丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

はらから福祉会前理事長 武田 元(はじめ)氏「働くことを生活の柱に」

2023-09-05 16:24:02 | 日記

はらから福祉会 40周年記念公演

       はらから福祉会前理事長 武田 元(はじめ)氏「働くことを生活の柱に」

(杖を突いている姿ははじめてみました。昨年の後半に体調を崩したそうです。200年生きようと思っていたがと言ってました。)

 40年間常識への挑戦だった。少数派の掲げる理想を一つ一つ実現して世の中が変わった。はらからは何を主張したのか。

 昭和41年、仙北の高校教員をしていた。3年たって父がガンで余命半年と言われた。

長男の私は兄弟や家族の面倒を見なければならない。

仙北から地元に移動の願いを出した。船岡の養護学校に高等部ができて、そこに移動した。

父がガンにならなければ、移動しなかった。だが、父は80歳まで生きた。誤診だった。

 当時、びっくりしたことがある。仙台の就労施設の見学に行った。薄暗い部屋で7~8人の人が椅子に座っていた。仕事が切れて、休んでいるところだった。給料は月3000円~5000円くらいと聞いて驚いた。

 船岡養護学校では、就職できない人の家を訪問してびっくりした。60歳を過ぎた人が一度も学校に行っていなかった。「外に出ていろんな人の話を聞きたい。でもやってはいけない。私は厄介者なのです。」

 今は、義務教育の義務化。みんなが学校にということで。養護学校に入るようになった。

 朝起きたときに、最初にすることは、家族の機嫌を見る。良かったら、申し訳ないがお願いをする。悪ければ、部屋に閉じこもる。

 そのころ舟形コロニー以外に就学の場所がなかった。日本全国そうだった。

 なぜ働くのか、その一つは、働くこと、暮らしを支えること。当たり前のことが、障がい者には当たり前ではない。

 働く、そして給料をもらうのは常識だが、大多数の人は誰でも働いて暮らしている。

 それでは、我々のやらなければならないことは、何か。

 多数の人は、100の力で働けば100の給料。

 障がい者の事業所は15000以上あるが、平均工賃は月16000円である。理由は、障害の重い人の身近にいる人ほど、低くて当たり前と思っているから。会社の社長がこのことを聞くと「それは日給ですか」という。身近な人ほど、行くところがあれば良いという考えである。

 めざすは工賃月額7万円以上。7万円は全員の目標 年金とあわせて暮らせる収入。 

どうすればよいか。50の力の人に100払えばよい。100の力の人に100払えばよい。そうする人が必要。

 どうすればよいか。50の人は他の人の力を借りる必要がある。どんな力を借りるか。一つは機械の力を借りる。ボタン一つで精密な仕事をする。50の力に機械の50を合わせて100とする。足りないところを補わないではダメ。1つはチームで仕事をする。分担する。得意な分野を合わせて100にする。関係者の役割は利益率の高い仕事を持ってくる。そうゆう工夫が仕事。単純作業の仕事は安い。あたりまえだ。プラス50を一人ひとりに合わせて100にする仕事を組み立てるのは大変というが、それは当たり前。なんでも大変、仕事は大変。障害の重い人は人生をかけて仕事をしている。

 障がい者はなぜ生まれてくるのか。一定の割合で生まれてくるのも意味がある。自分の一生をかけて大変なことを示している。船岡駅のバリアフリーはその成果。障がい者の生き生きしている町は誰でも暮らしやすいまち。孫などと何人もで出歩いていると、孫が弱い人の荷物を持ったりする。昔は荷物を全部大人に預けて遊んでいたのに。若い時は何でもないが年を取ってくるとできないことが出てくる。

 はらからがやるべきことは、ちまたにあふれている常識人に挑戦すること。非常識ということを実現すること。

 アイデアはある。100人で100通りあるが、アイデアはアイデアだけではダメ。

 はらから会が大きくなった理由!

はらから会員は1300人いた。今は800人位いる。研修・啓発・財政的な支援をずっとしできる。

「福祉は金もうけができない人には無理だ。できる人にはできる。」誰が言ったか?私だ。理想の夢を言った。どうなる。

運動をして、会員になってほしい。月1000円で年12000円。1250人で1500万円になる。

 無認可時代資金繰りが大変だった。蔵王の農家から、野菜を買ってきて販売した。多いときは1000万円以上になった。人間以外は何でも売った。国際障害者年。トレーナーとTシャツを販売して売れた何故できるか。覚悟である。大切なのはその金を何に使うか。

 目標と目的。何のために金は使うのか。はらから会と、はらから福祉会は表裏一体、いろんな人が集まってきてくれるのが大切。我々の活動の決め手は、いろんな人とつながること。身内で固まらない。できるだけいろんな人と巡り合った。つながった。

 令和3年、売り上げ約10億円。それは、はらからが世の中に提供した、食べて頂いたのが10億円あった。5億円は仕入れ代金・経費。人件費は新たに生み出した付加価値。

 なぜ働くかの2つ目は、社会的役割をはたすため。

 常識の人たちにそんなことはない。10億の品物を買ってくれる人たちがいる。これ以外にない。声を大にして言っても、本当の障がい者理解にはならない。なぜ働くのかそれは生活のためだ。いや、働かなくても生きていける人は、家族が面倒を見る、社会が面倒を見るとかあるが、考える前にまず、働くことである。

 はたまき作業所をつくるときに3000万円の借り入れが必要になった。私が借入れ人で、他のみんなが連帯保証人になった。その前に1つ目は、はらから作業所をつくった。この2つ、失敗したらどうする。働く場の確保。やる意味があるならやろう。20年の期限を8年で返済した。やることに意味があるなら、だったらやろう。迷ったらやろう。どうやってやろうと考えないで、まずやろう。やるにはどうするかを考えよう。

 はらからには親の会はない。当事者負担だけはやめよう。みんなのために働く。社会的役割を果たしていこう。役割が働くことだ。

 働くことは楽しいことだけではない。苦しくても働く、頑張るのが家族のためになる。そのあとに喜びがある。働くことが楽しみになる。

 障がい者は、障害があるから50%しか働けないのは当たり前という常識から脱却する。40年間その考えでやってきた。

 これからやるべきこと

ひとつは、非常にこだわりの強い自閉症の人への支援が必要。精神・身体への支援は、働くことについても沢山なされている。

2つ目は、高齢の障がい者はどうなるだろうか。親はいつまでも子供の面倒を見ることはできない。

 この2つの問題は非常に複雑で大変さはわかる。しかし、誰かがやらなければならない。この40年で解かったことがある。

 私は今こんなことで悩んでいると訴えることが必要である。その責任は当事者以外の人にある。

 社会的課題に挑戦するというふうに考える時が、今来ていると思う。

80年生きていると、いろんな人との出会いがあった。皆さんに配布したレジメの最後に、「困ったら、はらからへ」と書いたが、そういう存在でありたい想いで書いた。長生きすればいろんな世界が見られる。今生きている人間が大切である。

 最後に、今つながっている人達、事業でつながっている人達はよくぞ我々と繋がっていてくれたと思う。福祉の世界で、厳しい状況の中で、そのつながりで、新しい考えを生み出した。働くことは活力がでる。人と結びつける。必要な金を生み出せるか考えるより、まず、どうしてやるかが大切。

 

9月3日、槻木生涯学習センターに於いて。Ⅰ時間以上の公演でした。要約ですがまとめてみました。

                                        一條己

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