丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

筆甫の「筆まつり」に行ってきました。祭りと小学校は地域になくてはならないもの。県会議員の挨拶です。

2015-11-22 19:57:33 | 日記

私たちのふるさと・筆甫

宮城県の最南端に位置し、阿武隈山地の北端伊具の地にある❝筆甫❞は、

周囲を標高4~5百㍍台の山々に囲まれ、

豊かな自然と南北朝時代の歴史を語りかける桃源郷です。

 

この、「筆の甫」と書いて「ひっぽ」と呼ぶ珍しい地名は、

他郷の人々を魅了してきました。

 

地名の由来については定かでありませんが、

「筆甫」の文字をあてたのは「伊達正宗」であるといわれ、

つぎのような「言い伝え」があります。

 

「伊達氏と相馬氏の20年にもおよぶ戦いで伊達領になり、

伊達政宗が自分の領地を把握しようと検地(耕地の実測)を行った。

そのとき、相馬領の境である筆甫から検地を始め、一番最初に記簿に記した村なので、

「❝筆のはじめ(甫)❞と書いて「ひっぽ」と呼ぶようになった」といわれています。

  大正8年に作られた「筆甫村民歌」にも

              3百余年のその昔

              正宗公が名づけたる

              ふで(筆)のはじめ(甫)の名も高く

              これか我がふるさと(郷)の誉なり

  と謳われています。

 

筆甫は昭和10年、民俗学者の柳田国男らが全国66ヵ村を対象に行った「民俗調査」の行われた村の一つです。

村内各地に見られる小嗣や古碑、伝承されている多くの昔話や伝説などは、

現在も私たちにロマンを語りかけてくれます。

 

こうした民俗とロマンを求めて筆甫を訪れる人も多く、

里山に囲まれた村の景観と豊富な民話から、

「宮城の遠野」と呼ばれています。

 

民話のふるさと「筆甫」

私たちの先祖が守り伝えてきた

「筆(ふで)の甫(はじめ)のひっぽ」

そして、豊かな自然と歴史が育んできた「私たちのふるさと筆甫」の心を

未来に伝えたいと思います。

平成9年3月

 

今から20年以上も前、

地域内に一人も子供の生まれない年がありました。

そこで、地域を何とかしようと地域の若い?人たちが山に入って材料を切り

手作りで建立したというのが、

この「筆神社」です。

こんな気持ちで、村人が、

筆神社建設

鉛筆供養の「筆祭り」開催

隣の霊山との交流

代表等がブータンへ鉛筆・ノートを運び

訪問を受け入れました。

全国から沢山の方が訪れましたが

東日本大震災で中断

小さい規模で再開しましたが、周知が以前ほどではなく

訪問者が少なくなり

実行委員の頑張りで19回続いています。

 

筆甫から全国。全国から世界に広がる。こんな、イベントめったにありません。

全国の皆さんも、一緒に考えてくれませんか。

震災から立ち直ろうとする、いろんな交流の取り組みを見て

継続するアイデアを送ってください。

 

寒桜

お出迎えは子供たちでした。

梁川町の白根三吉神社の宮司により

鉛筆や筆の供養をしていただきました。

 

衆議院議員さんや町長さん・県会議員さん・町会議員さん・農業委員さんが毎年訪れる

誰もが絶賛する取り組みです。

今年で2回目の伊具校のビックな「書道」

昨年は「輪」でしたが、ことしは?

慎重に

「笑」でした。

 

たまには、私の写真も

雨のために霊山太鼓などは中止になりましたが

日頃、練習した謡を披露しました。

全員集合!ですが、シャイな方が多かったので、子供たちが中心になりました。

 

新そばの披露。

閉会の挨拶。

 

 

エコタウンに向かって南三陸町の挑戦