私が、
、就農して酪農を始めたころからお世話になっていた
獣医師の、古郡義夫さんが突然亡くなりました。
悲しいです。私よりも8歳ぐらい上の全共闘時代の方でした。
少し前にも牛の体調が悪いからと往診をお願いしていました。
38年前、筆甫地区で若い酪農家の集まり酪青研を指導したりしていました。
あの頃は牛が死んでも切迫と言って血抜きをすれば牛肉として出荷出来る合理的な時代でした。
酪農家には、自分たちの価値を解き、
若い酪農家は規模拡大の時でしたから借金をして牛の頭数を増やしていました。
信じられないでしょうが今24頭しかいないのに、親仔牛我が家にも80頭ぐらいの牛に規模拡大した頃でした。
毎年12月20日に制度資金の返済をします。無事返済を済ませると、夜に彼の家に遊びに行きました。
私は資金の返済の話ばかりしているので
奥さんは、金を借りに来たと思っていたと言ってました。
あれから30年以上が過ぎ
今は、原発事故の損害賠償や、除染の実施について彼は大きな役割を果たしてきました。
残念です,悲しいです。
まだまだ仕事や役割があったのに
私では変わりは務まりません。
あの、ダイナミックで人の心をつかむ、信念と迫力をもった声は
もう聞くことができないと思うと
突然の訃報は
驚きと落胆。
いろんな不安をもたらしました。
こんな大変な時期だから、
いてほしい
こころのより所が亡くなったようです。
なんなんだ!この悲しみを乗り越えるほど
まだ、私は強くなっていない。
ざんねんだ。
ざんねんだ。