかない。
しかし、そんなことはない。

江戸時代200年間、我が祖国は貿易で食べていただろうか?
鎖国状態の我が国には、むしろ世界最先端の金融市場があった。
(「物語で読み解くデリバティブ入門」森平爽一郎著 日本経済新聞出版社2007年3月による)
そして、世界最先端のエコ社会を築いていたのである。

つまり、バブルは意図的に作られたのである。
投資信託を購入して誰が一番儲かるか。
売り手の証券会社や銀行である。
バブルで一番助かったのは誰か。
輸出企業である。

我々は、際限のない欲望に別れを告げるときに来たのではないだろうか。
そして、開国時に来た何人もの外国人が異口同音に述べた、
「なんと礼儀正しい人々が多いのだろう」
という言葉をもう一度思い出してみる必要があると思う。

リフォームして、子どもの日というより「おじいちゃん、おばあちゃんの日」

2007-05-05 06:59:48 | Weblog
昨日は孫たちが来て、子どもの日パーティー
しばらく、見ない間に見違えるほど大きくなった。

妻は、パーティーが大好き。
朝から、張り切っていた。
しかも、料理の盛りつけは、食器が整理されているので食器棚からさっと取り出せばいい。
あらためて、妻は
「リフォームしてよかったわね」
と、実感している。

人数が多いときでも、食器をさっと出して、さっと食洗機で洗い、さっと食器棚へしまう。
後半2つは、私がやるので妻も満足。

私も(^_^)v

なによりリフォームして良かったのは、片づけに余裕があるので、孫たちと一緒になって遊ぶことができたことだ。
子どもの日というより「おじいちゃん、おばあちゃんの日」になっていた。

可愛い孫の顔を見ることが出来、妻も私も大満足(^_^)v

昨年の今頃は、リフォームが決まってショールームを見て回っていたことを思い出した。
ほんとに、リフォームしてよかった。

妻が言っていた。
「去年までは、奥にしまった食器を取り出さなければならなくて、大変だったわね」
それが、今年は孫と一緒に遊べる。

そして、息子の妻からは、ニコンD40で撮影した、ふだんは見られない可愛い孫たちの様子を集めた写真集をプレゼントされた。
何よりの宝物である。

ほんとに嬉しい子どもの日パーティーいや、おじいちゃん、おばあちゃんの日パーティーだった。

柿の木がプレゼントしてくれた優しい時間

2007-05-04 09:41:06 | Weblog


我が家の柿の木の若葉が、茂ってきた。
昨日は、この柿の木の下にデッキチェアーを持ち出して新緑と緑の風を楽しんだ。

柿の木は、冬は葉が落ちて日射しを入れてくれる。
だが、初夏を迎える頃となると、ご覧のように厳しい日射しを遮ってくれる。

最初、庭の真ん中の日射しのあたるところで、テンガロンハットをかぶって初夏を楽しんでいたが、日射しが厳しいので、この柿の木の下にデッキチェアーを移動。

しばらく、新緑を楽しんでいたがそのうちいつの間にか夢の世界。
柿の木がプレゼントしてくれた、優しい時間を過ごすことができた。

八重桜きれいですね!この素晴らしい季節を孫たちに味わわせたかった・・・

2007-05-03 09:31:55 | Weblog
デイジーさん、いつもコメントありがとうございます。
ほんとに八重桜きれいですね。

連休の29,30日とさる国立公園の近くの牧場に咲いていた八重桜です。
息子が撮っていたので、私もクローズアップで撮影しました。



桜だけでなく、この時期は「緑」がとても美しい
公園でも何でもない、パーキングエリアで撮影したこの風景がたくさん撮影した写真の中で、「初夏」をよく表しています。



写真もポイントを撮影することも大事ですが、「いいな」と思った「情景」を撮影しておくことも大切だなと思いました。
この写真は、我が家のバスルームギャラリーにプリントアウトして楽しんでいます。
たった一枚の写真ですが、ドラえもんの「どこでもドア」のようにこの写真から初夏のこの季節でしか味わうことのできない素晴らしい世界へとつながっていきます。

残念ながら、孫たちと一緒に行く予定だったのですが、熱を出して行けなくなってしまいました。
この素晴らしい季節をまたぜひ孫たちに味わわせたい
と思っています。



写真は、すべてニコンD80で撮影しました。
といっても私はそれしか持っていません(笑)
しかし、ほんとにいつもいい写真ができて満足しています。
特に、発色が実に自然です。
2枚の写真もほぼ、見たとおりです。

わたしがこのカメラを気に入っているのは、1本のレンズで、広角から中望遠までカバーしていることです。
不思議なことに、人間の目は遠くの景色でも興味のあるものや人は、クローズアップして見ています。
ニコンD80AS-F NIKKOR 18-135mmレンズつきは、まさに私と同じ目線で美しいものや景色を捉えてくれます。
かわいい孫を撮るのにも手放すことはできません。

いとおしさは、自然豊かな四季がもたらしてくれる

2007-05-02 22:49:48 | Weblog


昨日、連休の大渋滞にはまった時に、たまたま見ることが出来た日没だ。
ちょうど、高速から一般道へ下りて2時間くらいたった頃、毎日の生活ではまったく見ることのなかった日没に遭遇することができた。
母が、
「きれいきれい」
とはしゃいでいたので、ついうとうとしていた私は、その美しさにしばし時を忘れた。

しかし、その時間はあっという間に過ぎてしまった。
西の空に沈んでいく真っ赤な夕日が姿を消す時間は、2~3分という感じであった。
あわてて、カメラを向けて移動中の車内から撮った。

まさに、その時間は「いとおし」であった。

昨日の渓流に横たわる樹の青葉も、この時期の一瞬の美しさ。
渓流の水と水の流れも、永遠のようで一瞬の美しさ。
この夕日もつかの間の美しさ。
どれも、いとおしい。

「いとおしさ」は、人工の照明がもたらす空間からは生み出されない。
ましてや、ビルの谷間で感じることはまずできない。
「いとおしさ」は、自然豊かな四季がもたらしてくれる。

魂が込められているもてなし(和の贅)は、比較するものがない!

2007-05-01 20:16:30 | Weblog
連休は国立公園で楽しんだ。
日頃ふれることのできない、素晴らしい自然に触れることができた。



ところが、帰りは高速の大渋滞に巻き込まれる。
ゆっくりと、自然を楽しんだので仕方ない。

大渋滞を避け、一般道へ下りて帰途に向かうが、渋滞は一般道も同じ。
そのうち、夕飯の時刻を過ぎ、ドライバーの息子の疲れもたまってきた。

とある和食屋(蕎麦屋)で、夕食をとることになった。
夕方6時半くらいだが、店内はまだすいている。

私たちは、人数が多かったので、座敷に上がる。

座敷は、純和風。
床の間には、掛け軸が飾ってある。
障子、畳、床柱・・・と、どれも和にとってはなくてはならないもの。
しかし、どれをとっても30年以上は使っていそうなものばかり。
古いのだが、よく手入れされている。

注文をして、少し遅いなと思っていたら、最初に出されたのが父が注文したざるそば。
私は、天丼とそばのセット。
驚いたのが、そばを盛るざるそばの器。

木製で、頑丈な上、50年以上は使っているのではないかと思われた。
その器に手打ちのそばが、盛られている。
私は、天丼とそばのセットだったが、天丼とそばのバランスがとれていて実に美味だった。
妻は、山菜そばだったが、味にはもちろん大満足。

価格は、都会で食べるのと変わりない。

しかし、満足度は点数がつけられない。
比較することができないのだ。
もちろん、料理はどれも最高の味。

食事をする和室の雰囲気がいい。
店員の注文をとったり、配膳をしたりする様子が実に謙虚でいい。
そして、こだわりのある永年大切にされた器。

すべてが、ここでおいしい食事をするために、こだわりをもって用意されている。
そして、それは私たちだけでなく、すべてのお客のためにそうされている。

私が感心したのは、食器も部屋も調度も実に大切にされているということ。
そこでは、器は単なる物ではなく、魂の込められたおもてなしの道具となっている。
それらひとつひとつを大切にするという気持ちは、接客にも表れていた。
常に謙虚でありながら、不自然な笑みはない。
もちろん、押しつけるような自己主張は一切ない。
すべてが、お客がこのお店でおいしい食事をしてもらうために何十年も前から準備されている。
そんな感じの蕎麦屋さんであった。

例年、連休は大渋滞があるので避けていた行楽。
しかし、今年は家族みんなの思いで一流のホテルで楽しむことができた。
そして、この季節でなければ楽しめない大自然の美しさに感動した。
その締めくくりに、思いがけなく素晴らしい蕎麦店に立ち寄ることができた。

大渋滞にはまった時。
妻の一言、
「ここで下りましょう」
がなかったら、こんな究極の和の贅をいただいたり楽しんだりすることはできなかった。

妻、子どもたち、そしておいしい食事のためにすべてを大切にしてくれている蕎麦店の方々・・・
みんなに感謝、感謝