最近、雨の日が多いので母はそわそわしています。晴れた日は牧草収穫で忙しいので、一緒に出掛けることができませんでした。親せきや友達のところに出かけたいのです。仕事の休みの日は一緒に出掛けるようにしています。場所は生まれ故郷の梁川町か兄弟や孫のいる仙台です。そんな母の若いころの活動が「つどい」の投稿でわかります。
大川口若妻会として昭和33年に8名で発足し、のちに大川口生活改善クラブになりました。
農業改良普及所の指導により活動していました。]
冊子は毎年発行されていましたが、その中の投稿に母洋子のものがあります。
昭和52年3月号では、四三歳のころ
「わが家の酪農経営をみつめて」を投稿しました。
以下その内容は我が家の農業の始まりです。私は二十歳でした。
その後、祖父と父・母・私の4人で乳牛・肥育・子牛合わせて80頭まで増頭しました。
今は私一人で15頭の牛飼いです。50年も経ってしまいました。