リフォーム徒然なるままに Reform turezure naru-mamani

我が家のリフォーム日記です。忘れないように記録していきます。参考になれば幸いです。

魂が込められているもてなし(和の贅)は、比較するものがない!

2007-05-01 20:16:30 | Weblog
連休は国立公園で楽しんだ。
日頃ふれることのできない、素晴らしい自然に触れることができた。



ところが、帰りは高速の大渋滞に巻き込まれる。
ゆっくりと、自然を楽しんだので仕方ない。

大渋滞を避け、一般道へ下りて帰途に向かうが、渋滞は一般道も同じ。
そのうち、夕飯の時刻を過ぎ、ドライバーの息子の疲れもたまってきた。

とある和食屋(蕎麦屋)で、夕食をとることになった。
夕方6時半くらいだが、店内はまだすいている。

私たちは、人数が多かったので、座敷に上がる。

座敷は、純和風。
床の間には、掛け軸が飾ってある。
障子、畳、床柱・・・と、どれも和にとってはなくてはならないもの。
しかし、どれをとっても30年以上は使っていそうなものばかり。
古いのだが、よく手入れされている。

注文をして、少し遅いなと思っていたら、最初に出されたのが父が注文したざるそば。
私は、天丼とそばのセット。
驚いたのが、そばを盛るざるそばの器。

木製で、頑丈な上、50年以上は使っているのではないかと思われた。
その器に手打ちのそばが、盛られている。
私は、天丼とそばのセットだったが、天丼とそばのバランスがとれていて実に美味だった。
妻は、山菜そばだったが、味にはもちろん大満足。

価格は、都会で食べるのと変わりない。

しかし、満足度は点数がつけられない。
比較することができないのだ。
もちろん、料理はどれも最高の味。

食事をする和室の雰囲気がいい。
店員の注文をとったり、配膳をしたりする様子が実に謙虚でいい。
そして、こだわりのある永年大切にされた器。

すべてが、ここでおいしい食事をするために、こだわりをもって用意されている。
そして、それは私たちだけでなく、すべてのお客のためにそうされている。

私が感心したのは、食器も部屋も調度も実に大切にされているということ。
そこでは、器は単なる物ではなく、魂の込められたおもてなしの道具となっている。
それらひとつひとつを大切にするという気持ちは、接客にも表れていた。
常に謙虚でありながら、不自然な笑みはない。
もちろん、押しつけるような自己主張は一切ない。
すべてが、お客がこのお店でおいしい食事をしてもらうために何十年も前から準備されている。
そんな感じの蕎麦屋さんであった。

例年、連休は大渋滞があるので避けていた行楽。
しかし、今年は家族みんなの思いで一流のホテルで楽しむことができた。
そして、この季節でなければ楽しめない大自然の美しさに感動した。
その締めくくりに、思いがけなく素晴らしい蕎麦店に立ち寄ることができた。

大渋滞にはまった時。
妻の一言、
「ここで下りましょう」
がなかったら、こんな究極の和の贅をいただいたり楽しんだりすることはできなかった。

妻、子どもたち、そしておいしい食事のためにすべてを大切にしてくれている蕎麦店の方々・・・
みんなに感謝、感謝

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。